月別アーカイブ: 2011年4月

レスリングの全日本選抜選手権

今日はレスリングの全日本選抜選手権・明治杯に顔を出してきました。

今日明日(4月29日、30日)と行われるこの大会、東日本大震災の復興支援大会である同時に、今年9月にトルコ・イスタンブールで行われる世界選手権の日本代表選考会を兼ねています。

昨年の12月の天皇杯全日本選手権の優勝者が再び優勝した場合にはそのまま世界選手権代表に内定、ほかの誰かが優勝した場合にはそれぞれの優勝者同士が世界選手権出場をかけてプレイオフを戦います。

今年の世界選手権は来年のロンドンのリンピックの予選も兼ねていますから、選手たちにとってはロンドンオリンピックを見据えたとても大事な大会です。

隣りで見ていたロサンゼルスオリンピックの金メダリストで北京の強化委員長の富山英明さんが言いました。

「もう来年はオリンピックだよ、コマッチャン。本当に早いなあ」

本当ですね。私も野球の星野ジャパンに帯同し悔しい思いをしたあの北京からもう3年、年をとればとるほど時間が早く過ぎていくのはどうしてなんだろう。

選手たちの真剣な戦いを見ながら、俺も気合を入れなきゃなと感じました。

世界選手権代表を目指して明日も熱い戦いが繰り広げられます。

場所は代々木第二体育館、入場料は無料ですから、時間があったらぜひ頑張っている選手たちを応援に来てくださいね。

東日本大震災、スポーツ人としてすべきこと

未曾有の震災は今なお被災地の方々を苦しめています。今、スポーツにできることは何か。多くのスポーツ選手がすぐさま行動を起こしました。われわれスポーツドクターも現地に…★ITmediaエグゼクティブ小松裕の「スポーツドクター奮闘記」 更新!

スポーツ人としてすべきことを考えています。

肉離れでも泳ぎ切った北島康介のアツい気持ち

昨日の報道ステーション、先日行われた世界選手権の代表選手選考会でスタート直後に肉離れを起こしながら懸命に泳ぎ、200メートルでも世界選手権代表となった北島康介選手の特集をやっていました。

JISSにも来ている金岡先生やJISSマルチサポートの岩原さんも登場。

水泳で肉離れなんてきいたことがないからそれだけで北島選手のすごさがわかりますが、肉離れを起こした後も200メートル近く泳ぎ2着に食い込むのもすごい。

さらに、昨日の彼のコメントには感動しました。

「震災の後、より強いメッセージを残したかった」

これは彼が取ってつけた言葉ではありません。本心から出た言葉です。そういう強い気持ちがなければあんなレースはできないのです。

東日本大震災のチャリティー大会でもあった選考会、単に義援金を集めるだけでなく、選手たちが被災者の方たちのことを思いながら熱い気持ちで戦っていたことがよくわかりました。

そんな姿を見るたびに、ますます選手たちを応援したい気持ちになります。そして、自分だって全力でやらなきゃ、って思うのです。

全日本体操選手権に顔を出してきました

今日は国立代々木第一体育館に第65回全日本体操競技選手権大会2日目を見に行ってきました。

特に医学的に何か仕事をしてわけではなく、ただ客席から競技を見て体操関係者やコーチたちにあいさつしただけ。

でも、この「顔を出す」ってのがスポーツ現場でうまくやっていくためにはとても大事です。

今回の大会は10月に東京で行われる予定の世界選手権や8月のユニバーシアードの選考の一部にもなっていますから、おそらくそれらの大会にもかかわるであろう私にとっては、「どんな新人が出てきたかな」とか「知っている連中の調子はどうかな」ってことも見ます。

試合が終わった後には観客席から会場に降りて、コーチやトレーナーや体操協会の人たちとたわいもないことを話して帰ってきました。

スポーツ医学や科学が現場で役立つかどうかは、ひとえに我々とスポーツ現場の選手・コーチとの信頼関係とコミュニケーションにかかっています。

ですから、こういった大会だけでなく、日ごろの練習なんかもなるべく「顔を出す」ようにしています。

東日本大震災のチャリティーも兼ねたこの大会は、内村航平選手が大会4連覇、鶴見虹子選手が史上初の大会6連覇を果たしました。すごいなあ。

会場は節電のために照明をいつもの8割にしているとのことで少し暗い中での競技会でした。

早く原発問題も解決して、10月の世界選手権では明るい照明のもと華やかな日本人選手の活躍を見てみたいと感じたのでした。

毎日が発見!

こんにちはセクレタリーKです。小松先生は腰の調子も回復し、徐々に元気を取り戻ししつつあります。

そんな小松先生が、4月28日に発売される「毎日が発見」の5月号に登場します。

仲良しの医療ジャーナリスト宇山恵子さんの取材を受け「医者の養生」という記事が掲載されます。小松先生の若々しく健康的な秘密をざっくばらんに披露しています。スポーツアスリートを応援する笑顔の小松先生の心かげていることとは……!!

入院先で取材していただきました。

今回の入院生活についての感想もお話されています。ぜひ、お手にとってご覧ください。

スポーツ強化、鈴木大地さんのもっともな発言

今日は、私が勤務する国立スポーツ科学センター(JISS)の業績評価委員会がありました。

JISSが行っている様々な事業(スポーツ医・科学支援事業、マルチサポート事業、スポーツ医・科学研究事業、スポーツ診療事業、スポーツ情報事業など)に関して、外部の識者の先生たちで構成される業績評価委員会の前でプレゼンテーションを行い、ご意見をいただき、質疑します。JISSの事業の質を高めるために年に一度行われるものです。

時間をかけて業績評価委員会のメンバーの先生方から建設的な意見をいただき、きちんと評価していただきました。

現在JISSの目玉でもあるロンドンオリンピックに向けて多角的な面からサポートを行う「マルチサポート事業」、昨年の広州アジア大会の際には選手村から15分の場所に村外サポート拠点として「マルチ・サポートハウス」を設置しました。そこでは、選手たちの「リカバリー」という観点から、リカバリーミール(日本食)を提供したり、コンディショニングの観点から、メディカルルームやリラックススペースなども設置、ゲームの分析サポート機能や情報戦略機能も備え、同様の手厚いサポート体制をロンドンオリンピックでも計画しています。

プレゼンテーションとあと、委員会のメンバーの一人であるソウルオリンピック競泳の金メダリストの鈴木大地さんが言いました。

「いやー、素晴らしい手厚いサポート体制ですねえ。でも、この体制はいつまで続けられますか?選手たちがいつでもこんな素晴らしいサポートをしてもらうことに慣れてしまうの問題ですかねえ」

確かに、この事業は予算的にはロンドンオリンピックまで、そのあと永遠に続く保証はない。ご自身の現役時代に比べ格段に良くなったサポート体制は素晴らしいと感じながら、鈴木さんが言いたかったのは、「手厚いサポートも大事だけれど、どんな劣悪な環境やサポート状況でも普段通り戦えるたくましさもなければ世界では勝てないよ」ということです。

その通りだと感じました。勝つためには少しでも良い環境を作ってあげることも大事、同時にどんな環境でも苦にせずに戦えるたくましい選手を育てることも大事です。

日本のスポーツ強化にあたっては、目先の短期的な戦略だけでなく、同時に長期的な戦略も頭に入れて、「たくましい選手を育てる」という観点を忘れちゃだめだよな、と感じた意義のある業績評価委員会でした。

憧れの諏訪二葉、ボロボロ校舎という替え歌と歌集ダイアナ

先日、信州の実家に帰った時のこと、ローカルな、そして懐かしい話を一つ。

上諏訪駅で降りて改札を降りた私の目に飛び込んできたのは「諏訪二葉高校弓道部」と書かれた白いジャージ、でもそれを着ているのは男子学生。なんだか違和感がある。そうです、我々の時代、かつて諏訪二葉高校は憧れの女子高だったのです。あのころは長野県内にはまだたくさんの県立の女子高がありましたが、現在はすべて共学になりました。

ある替え歌が、頭に浮かびました。

1.ボロボロ校舎に風が吹けば、ギシギシきしむその音哀れ、その音聞けば二葉恋しや、若きわれらのウェルテルの悩み

2.ボロボロ帽子に白線まいて、町をのすのは清陵の生徒、そのあと追うのは二葉の生徒、若き乙女のはかなき願い

3、ボロボロ服にタオルぶら下げ、今日も通るは本町通り、それを見送る赤いネクタイ、若きわれらの恋の世界よ

ボロボロ校舎という、わが諏訪清陵高校に伝わっていた高尚な替え歌、実はこの替え歌、メロディーは諏訪二葉高校の同窓会歌。なんと憧れの女子高の同窓会歌を替え歌にして我々の憧れの世界を作り上げてしまうという大胆な発想。先輩のだれが考えたのかわかりませんが、今考えると高校生の底知れぬパワーを感じます。

いま思えば恋に関して相当まじめだった、というか晩熟だった私の高校時代、亀井勝一郎の「青春論」や「愛の無常について」などを読んで、女性に性欲などあるはずがない、と真面目に思っていました。それでもやはりなんでも知りたくなっちゃう青春時代、わが諏訪清陵高校に伝統的に伝わる歌集「ダイアナ」でたくさんの大人にしかわからない世界を勉強させてもらいました。

「ボロボロ校舎」も掲載されている「ダイアナ」は茅野北部中学出身の学生・山浦独哲歩歩(ドテポッポ)会の連中がが毎年改訂作成し全校生徒にわたります。第一部校歌、第二部寮歌、第三部歌曲、第四部替え歌の四部構成で、第四部の替え歌はボロボロ校舎のような高尚な替え歌を除きそのほとんどが、男と女の下半身中心のいわゆる「エロい」替え歌。しかし、今読んでもなかなか文学的な味わいもあり、高校生の創造力と想像力に感心します。公民館で行うコンパのたびに皆で歌いました。

ちなみに、今を時めく脳科学者、諏訪東京理科大学教授の篠原菊紀さんは高校の二つ先輩で山浦独哲歩歩会。高校時代から存在感がありましたから、たぶんあの歌集の中には篠原菊紀作のエロい替え歌もあったのだと思います。

実家の本棚にまだ残っていた30年以上前の歌集「ダイアナ」をめくりながら、無限の可能性があると思っていた高校時代を懐かしく思い出しました。そして、いつまでたってもあの頃の気持ちや正義感を持ち続けなければいけないぞ、と強く感じたのでした。

実家の本棚に残っていた高校時代の歌集ダイアナ

八ヶ岳名物、高原野菜とカツの弁当

この土日は、ふるさと信州、実家のある諏訪に帰ってきました。

今までは車で中央自動車道を使って帰ることが多かったけれど、硬いコルセットが外せない私はまだ車の運転ができないので、久しぶりに列車、「特急あずさ」で上諏訪まで。

車窓から広がる美しい景色を眺めながらの2時間半、山の中で一点だけピンクに染まる山桜、線路沿いの菜の花、きれいだった。桜の花も、東京はほとんど散っているけれど、標高が高くなるにつれ、散り始め→満開→咲きはじめとすべての段階を満喫できました。甲斐駒ケ岳も、八ヶ岳もきれいに見えたし、景色を眺めているだけであっという間についてしまいました。

途中食べたのが、「高原野菜とカツの弁当」、私の大好物です。

大昔からある小淵沢駅の駅弁で、これが売り出された当時は生野菜をまだあまり食べない時代、生野菜がたっぷりの弁当が衝撃的だったと聞いたことがあります。

ちなみにカツはチキンカツ、生野菜のほかに一緒に入っているスパゲッティーや山菜、コーン、リンゴも昔のまま。何がうまいのかって、うーん、昔を思い出すからうまいのかなあ。

駅弁食べながら、そしてきれいな景色を眺めながら、「急行アルプス」で上京していた頃のたくさんの思い出がよみがえってきたのでした。

高原カツ野菜弁当

富士見の陸橋から望む八ヶ岳

リリカという新薬と体重増加

2月に腰の手術をした私の左横腹には二つの大きな傷跡があります。

上の方には約15センチほどの長い手術痕、これは横腹からたくさんの筋肉を裂いたり切ったりして腰椎(背骨)にアプローチしたもの。その下ちょうど骨盤の上の部分に約5センチほどの手術痕、ここから腸骨を長方形に採取して、削った椎間板の部分に移植しました。「腰椎前方固定術」という術式です。

皮膚から腰椎まで20センチ近くでしょうか、普段から鍛えていたおかげでたくさんの筋肉があり、だからたくさんの筋肉も裂いたりしたためか、手術のあと左の横腹から足の付け根付近に神経痛がでました。

もちろん2カ月近くたち、痛みもほとんど気にならなくなっているのですが、神経痛の治療のために手術の後から、「リリカ」(一般名はプレガバリン)という新薬を飲んでいました。

この新薬は末梢神経障害性疼痛を治療する薬で、帯状疱疹後に長く残る神経痛などに有効です。ちなみに帯状疱疹はヘルペス・ゾスターというウイルスの感染により、神経に沿って赤くなったり水ほうができたりする病気です。

1か月以上も飲んでいていまさらですが、どんな薬か勉強しようと思い、調べてみました。すると、使用上の注意に「体重増加をきたすことがある。肥満に注意し、肥満の徴候が現れた場合は、食事療法、運動療法などの適切な処置を行うこと」と書かれているではありませんか。

なるほど、そのためか。退院してから、腰に負担がかからないように体重を落そうと努力しているのですがなかなか減らない。それどころか2キロ肥えました。運動量もだいぶ落ちたからそのせいかなあ、と思っていました。

眠気やめまいが起きることがあるとは知っていましたが、お恥ずかしいことに体重増加の副作用があることは知りませんでした。受け持ちの先生も、僕が内科の医者だから当然知っていることと思っていたのでしょう。

患者さんに薬を出す時には、特に新薬の場合、副作用などについてもきちんと調べて理解して、もちろん説明もしてから出すのですが、いざ自分のこととなるとそれを怠っていました。だめですね。

あらためて勉強になりました。まあ、でも、この薬を飲んでいる間は、体重が減らないことを自分の努力が足りないせいではなく薬のせいにできるから、まんざら悪くもないなあ、などとも思ってしまったのでした。

折り畳みの杖でいろいろ考えた

腰の手術をして退院してからちょうど一か月、仕事に復帰してから2週間、硬いコルセットはまだつけたままですが、だいぶしっかり歩けるようになってきました。

今日の午前中には、週一回行っている内視鏡検査(胃カメラ)にも復帰、問題なく8人の患者さんに検査を行うことができました。

職場JISSへの通勤はバスと電車を使っていますが、退院の時に病院の売店で買った折り畳み式の杖が役に立ちます。この杖なかなかの優れもの、手品でつかうステッキと同じ原理で、中にゴムひもが入っていて、4つに折りたたんで鞄にしまうことができます。

職場の中では杖を使わずに仕事ができますが、やはり行きかえりはまだ杖があると楽です。何より、杖を持っているとみんなが何となく優しくしてくれるのがありがたい。

朝の通勤は逆方向なのでだいたい座って通勤できますが、帰りは時間によっては座ることができないときもあります。そして、今まで感じることのあまりなかった「体の不自由な人の気持ち」が少し分かることがとてもいい勉強です。

たとえば今日の帰りは超満員でした。立っていても身動きできないほど。

今の僕ならば20分間立っていることはできるけれども、立っていられない人だったらどうだろう。満員だといくら「優先席」があっても、そもそもそこににたどり着くことすらできないのです。満員になる時間帯では、体の不自由な人にとって「優先席」があっても使えない状況にある、という当たり前のことに初めて気が付きました。「優先席」でなくても、座っている誰かが席を譲ってあげよう、と思っても満員で動けないのだからそれもできません。

ということは、体の不自由な人にとっては満員になる時間帯は電車に乗れないということ。何とかいい工夫はできないかなあ、なんて考えることができるのです。

実際に経験してみる、ってことはすごく大事ですね。

手術の後もとても痛かったし、まだ自由に体を動かせられる状態ではないけれど、「手術をしたおかげでいろんなことが経験できてよかったなあ」と本当に思う私なのでした。