月別アーカイブ: 2011年7月

古橋廣之進先生の座右の銘「泳心一路」

水泳の世界選手権・世界水泳が16日から上海で開催されています。

24日には競泳が始まりますが、来年のロンドンオリンピックを見据えた大事な戦いです。

私が毎日通う国立スポーツ科学センター(JISS)の敷地には、敗戦後の混乱期に競泳で大活躍「フジヤマのトビウオ」と呼ばれ、JOC会長も務められ、2年前ローマでの世界水泳選手権の開催中にお亡くなりになった古橋廣之進先生の記念碑があります。

そこには、古橋先生の胸像とともに、座右の銘だった「泳心一路」が刻まれています。

 

戦争が終わって再び水泳が出来るようになったとき

魚になるまで泳ごう

と思った

私の目標は

世界一

になることだった

だから人の何倍もの練習を苦しいとも思わなかった

人間というのは大きな目標を持って

一筋に努力し工夫し

苦しみにも耐えてこそ

大きく成長していけるものだと思う

泳心一路

古橋廣之進

 

そう刻まれた古橋先生の記念碑、すばらしい言葉です。国難ともいえる大震災のあとだからこそ、とても心に響きます。

競泳の連中も、我々日本人の思いを胸に、きっと戦ってくれます。

がんばれー「とびうおジャパン」、みんなで応援してるよ。

なでしこジャパンの金メダル

サッカー女子ワールドカップ、あの感動的な、なでしこジャパンの初優勝から3日がたちました。

「決してあきらめない気持ち」、東日本大震災の逆境をはね返そうと戦う我々日本人の気持ちと重なり、みんなが感動しました。

「なでしこの皆さん、本当にありがとう」、という気持ちになりました。

なでしこジャパンの初優勝が決まる3日前、日本体育協会と日本オリンピック委員会(JOC)の100周年記念式典のために来日したIOCのジャック・ロゲ会長は「スポーツは被災者に食料や医療をもたらせるわけではない。しかし、喜びと希望を与えることができる」と語りました。そのことを我々は直ちに実感することができました。

選手たちは、試合前に大震災の被災地ビデオを見てから試合に臨んだといいます。選手たちは、被災地の方たちの頑張る姿を見て、力をもらいました。

そして、被災された方たちだけでなく日本人みんなが、最後まであきらめずに頑張って、初優勝という結果を手に入れたなでしこジャパンの活躍を見て、力をもらいました。

これがスポーツの力、スポーツの価値です。

今日、JISSに来た選手に輝く金メダルを見せてもらいました。

このメダルに、どれだけの日本人の思いが詰まっているのだろう。

今度は上海で開催される世界水泳です。

たくさんの日本人の思いを胸に戦う「とびうおジャパン」のみんなの大活躍に期待したいと思います。

今日も松本の街を散策、ああ中身の濃かった大学時代

信州・松本、7時に起床し、ニュースでなでしこジャパン世界一のニュース。あきらめずに頑張ることを体でしめしたなでしこたち。どれだけの人たちが勇気をもらったのだろう。スゴイスゴイ。

さて、今日は写真いっぱいの超大作。自転車を借りて、学生時代を過ごした松本の街を回りました。

まずは、駅前からスタート。民芸レストラン「盛よし」の2階に私がよく通い、ウエイターのアルバイトもやった、バロックが流れてチーズケーキがうまい喫茶店「無伴奏」がありました。マスターもなくなり、店もなくなってしまったけれど、やっぱりここからスタート、原点。

伊勢町を通って中町へ、カレーの「デリー」は昔のまま。その横を通って女鳥羽川沿いの喫茶店「まるも」へ。

ここは松本で初めて女性と一緒に入った喫茶店。モーニングセット500円を注文して、しばし哀愁のカサブランカ。そういえば映画「カサブランカ」を観た縄手の映画館はもうなくなってました。

みどり町には、国家試験の前、そのころの彼女と毎日のように通って一緒に勉強した、というかおバカな私に彼女がいつも教えてくれた喫茶店「アミ」があったけれど、そこは違う居酒屋に。たしか火事で焼けてなくなっちゃったと聞いた。いずれにせよ、私を医者にしてくれた彼女に感謝、感謝。

上土を通って、裏町から日ノ出町へ。生まれて初めて「ネギトロ巻」を食べた「三重鮨」も健在。そして、あの頃ちょうどできたカタクラモールのわきを通って、初めて一人暮らしをした里山辺のアパートを目指します。そういえば横切った「やまびこ道路」は昔は「国体道路」って呼んでたなあ。

あーあった、あった。30年以上経つのに、そのアパートはまだ健在でした。いろいろなことがあったなあ。昨日のことのように、あの建物の中で経験した様々な思い出がよみがえりました。

次いで、あがたの森公園に向かい「旧制松本高校」跡地へ。おひさまの陽子のお兄ちゃんも松高に通ってた。「旧制高等学校記念館」を見学して、「われらの青春ここにありき」の石碑も健在。北杜夫の「どくとるマンボウ青春期」を読んで憧れたバンカラ学生生活。私が信州大学に入学したころは、ここにはまだ「思誠寮」が残っていて、入寮している友人もいました。ちなみに、信州大学医学部バスケットボール部ではコンパのたびに、松高の寮歌「春寂寥」を歌いました。

よし、次は学生時代最後に住んでいたアパートはどうなっているかな、と、開智小学校の裏を目指します。近くに「奈川」って安くてうまいそばやがあったけれど、なくなってた。でもその近くに昔は女鳥羽川沿いにあった蕎麦屋の「もとき」が。でも、僕は「女鳥羽そば」のほうが好き。

「本間のうなぎや」やあのころ可愛いオネエチャンがいて学生に人気があった「丸山歯科医院」も健在、そして、最後の3年間を過ごした「木下コーポ」も健在でした。あの頃立てたばかりの建物で、管理人を兼ねるということで家賃を安くしてもらっていたけれど、管理人らしきことは何もしなかったなあ。ほんとにみんなにお世話になった。再び、旧開智学校の横を通って、やっぱり松本城を一枚。

縄手通りを通って再び中町へ。ここには松本にくると必ず寄る版画ギャラリー「無伴奏」があります。昔はあの喫茶店の中で版画の展示・販売もしていたのだけれど、マスターがなくなってからママさんが中町に店を出しました。久しぶりの再会。お元気。でも7月いっぱいで店を閉めるんだとか。よかった、7月中に来て。30年前初めて買った版画は、秋山巌さんのふくろう「先生と生徒」。1万5千円は学生にとっては大金だったけれど、今でも家のリビングに大切に飾ってあります。ママさん、お元気でね。

そして最後は駅前のとんかつや「たくま」へ。ここは卒業試験の最中に毎週通った店。医学部の卒業試験は2か月近く続き、週に2回のペースでテストがあります。実力のなかった私は「試験にカツ」というゲンを担いで試験前に必ずここでカツを食べました。そうかー、そう考えると何とか試験に通って卒業できて医者になれたのはこの店のおかげでもあるな。感謝、感謝。

店に入って、カウンターに座って「カツカレー」を注文。店のおやじさんは年はとったけれど30年前と同じ顔。味もボリュームも同じでうれしい。

てなわけで、あっという間の4時間でした。やっぱり、大学時代の6年間は本当に中身の濃い、ぎっしり詰まった6年間であったことを実感しました。そして、近くに見える懐かしい山々を眺めながら、「かならず信州に戻ってくるぞー」という思いを強くして、新宿行きのあずさ号に乗ったのでした。

久しぶりの信州・松本

今日は、久しぶりに松本に来ています。

医学部の学生だった青春時代6年を過ごし、たくさんの人生勉強をさせていただいた松本です。

元総務省の防災課長、現在自民党長野県第二選挙区支部長で神奈川大学教授の務台俊介さんのお招きを受け、USTREAMむたい俊介アワーに出演してきました。

スポーツの価値、地域再生とスポーツ、スポーツと健康、そしてスポーツを支える仕組みなどについて務台さんと熱く語ってきました。とても楽しいひと時でした。http://ustre.am/jyRg

対談の後、松本の街をぶらぶらしました。

2年ほど過ごした今町の下宿、丸山フルーツの甘栗工場の二階は27年前のままでした。そのあと西堀から縄手通りを通って裏町へ。

裏町はだいぶ変わっていました。学生時代面倒を見てもらったいくつかの店も、みんな無くなってました。そりゃあそうですよね。

ドッペリ横丁のトリスバー「銀馬車」もすでになく、「パンドラ」は残っていたけれど店は閉まっていました。

しかし、時々通ったジャズ喫茶の「エオンタ」は健在、店に入ると存在感のある大きなスピーカーも昔のままでした。

ジャズの流れる中、ベルギーのビール「ドユーベル」を飲みながら学生時代のいろいろな思い出がよみがえってきました。

エオンタを出て今度は伊勢町から駅前へ。「ずくなし」も「草枕」もまだあったけれど店はしまってた。

そして最後は天神へ。学生時代、ご夫婦に面倒を見てもらった「塚本」はやっぱりもうありませんでした。

さわやかな空気、目の前に迫る山々、手が届きそうな雲やきれいな星、やっぱりいつかは信州に戻ってきたいなあ、と感じながらホテルに到着。

明日は自転車でも借りて、懐かしい場所をもっと回ってみようかな。

湿度の高い状況にも注意!

2011年7月14日フジテレビ「とくダネ!

関東甲信地方は9日、平年より12日早く梅雨明け。埼玉県熊谷市では6月24日、6月の最高気温を更新。熱中症患者も速いペースで増加。

そんな日本の夏に「ゲリラ豪雨」という更なる危険が迫っている。気温が高い今年は、注意が必要。

小松先生は、「気温が低くても湿度が高い状況であれば、熱中症が起こる危険が高くなる」と解説しました。

 

気温が低い日も、水分補給を忘れずに!今年の夏は様々な暑さ対策グッズや暑さを和らげるシャツや下着なども出て来ていますので活用するのもいいでしょう。

関連記事⇒この夏の熱中症対策

熱中症について子供や高齢者の注意点

2011年7月13日日本テレビ「ZIP!

熱中症について子供や高齢者の注意点について、小松先生が電話でコメントしました。

規則正しい生活とこまめな水分補給が大事。特に、子供はしっかり食べて、しっかり寝ること、朝飯を食べないだけで熱中症になる危険が高まります。

高齢者の方は、外出する前、睡眠前にも水分補給を忘れずにしてください。健康な人は水をとりすぎて悪いことは基本的にはないので、積極的に水分をとって熱中症を予防しましょう。

関連記事⇒『小学生諸君、節電の夏、熱中症に備えよう』、『高齢者の熱中症対策について教えてください!

真夏のスポーツに要注意!

2011年7月号

日本生命の情報誌「NISSAYなるほど!ザ・インフォ」

今年も猛暑が予測される中、どんな事に気をつけてスポーツを楽しめばいいのか、小松先生がコメントしています。

その中で、スポーツ活動中の熱中症予防8カ条の紹介や、一見心配なさそうなゴルフやスイミングでも熱中症にかかる可能性があると警告。暑い時の無理な運動は事故のもと、注意が必要です。

関連記事⇒●熱中症予防、集団でのスポーツ活動中はいつでも水分補給ができる環境・雰囲気を!


久しぶりの東京膵臓研究会

先週の土曜日、茗荷谷で「第18回東京膵臓研究会」が開催され、久しぶりに出席、勉強してきました。

スポーツの世界に完全に身を置くようになった6年前まで、私は消化器、特に膵臓や胆嚢の専門家でした。

郵送されてきたプログラムを見たら、座長に東京大学の笹平直樹先生や平野賢二先生の名前が。これは絶対に行かなきゃ、と思いました。

二人のことは、彼らが研修医だったころからよく知っています。まじめで、一生懸命な二人。僕も若かったから、鉄拳制裁で指導したこともあります。その後、我々胆膵グループの仲間になり、いまやその道の立派な専門家です。

二人の晴れ姿を見てきました。立派に座長の役目を果たしていました。そして、研究会の会場は超満員、熱気に包まれていました。

一般にはあまり知られていないかもしれませんが、医学の進歩や新しい知識を仕入れるために、医者たちは仕事が終わった後、身銭を切ってこのような研究会に参加し、日々勉強しています。

東大の胆膵グループの後輩たちも、積極的に質問・発言していました。そんな姿や、立派になった二人の姿を見ながら、「俺もまだまだがんばらなきゃな」と強く感じて、研究会の会場を後にしたのでした。