大船渡を訪れて感じた「これからこそ試されるスポーツの力」

青森市に来ています。

明日から開催される日本臨床スポーツ医学会、学会前日の今日は第一回チームドクター・トレーナーミーティングに出席して勉強です。

昨日は青森に入る途中、師匠の増島篤先生と一緒に被災地大船渡を訪ねてきました。

震災の直後、われわれもスポーツ人として、医者として、すぐ見何かできないかを考え、大船渡市を拠点にJOC医学サポート部会として震災支援を約1か月行いました。

詳細はITメディアエグゼクティブに連載中のコラムをぜひご覧ください。

その時に大変お世話になったのが大船渡の本増寺です。私は2月に腰の手術をして動くことができなかったため残念ながら実際の現場でお手伝いすることができませんでした。いつか必ずお伺いしなければと思っていたので、ようやく実現しました。

新幹線を一関で降りて、レンタカーで陸前高田を経由して大船渡に向かいました。

助手席の増島先生が3月に初めて訪れた時のことを話してくれます。

「ここら辺までは普通の景色、でもこの橋を渡ると見たこともない景色が広がっていたんだよ」

陸前高田に入るとがれきは片付いているものの、大きなビルしか残っていない何もない街並みが目の前に見えてきました。

積まれたがれきを見つめながら、その時を思い出す増島先生。

残った鉄筋コンクリートの建物は、4階まで津波が押し寄せたあとがくっきり。津波の巨大さを実感しました。

再び車を運転して大船渡・本増寺に到着しました。

ご住職はいらっしゃらなかったけれど、スポーツ関係者でもある息子さん、木村文律さんが待っていてくれました。

お寺の中にはジャック・ロゲIOC会長や震災後大船渡を訪れてくれた橋本聖子さん、大山加奈さんなどの色紙も飾られていました。

「岩手県はようやくみんな避難所生活から仮設住宅への移動が終わったけれど、学校の校庭に仮設住宅が作られているため、子供たちがのびのびとスポーツをできるグランドがないのです」と木村さん。

早く何とかしなくちゃね。津波に襲われて何もなくなってしまった空間を本増寺から眺めながら、「せめて建物が建つまでの間、この空間をグランドにすることはできないかなあ」なんて考えました。

本増寺をあとにして、救護活動の拠点になったリアスホールや毎日会議を行った大船渡市役所、県立大船渡病院なども訪れました。

まだ街中には片づけられていない陸に打ち上げられた船も発見、あらためて津波の恐ろしさを感じるとともに、一日でも早い復興を願わずにいられませんでした。

震災後の復旧・復興に少しでも役立てたい「スポーツの力」、その力は今後こそ試されるのだと思います。

実際に被災地を目の前にして、その思いを強くして再び一関から新幹線に乗って青森へ向かったのでした。