ドーハのアジア大会が終わった

2007年1月~カタール、ドーハ・第15回アジア競技大会

―金メダルを逃す瞬間

カタールのドーハで開催されていた第15回アジア競技大会が終わりました。日本選手団が獲得した金メダルは50個で、中国の165個、韓国の58個についで3位。目標であったメダル数は獲得したものの、柔道が不振だったことや団体球技で金メダルを獲得したのが女子ソフトボールだけだったことなど、北京オリンピックに向けた課題も残しました。

私がチームドクターとして帯同した野球チームは、「勝てば金メダル」という台湾との最終戦に逆転サヨナラ負けを喫し、残念ながら銀メダルでした。

全員がプロのオールスターチームの台湾に1点リードして迎えた9回裏、マウンド上には横浜ベイスターズに入団が決まっている日産自動車の高崎投手、スタンドには前日で試合を終え応援に来てくれた冨田選手や水鳥選手など体操の連中の姿もありました。野球が大好きな、「アテネオリンピック栄光の架け橋の金メダリスト」の富田選手、選手村で野球の連中と親交を深め、「台湾戦には応援にいくから」の約束どおり、スタンドから応援してくれていました。

ランナー2、3塁、こん身の力をこめて投じた高崎選手のストレートは無情にもレフト前にかじき返され二人目のランナーもホームを駆け抜け、熱戦が終わりました。マウンド上で泣き崩れる高崎健太郎、それを慰める選手たち、初回から降り続いていた雨はさらに激しくなってうなだれる選手たちに降り注ぎ、わたしもベンチで呆然とそれらを見つめていました。

「この風景、この感触、まったく同じだなあ」。そうです、もう6年も前になるシドニーオリンピック、延長で宿敵アメリカにサヨナラ負けを喫した女子ソフトボールの決勝戦を思い出していました。雨の中舞い上がったフライはレフトの小関選手のグラブから落ちました。泣き崩れるマウンド上の高山樹里、私は今回と同じように1塁側のベンチから呆然とそれを眺めていた。本来の力では劣っているかもしれない相手と互角以上に競い合い、でも手に入りかけた金メダルがするりと落ちてしまった瞬間、泣き崩れる選手たち、降りしきる雨、ベンチでそれを見つめる監督の姿、呆然とそれらを見ている私、すべてが同じでした。

今回のアジア大会、野球の全日本チームは全員アマチュアで大会に臨みました。社会人と大学生のチーム、みんながお互いに声を掛け合い、練習中も大きな声で励ましあい、本当にいいチーム。かたや台湾、韓国はメジャーリーガーも入ったプロ野球オールスターチーム、春に行われたWBC(ワールドクラッシックベースボール)の時とほとんど同じメンバーでした。

韓国戦では今年の韓国プロ野球MVP投手をノックアウトしマウンドから引き摺り下ろし、最後はセーブ王からサヨナラ3ラン、金メダルなら兵役免除のはずだった韓国選手たちの夢を打ち砕きました。台湾戦ももう少しのところだったのに・・・。

結果がすべてのスポーツの世界、「アマチュアが台湾、韓国のプロ野球オールスター軍団と戦っていい試合をした」ではなくて、「いい試合をして、しかも撃破して金メダルを取った」という結果を残したかった。本当に残念でした。同時に、単なるチームドクターでありながらこの場にいられる幸せも、また感じさせてもらいました。

―セパタクローで気分転換

いままでは、オリンピックやなどに行ってもほかの競技を応援に行くということはなかったのですが、今回は野球の連中を連れて「セパタクロー」の応援に行ってきました。張り詰めた気持の中、日の丸を背負って戦う2週間、選手村での共同生活でプライバシーもない。選手たちはものすごいストレスにさらされます。時として、「心のコンディショニング」も必要になります。こんなとき、選手村の外に選手たちを連れ出す引率役はたいがいドクターの仕事。10年前のアトランタオリンピックのときも、気分転換のために町のショーパブに選手たちを連れて行きました。もちろん、監督から「先生、よろしく頼む」と言われてのことですが。

今回のカタール・ドーハではそんなところはありませんから、昼間さわやかにセパタクローの応援です。セパタクローは籐で編んだボール(現在はプラスチック)を使って行う「足を使うバレーボール」のような競技。マレー語のセパ(蹴る)とタイ語のタクロー(ボール)でセパタクローと言うんだそうです。オリンピック競技ではないセパタクローの選手たちにとってこの4年に一度のアジア大会は最高の舞台となります。

セパタクローの第一人者である寺本進選手とは5年前に知り合いました。1994年に広島で行われたアジア大会から日本でも名前が知られるようになったセパタクローですが、そのとき広島の高校のサッカー選手だった寺本選手は広島アジア大会をきっかけにセパタクローに打ち込み始め、現在も貧乏な生活をしながら日本でのセパタクローの普及に一生懸命です。彼の頭は長い競技生活でボコボコに変形し、いつでも誰にでもセパタクローのことを話せるように、必ずボールを持ち歩いています。

初めて生で見たセパタクロー、そのスピード、迫力に驚きました。野球の連中と声をからして応援しました。これからもセパタクローや寺本を応援したいと思いました。

やっぱり、今回のアジア大会も、とっても楽しかったなあ。