月別アーカイブ: 2012年5月

「体操のNHK杯」、みんなオリンピックに出場させたかった!

5月4日、5日と第51回NHK杯が開催され、代々木体育館に行ってきました。

オリンピックに出場する選手を決める大会。

いつもの大会帯同と違って今回は観客席から観戦。

みんなよく知っている選手たちだから、みんなを応援しました。

でも、男女とも5人ずつを選ばなきゃあいけない厳しい世界。

そして誰が代表になってもおかしくない熾烈な争い。笑顔、そして悔し涙もありました。

残念ながらわずかの差で女子代表に届かなかった笹田夏実選手、お母さんは幻のモスクワオリンピック代表の加納弥生さん。

笹田選手とは2年前の夏シンガポールで行われた第1回のユースオリンピックで一緒でした。

たしかユースオリンピックでも、笹田選手はわずかの差で金メダルを逃してしまいました。

そして今回も、わずか0.4点差、悔しいだろうね、でも若いからもっともっと練習して、これからの女子体操を背負う選手になってほしい。

やっぱりわずかの差で代表になれなかった鉄棒のスペシャリスト、植松鉱治選手。

彼はちょうど1年前ひざの大けがで手術、焦る気持ちを抑えながら持ち前の明るさで前向きに黙々とリハビリして、何とかロンドンの選考会に間に合った。

そして、わずかの差、試合後の植松の涙を見てジーンときちゃった。

最後の床で痛恨の手をつくミスでオリンピックを逃した沖口誠選手。

今までにオリンピックや世界選手権の舞台をたくさん経験して百戦錬磨の沖口でも、やっぱり普段通りいかなくなっちゃうのが4年に一度の世界なのかなあ。

オールラウンダーとしてオリンピックを目指した大学1年の野々村笙吾選手。

昨年の東京での世界選手権で補欠としてみんなと一緒に行動して、先輩たちがとった団体の銀メダルを胸にかけてもらった姿を思いだしました。

きっと、「来年のオリンピックこそ自分が出場してメダルを!」と思っていただろうね。

昨年の世界体操のキャプテン、小林研也選手。今回もしっかり自分の体操をしてた。よくやったぞ。

やっぱり、残念ながら涙をのんだ連中のことばかり書いちゃった。

でも「誰が代表になってもおかしくない」ていうのは、それだけ体操ニッポンの層が厚いということ。

もちろんオリンピック代表に決まった10人のみんな、本当におめでとう。優勝した内村航平選手、田中理恵選手も本当におめでとう!

たくさんの人たちの思いも胸に、ロンドンではぜひ力いっぱい戦ってほしい。

そして、惜しくも代表になれなかったみんな、ロンドンまでに何があるかあわからないからね、これで気持ちを切らさずに、いつでも出られる準備をしていてほしい。

選手たち、そしてスタッフのみんな、本当にお疲れさまでした。

僕も、団体金メダルの目標に向けて、全力でサポートします。

ロンドンオリンピックが近づいてきました!

こんにちは、セクレターKです。4年に1度のスポーツの祭典「オリンピック」。その第30回目となる大会が、イギリス・ロンドンで開催されます。ロンドンでの夏季オリンピック開催は史上初の3回目。みなさんも今からワクワクしているのではないでしょうか? 開催期間は7月27日から8月12日の17日間です。

実施されるのは26競技、302種目にもおよびます。「競技と種目ってどう数えるの?」と疑問に感じ、改めて調べてみました。

競技は、陸上、水泳、サッカー、テニス、ボート、ホッケー、ボクシング、バレーボール、体操、バスケットボール、レスリング、セーリング、ウィエトリフティング、ハンドボール、自転車、卓球、馬術、フェンシング、柔道、バトミントン、射撃、近代五種、カヌー、アーチェリー、テコンドー。

野球とソフトボールは今回から、残念ながら除外されてしまいました。この二つに入れ換わって空手とスカッシュが候補にあがっていたそうですが、今回は採用されていません。

競技の中で、普段聞き慣れない「近代五種」も気になったので調べてみました。これは、1人の選手が1日に、射撃、フェンシング、水泳、馬術、ランニングと五種目に挑戦するというもの。しかも、 競技は午前7~8時の射撃からはじまって、最終のランニングを終えるのは午後6時過ぎになるというのですから、想像を越える過酷さ!さらに、幅広い運動能力が問われる鉄人競技。今年は、日本人初の女性選手となる、黒須成美選手と山中詩乃選手の2名が挑戦しますので、注目です。

種目とは、たとえば水泳だと、自由形をみても、50m、100m、200m、400m、800m、1500mと距離も様々。更に、個人メドレーやリレー、そして男女も分けて数えられます。水泳競技の中には、飛び込みやシンクロナイズトスイミングも当然ながら含まれているので、水泳だけでも46種目になります。また、バレーボールではビーチバレーも含まれ、男女合わせて4種目ということになります。ちなみにビーチバレーの会場は、ロンドンの中心にある、ホーズ・カーズ・パレードという広場で行われます。普段は近衛騎兵の交替式がみられるこの場所に砂をひいたビーチバレー会場が登場するそうです。

体操、レスリング、男女サッカー、水泳、マラソンなど、次々とオリンピックへの切符を手にしている日本選手達。その勇姿をみんなで応援しましょう。

サマータイムのロンドンは日本より8時間遅れなので、今から寝不足が心配ですが、日本人選手の活躍から目が離せません。個人的には、開会式にどんなアーティストが登場するかにも、かなり期待しています!

● ロンドンオリンピック2012

稲葉篤紀選手、2000本安打おめでとう!

プロ野球、日本ハムの稲葉篤紀選手が4月28日に通算2000本安打を達成しました。

本当にすごい記録だと思う。

たくさんの野球選手を見てきたけれど、才能があって期待されても、プロで活躍できる選手はごくわずかです。

そんな中、大きなケガなく、長く活躍できなければ達成できない偉業、本当に素晴らしいと思います。

稲葉選手とは2007年台湾で行われた北京オリンピックアジア予選、2008年の北京オリンピック、そして2009年の第2回のワールドベースボールクラッシックと一緒でした。

派手ではないけれど、まじめで一生懸命で、本当に「いい人」、みんなが感じる稲葉篤紀そのものです。

北京オリンピックで思うような戦いができず、日本への帰路につく途中、北京の空港内のシャトルバスで隣に立っていた稲葉選手が私に言った言葉を思い出しました。

「本当に疲れました。でも、こんな厳しい戦いをアマチュアの選手たちは毎日しているんですよね」

北京オリンピック、みんな必死に頑張っていました。

毎日試合をしているプロの選手たちも、「本当に疲れる」くらい必死に戦っていました。

稲葉選手のこの言葉を聞いたとき、「やっぱり彼はオリンピックに出場する意義を考えて、ほかのオリンピック選手やアマチュア野球の選手たちの思いも胸に戦っていたんだなあ」と感じたのです。

ちょっとうれしくなった瞬間でした。

勝つことが大変なことも、努力をしなければいけないことも、結果を求められることも、それはアマもプロない、同じだと思います。

そんな世界で長く続けられたものだけが達成できる偉業2000本安打、本当におめでとう!

いつの日か野球がオリンピックに復活したら、選手として、いや監督かな、日の丸を背負ってまた一緒に戦いたいなあ、と感じたのでした。

スポーツ選手と食べること

2006年10月「e-resident」掲載~~中国広州・レスリング世界選手権

いま、レスリング会場の体育館のスタンドでこれを書いています。現在、中国の広州でレスリングの世界選手権が開催されていて、ドクターとして帯同しているのです。

大会は9月25日から始まりました。男子グレコローマン、男子フリー、女子の順番に試合が行われます。昨日まで、わが日本選手の成績はいまいちでしたが今日は男子フリー60kg級の高塚選手ががんばり、夕方の銅メダルをかけた戦いに挑みます。何とかメダルをとって日本選手団に勢いをつけてもらいたいと思います。

世界最強のレスリング女子軍団も昨日到着しました。先ほど練習会場に顔を出してきたのですが、浜口選手も吉田選手もみんなとても元気でした。今回もいつものように金メダルラッシュを期待できると思います。

―レスリングと減量

午前中の試合が終わり今も試合会場に待機している理由は、午後3時から明日の試合のメディカルチェックと計量が行われるためです。メディカルチェックとは試合前に皮膚の感染症などがないかをドクターにチェックされること。また、減量は体重別競技にはつき物ですが、レスリングの場合には前日に計量が行われるという特徴があります。

計量が前日の午後行われ、試合は翌日の朝からなので計量にパスしてから試合までに18時間くらいあります。その間に選手たちは少しでも「体重を元に戻す」ことができるのです。選手によっては1週間に10キロ近くの減量を行う選手もいます。ただし計量後1日で5キロ近く体重を元に戻すことのできる選手もいます。特に最後の1-2日は、「脱水と腸内容の虚脱」による体重減少がほとんどですが、このような「急速減量」は医学的にいいはずがありません。しかし、選手にとっては「力や体調を落とさずに試合のときには少しでも重くなる」ことが重要で、すなわち、「1日で少しでも体重を戻せるかどうか」が大きなポイントになります。

計量後直ちに選手たちは食べ始めます。レスリングのコーチたちは「強い選手は計量後しっかり食えて体重を戻すことができる」といいます。すなわち、しっかり食えるかどうか、胃腸が丈夫かどうか(ちょっと医学的な表言い方ではありませんが)、がレスリング選手にとっては大事なのだそうです。もちろん、脱水がひどい場合には、われわれが点滴などで手伝うこともあります。しかし、食えなくて点滴をしなければいけない選手ではだめなのかもしれません。ちなみに、世界最強の女子レスリングの連中は計量後の点滴などはめったにしません。

―口から食べられなきゃだめだ

「食えない選手はだめだ」これは医学的にも正しいことだろう、と想像できます。今までたくさんの患者さんを見てきましたが、やはり食べられなくなってしまったらだめでした。術後や病気の回復なども口から食事を取れる患者さんのほうが早く回復します。いくら、点滴や経管栄養などでカロリーや栄養を補ってやっても、「口からとること」にはかないません。「食事」というものがいかに大事なものかというのは経験的に明らか。そしてそれはスポーツ選手でも同じです。

―スポーツ選手とサプリメント

そのように考えると、スポーツ選手ですぐ頭に浮かぶのが「サプリメント」です。世の中には、ビタミンやミネラルの類からプロテインや怪しい健康食品、様々なサプリメントが氾濫しています。実際、多くのスポーツ選手がサプリメントを使っています。

理論的には必要な栄養素やビタミンなどをサプリメントだけでとるのは可能です。しかし、「食事」というのは、見たり、味わったり、においをかいだり、なにより「食事をする楽しみ」がある。つまり「栄養を身体に入れること」ではなく「食事をすること」が、人間の身体に様々なよい影響を与えているのだと思います。

ですから、スポーツ選手も「基本は食事」。サプリメントは様々な状況において食事を補うものととらえて、しっかりした知識をもって摂取することが大事です。私がいる国立スポーツ科学センター(JISS)の栄養指導室のスタッフも常々「食事の大切さ」をスポーツ選手に指導してくれています。

「食は広州にあり」といいますが、ここ中国・広州には伝統的な食文化があります。昨日も、一緒にドクターとして帯同している私の師匠、東芝病院の増島篤先生と広州の街中をぶらぶら食事に行きました。様々なものを料理していて、見ているだけでもとても楽しい。一杯5元(80円くらい)の水餃子を食べた後、薬屋さんに入って見物、へとへとの私は元気の出そうな漢方のドリンク剤を思わず買ってしまいました。「サプリメントに頼るな」などと書いておきながら、だめ医者ですなあ。

ちなみに、私が買ったドリンク剤は「梅花鹿茸血」という名前でしたが、このドリンク剤に含まれている、「鹿茸(ロクジョウ)」という成分はドーピング禁止薬物です。日本で売られている滋養強壮剤の中にもこの鹿茸(ロクジョウ)を含むものがあるので、注意が必要です。スポーツ選手がサプリメントをとる際には、ドーピングの知識もなくてはいけないのです。そのうちドーピングの話もしたいと思います。

インドでいろいろ考えた

2006年9月「e-resident」掲載~第3回アジア体操選手権大会

7月30日から8月3日までインドのスーラトで第3回アジア体操選手権大会が開催されました。私も、7月25日から8月5日までチームドクターとして日本チームに帯同してきました。この大会では男子体操、女子体操、女子新体操の各競技が行われ、日本も全種目にエントリーしました。「なぜインドで体操の試合?」という感じですが、今回の遠征でも、たくさん考えさせられることがあり、私もとてもよい経験になりました。

-ようやくたどり着いたインド

実は私も学生時代は「バックパッカーもどき」でした。あのころの定番は、まずバンコク往復の格安チケットを手にいれ、バンコクに到着後バックパッカーたちのたまり場の安宿、マレーシアホテルに向います。そこで、バックパッカーたちの情報を手に入れ(どこに行けば面白いとか、どこに安く行くにはどうすればよいかなど)、近くの雑貨屋さんでバンコクからの航空券を買います。バンコクにはたくさんの路線が入っていたので、この方法が一番安上がりでした。当時、多くのバックパッカーたちはインドを目指していました。しかし、私が貧乏旅行に目覚めた1983年ころ、いままで団体旅行者にしかビザが下りず、一人では入国できなかった中国に香港を経由すれば一人でも入国できるということを誰かが発見しました。以来バックパッカーたちは「バックパッカー未開の地中国」を目指し始めました。予定表も何もない気ままな貧乏旅行、観光客もいない土地での人々とのふれあい、とても魅力的でした。私は、毎年東医体が終わったあとの夏休み1ヶ月ほどを利用して、中国、ネパール、ビルマ、タイなどぶらぶらして…。そして、次はインド、と思っていたのにそのまま医者になり、貧乏旅行などできる暇はなくなってしまいました。とうとう、インドにいけることになったのでした。

-やはりインドは大変なところだった

前置きが長くなりました。シンガポールを経由しインドのムンバイ到着後バスで揺られること7時間、くたくた状態でスーラトに到着。着いた途端インドの民族舞踊などでの大歓迎!現地の人たちがこの大会のために一生懸命やってくれている姿を見て疲れも吹き飛びます。しかしそのあと到着した選手村でまたびっくり。4人部屋なのにベッドが3つしかなく(二人はダブルベッドで一緒に寝るらしい…)、シャワーもなくてどうやら水道の下にある大きなポリバケツを使ってギョウスイをしなければいけない。おまけに私は、ウズベキスタンのコーチと同じ部屋に泊まることになっていました。実際、ウズベキスタンのコーチは現れませんでしたが、ベッドの上をゴキブリが行き交い、食事は毎日、カレー、ナン、カレー、ナンと続きます。ある日には深夜に大雨が降り、それが部屋に入り込んで部屋の中は大洪水、スタッフのパソコン一台がお釈迦に!私はそれなりにワクワクの連続で楽しかったのですが、しかし、とても快適とはいえない環境の中、大きな病気や怪我もなく選手たちは実力を出し切りました。

―どんな環境でも自分の力を発揮する

チームに帯同するドクターの一番大きな仕事は、選手たちがベストの身体や心の状態で試合に臨めるように手助けすること。そして、今回の遠征でも選手がベストの状態で試合に臨めるよう、選手をとりまくスタッフ、マネージャーがいろいろ考え、行動している姿を眼にし、「だから日本の体操は強いんだ」と改めて感じたのでした。選手たちのコンディショニングを担っているのは、それぞれの役割を理解しながら裏方に徹しているスタッフみんななのです。

大会中の日程や移動などは大会の組織委員会の人間が担当します。今回も、組織委員会のボランティアたちがこのような大きな大会に不慣れなせいもあり、たくさんの不手際がありました。移動のバスが時間を過ぎても到着しない、表彰式をやるから集まれといわれたのに3時間待った挙句、結局「やはり表彰式は明日にする」といわれたり、まあ上げればきりがないほど。このような場合、「言うべき人に対して、きちんと主張すべきことを主張する」ことと、同時に「まあこんなもんか」と割り切る心の余裕も大切です。愚痴だけ言っていても何もよくなりません。

今回の大会ではクナルとダバラという二人の学生が日本選手団に付きっ切りで世話をしてくれました。彼らを味方につけるのも作戦。途中からは毎晩われわれの部屋でお互いの国の、「とても人前では叫べない言葉」を教えあって大騒ぎ。下ネタというのは各国共通のようです。二人とも日本選手団のためにとても一生懸命やってくれました。

また、日本の選手たちも立派です。劣悪環境の中、誰一人、文句も愚痴も言わず、同世代の若い女の子なら「もー、しんじられなーい。こんなとこで試合なんかできなーい」などと言っちゃいそうなところですが、新体操の美女軍団たちも平気な顔をしていました。さすが、新体操美女軍団恐るべし、です。

結局、世界に通用する選手というのは、どんな環境であっても自分の力を発揮できる選手なんだろうなあ、と改めて感じました。

もし今これを読んでいる研修医諸君がいたら、いろいろな環境の中で研修していると思います。人によっては、「自分の考えている病院と違った」「先輩が何も教えてくれない」「やらされるのは雑用ばかりだ」など、様々な不満もあるでしょう。でも、体操の選手たちがそうであったように、大事なのは、「今与えられている環境の中で何ができるか考えて、最大限の力を発揮すること」。どんな環境でも、愚痴を言わずに、すべて経験だと思ってがんばっていれば必ず誰か見ていますし、必ず自分のためになります。

ちょっとこじつけてしまいましたが、一流の選手たち、一流の指導者たちと一緒にいると、本当に勉強になります。

やはり、スポーツドクターは楽しい。

先生、医学的にはどう思う?

2006年8月「e-resident」掲載

―スポーツの意義

日本のスポーツが強くなることは、我が国にとってとても大事なことだと思います。経済効果云々は私にはよくわからないけれど、スポーツが世の中を良くすることは間違いない。ところで、皆さん、スポーツ振興基本計画というのをご存知ですか?これはスポーツ振興法の規定に基づき平成12年に10年計画として策定されたものです。

私が現在勤務している国立スポーツ科学センター(JISS)も、スポーツ振興基本計画に基づき、国際競技力向上のための中核的役割を担うために平成13年に設立されました。また、これに基づき、平成19年度中には、JISSに隣接して、ナショナルトレーニングセンターが完成する予定です(平成21年5月より「味の素ナショナルトレーニングセンター)。興味のある方はじっくり読んでいただくこととして、このスポーツ振興基本計画では、はじめに「スポーツの意義」を唱えています。「スポーツは、人生をより豊かにし、充実したものとするとともに、人間の身体的・精神的な欲求にこたえる世界共通の人類の文化の一つである。心身の両面に影響を与える文化としてのスポーツは、明るく豊かで活力に満ちた社会の形成や個々人の心身の健全な発達に必要不可欠なものであり、人々が生涯にわたってスポーツに親しむことは、極めて大きな意義を有している・・・」と続きます。具体的には、「青少年の健全育成、コミュニケーション能力の育成」「心身の健康保持の増進」「スポーツ振興による経済効果、医療費の削減」「地域社会の再生、連帯感」「世界共通の文化として国際親善や友好」などが書かれています。

まあ、これ以上書くと、ほとんどお役人の答弁のようになってしまうので、このくらいにしておきますが、素直に読むと「なかなかいいことが書かれているなあ」と感じます。

では、日本のスポーツを強くするためにどうしたらよいか。一言で言うと「日本が強くなるためのシステムづくり」だと思います。日本がいきなり貧困になったり徴兵制をひくわけにはいかないけれど、「スポーツを始めるきっかけ作り」「強くなるための支援体制」「選手を辞めたあともきちんと食べてゆける仕組み」などなど、選手が常に強い「やる気」をもって競技生活を送るための体制を作ってやらなければいけないと思います。JISSにいると、日本のオリンピック選手たちがいかに貧乏かがよくわかります。なんとかしてあげなくちゃね。

―名監督も悩む

今回は「ドクター、医学的にはどう思う」の話をしましょう。実はこの言葉、今までに2回聞いたことがあります。

最初はアトランタオリンピックの選手村で、開会式の前日。私は野球チームのドクターとして帯同していました。この時の全日本野球チームは全員アマチュアでしたが、今思えば、相当豪華な顔ぶれ。ホワイトソックスの井口、ソフトバンクの松中、阪神の今岡、中日の福留、オリックスの谷など現在プロで活躍している選手がたくさんいました。監督は川島勝司監督、アマチュア野球界の名将です。その監督が、選手たちをオリンピックの開会式に出させるかどうかで悩んでいました。オリンピックの開会式は、選手たちのコンディションを考えると相当問題があります。アトラクションの間は2時間ほど開会式場の近くで待たされ、それから入場行進、そのあとも会場内で式が終わるまで立ちっぱなし。終了後も、選手、役員全員が一斉に選手村に戻るので、なかなかバスにも乗れず…。アトランタオリンピックのときは夕方の5時ごろに選手村を出て、開会式を終えて選手村に戻ったのは明け方の4時でした。この時の野球チームは開会式の翌日のナイターでオランダとの初戦が予定されていました。監督としては、「選手の肉体的コンディションを考えると開会式に出させたくないが、オリンピックの雰囲気を味あわせることは逆に精神的にはプラスになるかもしれない。どうしよう」ということだったのでしょう。そして、悩んだ挙句私に、「ドクター、医学的にはどう思う?」と聞いたのです。私は、「医学的にどうかの問題ではありません。監督が決めてください」と答えました。川島監督の迷った姿を見たのは初めてでした。

次は、2000年のシドニーオリンピック、ソフトボールのアメリカとの決勝戦が始まる3時間前。日本チームは、予選で宿敵アメリカを倒して全勝で決勝トーナメントに進出、準決勝でオーストラリアを撃破し、悲願の金メダルまであと一試合、監督はあの宇津木妙子監督。いつもは試合前、サブグランドでのアップ前に宇津木監督からスタートメンバーが選手に告げられていました。しかし、決勝戦の日だけは、宇津木監督は野手のオーダーを告げたあと、「先発ピッチャーは30分後に発表する」と言ったのです。いつもと違う、と私は感じました。そのあと、練習中に、私に近づいてきた宇津木監督は「先生、先発、増渕か高山か、医学的にはどう思う?」と聞いたのです。私は、「医学的も何もないです。それは監督が決めてください」と答えました。結局増渕選手が先発しましたが、その試合前の迷いが、試合中まで続きました。好投した増渕選手はたった1本のヒットで同点に追いつかれ高山選手に交代、延長戦に突入し、降りしきる雨の中サヨナラ負けで金メダルを逃しました。宇津木監督自身はあとでこのように語っています。「1点を先行したあと高山選手に交代すると決めていた。しかし、どういうわけか、それができなかった。悔やんでも悔やみきれない」。

普段はそんな「迷う姿」など見たこともない二人の大監督。それだけ、オリンピックの舞台というのは大変なものなのでしょう。お二人とも、本当に医学的根拠を聞きたかったとはとても思えません。「誰かに何かしゃべりたかった」のだと思います。そんな迷った姿を選手たちに見せるわけにいかない。野球界やソフトボール界とは大して関係のない私だからこそ聞いたに違いありません。私の答えは、二つとも同じものでしたが、もちろんドクターとして「医学的にはこう思う」と語らなければいけないときもあります。監督との信頼関係があったからこそ、監督の質問の意味を即座に理解し、「それは監督が迷わず決めるべきだ」と答える事ができたと思っています。お二人とは、いまでも年に数回はお会いしていますが、必ずこの話になります。

スポーツドクターっていろいろな経験ができて楽しいです。

結果がすべてか?

こんにちは、セクレタリーKです。みなさま、GWはいかがお過ごしでしょうか? イギリスロンドンで開催される、夏季オリンピックがいよいよ近づいてきました。開催期間は、7月12日から8月12日まで、大会に向けて選手たちは、今日もトレーニングを続けているはずです。そして、今回は第30回の記念すべき大会。大いに盛り上がることでしょう。イギリスはちょうどサマータイムの時期なので、日本との時差は8時間遅れになります。寝不足が心配ですが、日本選手の活躍を応援したいです。そして、小松先生も日本選手の活躍を陰で支え続ているひとり。今回から数回に亘り、過去の帯同エッセイをご紹介していきます。「スポーツドクター」のエッセイで、みなさんも当時の熱くなった試合を思い出してください。

2006年7月「e-resident」掲載~第1回ワールド・ベースボール・クラッシック

―世界一を経験して

今年の3月、チームドクターとして帯同したワールド・ベースボール・クラッシック(WBC、よく考えたらWBCといえばといえば普通「白血球(White Blood Cell Count)」ですよね)で、我が王JAPANは見事初代世界一に!私自身それまで世界一を目指した舞台を3回経験させていただいていますが、初めて世界一のチームの一員になることができました。

最初は、1996年、野球チームに帯同したアトランタオリンピック、一度は同点に追いついたものの最後はキューバの底力で引き離され銀メダル。次は2000年のシドニーオリンピックのソフトボール、熱戦の末アメリカに延長さよなら負けした瞬間をベンチから呆然と眺めました。そして、2004年のアテネオリンピック、今度こそアメリカを倒して金メダルと臨んだソフトボールチーム、オーストラリアに破れ決勝に進めなくなった…。ベンチ裏での宇津木監督の涙、今でも目に焼きついています。何より私自身のアテネでの悔しさ、「もっと何かしてあげられなかったのか」という思いが、スポーツ医学の世界に身をおこうと本気で考えるきっかけとなりました。

今回、初めて世界一を経験し、一番感じたことは「やはり結果が大事なんだなあ」ということ。二次リーグで韓国に負け皆でやけ酒をあおった翌日、もしメキシコがアメリカに負けていたら帰路に着くことになっていました。そうなっていたら、おそらくマスコミからもぼろくそに言われていたことでしょう。それまでの過程がまったく同じでも、結果次第で評価される世界であることを痛感したわけです。もちろん、監督、選手たち、スタッフ皆が世界一になるためにがんばっていたし、準決勝、決勝の戦いもすばらしかった。ただ、チームとしてはいくつかの問題点もあったと思います。私自身も反省すべきこともあります。しかし、優勝によってすべて帳消しに。「がんばってやっていたこと」いう過程ではなく、「がんばってやって、しかも世界一になった」という結果が評価され、その事が人々に感動を与えたのです。この「結果がすべて」という事に関しては、私自身素直に納得できない気持ちもありますが、やはりスポーツの世界では結果を出さなければいけないという事がよくわかりました。だから、多くの選手たちが苦しんで、苦労しているのです。

―結果を出すために

当時、その1年前まで私は胆膵疾患を専門とする消化器内科医でした。胆膵疾患の中でも「膵臓がん」はいまだに難治性の癌として有名です。これだけ画像医学が進歩しても、早期に発見できて手術できたと思っても、いまだに5年生存率は限りなくゼロに近い。すなわち「完治する」という結果が出せない病気です。多くの膵臓がんの患者さんを診てきましたが、完治するという結果が出せたのは数人。それでも、痛みをとる、不安をとる、少しでも長く家族と過ごせる、といった結果を出していたような気はするけれど、やはり、「がんばって治療しました」じゃあだめで、「完治する」という結果を出さなければ、結局患者さんは満足していなかったのかもしれません。でも、緩和治療もとても大事だし、完治できなくても、がんばって治療したということを多くの患者さんやそのご家族は評価してくれたようにも思うし、あー、書きながら自分でもわからなくなってきちゃった。まあ、消化器を無責任に離れてしまった私にそんなことを語る資格はないか。

いずれにせよ、どの世界も結果を出すということを目標に努力しなければいけない、ということなんでしょうね。私も、選手たちが世界の舞台で勝つという結果を出すために、陰でスポーツ選手を支える力になりたいと思います。まだまだこの世界は人材不足です。「スポーツを支える」仲間をもっともっと増やすために、これから若い研修医、学生諸君にこの世界のことを宣伝していきたいと思います。