オリンピックの名言

2008年5月「e-resident」掲載~プロ野球のドーピング検査

―有森裕子さんとの思い出

今回はプロ野球のドーピング検査に向かう新幹線の中で書いています。

先ほどまで読んでいた週刊誌の写真特集で、「五輪の記憶―今だから話せる秘話満載!-」という特別企画がありました。企画の中では、名選手が生んだ「オリンピックでの名言」もいくつか載っていました。有森裕子さんの「初めて自分で自分をほめたいと思った」、千葉すずさんの「楽しむつもりで泳ぎました」などなどです。どれもオリンピック期間中での言葉ですから、選手村の中にいた私は、それらの言葉が、日本でどのように報道されたかは日本に戻ったあとで知りました。とくに、アトランタ、シドニーまではインターネットも大して普及していませんでしたから、おもな情報源は1日遅れで見ることができる日本の新聞くらいでした。オリンピックの選手村ではユニットごとにテレビのあるリビングがあるのですが、そこでは各競技会場の画面やその国の番組が流れていて、日本の放送は見ることができないのです。アテネオリンピックの時も、リビングで何の解説もない体操会場の画面を眺めながら、「どうやら日本男子は金メダルを取ったみたいだぞ」てな感じでした。スポーツ番組というのは、アナウンスや解説がとても大事、というか良くも悪くもそれに頼っている、ということを実感できます。

さて、私が初めて野球のチームドクターとして参加したアトランタオリンピック、日本選手団が帰国の途に就く際、選手村の宿舎の前で有森さんと話したことを思い出しました。

見事な銅メダル、しかも2大会連続のメダルを手にし、「初めて自分で自分をほめたいと思った」と語った有森さんはさわやかな顔で私に言いました。

「自分のために、そして楽しんで走らなきゃ」

有森さんだって、オリンピックを楽しもうと思ってレースに臨んだのです。「楽しむとは何事だ」と非難された千葉すずさんと変わりありません。

―心の余裕

どうして有森さんとこんな話になったかというと、私自身がはじめてのオリンピック帯同、選手村生活で、「選手たちが日の丸、国民の期待を背負い、4年に一度の大会で戦うというのはこんなに大変なことなのか」と肌で感じたからです。

野球チームは結果的には銀メダルを獲得しましたが、予選リーグで3連敗し、もうこれ以上負けられないという状況になりました。みんなの顔から笑顔は消え、選手同士や選手と首脳陣がギクシャクしたりもしました。とても、「楽しむ」というような状況ではなくなりました。それぞれにたまった「愚痴」を聞くために、選手たちや監督コーチの部屋を回るのが私の仕事でした。そんな中、エースである杉浦正則選手の気迫あふれた好投をきっかけに、チームの雰囲気ががらりと変わり、準決勝、決勝では、野球の本場アメリカで、「試合を楽しむ」雰囲気がありました。決勝ではキューバに惜しくも敗れましたが、皆が十分に力を出し切った満足感がありました。

力を出し切るには、平常心や試合を楽しむような心の余裕が絶対に必要です。もちろん適度な緊張感も必要なのでしょうが、プレッシャーで押しつぶされて普段の力を発揮できなかった選手たちもたくさん知っています。ですから、千葉すずさんは、「楽しむくらいの心の余裕をもって試合に臨みたい。いろいろとプレッシャーのかかることはなるべく言わないでくださいね」くらいの気持ちだったのだと思います。私の知る限り、ほとんどの選手が日本を代表してここにきているという強い責任感を持ち、また出たくても来ることができなかったライバルたちや、世話になった家族や恩師、友人のためにも頑張らなければいけない、という思いで戦っています。ですから、よく勝利後のインタビューで選手たちの口から出る、「支えてくれた人たちみんなに感謝したい」という言葉は選手たちの正直なそのままの気持ちであって、決して気を使って発した言葉ではないのです。アルベールビルオリンピックの時、金メダルを期待されながら銀メダルに終わった伊藤みどり選手の、「申し訳ありませんでした」という言葉も、当時は「そんなこと言う必要ないよ。立派な銀メダルじゃあないか」と思ったけれども、今思えば、支えてくれた人たちの期待に添えなかったという思いがただ正直な言葉で出たのだと思います。

そもそも、「楽しい」って思えることがなきゃあ、全てを捨てて競技に打ち込むなんてことやってられないですよね。そう思うと、われわれ医者もたぶん同じです。真夜中に起こされても、家族が犠牲になっても、「楽しい」からやっていけるのです。だから、「医療崩壊」の最大の要因も「楽しい」と思えることが少なくなっちゃったからでしょう。医療の世界が、また「楽しい」と思える心の余裕を取り戻せるかが一番のポイントだと思います。

皆さんもぜひ医者を楽しんでください。楽しむことは決して医学にまじめに取り組まないことではないはずです。

僕はいつでも楽しいですよ。