宗リンズ

2008年1月「e-resident」掲載

―川崎宗則選手率いる野球チーム

先月号で書いた星野ジャパンの台湾でのオリンピック予選、無事にオリンピックの切符を獲得できて、本当にホッとしています。監督も選手もきっと「うれしい」というより、「ホッとした」というのが正直なところだと思います。

それにしても「絶対に負けられない試合」というのは、想像を絶するものでした。優勝した2年前のワールドベースボールクラッシックの時とは、チームの緊張感や雰囲気がまったく違いました。星野監督の「近過ぎず遠過ぎず」という存在感や言動はとても勉強になりましたし、宮本キャプテンもうまく力が抜けて、ベテランと若手をまとめていました。チームがギクシャクした感じはまったくありませんでした。

しかし、いつもお話するように「結果がすべて」の世界です。勝てたからこそ、「あれもこれもよかった」ということになりますが、負けていれば、同じことがマスコミ的には「敗因」にされてしまう。そのことをみんながわかっているから、勝てたことにホッとしているのです。自分の専門分野の面からいえば、やはり、「客観的な勝因や敗因の分析」が必要ですが、今回のチームには、そのような能力も備わっていたように思います。

いずれにせよ、勝てて本当によかった。

帰国後、忙しい合間を割いて先週は福岡に行ってきました。仕事ではなく、自分が野球に出場するためです。我々のチームの名前は、「宗リンズ」。そうです、ソフトバンクホークスの川崎宗則選手がオーナーで、さらに監督兼ピッチャーという軟式野球チームの試合。

川崎選手とは2002年11月にキューバで開催されたインターコンチネンタルカップからの付き合いです。この国際大会では成長が期待される若手プロ選手を中心にチームが編成されました。予選リーグで敗退してしまったため予定を早めて帰国した日、川崎選手がホテルのロビーで、何となくさびしそうにしていました。当時はまったく無名で、東京にもほとんど来たことがない川崎選手でしたから、どこに行けばいいかわからない、という感じでした。「飯食いに行こうか」と誘って、すし屋に行って、そのあと六本木に繰り出して盛り上がりました。まじめな話もしました。その後はご存じの大活躍で一躍スター選手に駆け上りましたが、無名時代からの付き合いということもあって、仲良くさせていただいています。年は離れていますが、爽やかで、礼儀正しい好青年で、なによりも決して驕ることなく真剣に野球に取り組む姿が私は大好きです。

―ナナバン、セカンド、コマツ

川崎選手は、ファンサービスも兼ねてシーズンオフに「宗リンズ」を結成します。チームの面子は川崎選手と仲の良い野球選手や元野球選手、トレーナーや道具係などの裏方さん、川崎選手が慈善事業で世話になっている会社の会長さんなど。その一員として私も加わらせていただいています。昨年の12月、「宗リンズ」はバレーボールチームを編成し、福岡の女子高のバレーボールチームと試合をしました。さすがに本チャンのバレー部は強くて惜しくも敗れました。そして今年は、宮崎県の東国原知事率いる、「そのまんまーず」と、ヤフードームで軟式野球の試合をしました。

私も川崎宗則監督から、「12月に試合をするからしっかりと練習しておくように」といわれ、監督の命令どおり、星野ジャパンの宮崎合宿や台湾遠征の際も、外野での玉拾いやトレーニングに精を出していたわけです。

試合は川崎投手、東国原投手の投げ合いで始まりました。監督の命令で私は初回から3塁コーチとして立ち、サインは出せないのでかわりに声を出します。7回からはセカンドの守備につき、8回には打席がまわってきました。ファールで粘り、フォアボールできっちりと出塁したところで代走を告げられました。試合は結局3対1で敗れたのですが、出塁率10割、ノーエラー(球が飛んでこなかっただけですが)という成績に、川崎監督から、「先生のあの粘りは大したもんだ。十分戦力になる」とおほめの言葉を頂き、うれしくなった私は、もっともっと練習に励もう、と心に誓ったのでした。

ヤフードームに響いた、「ナナバン、セカンド、コマツ」という鶯嬢の声。気持ちよかったなあ。