野球の北京オリンピック予選

2007年12月「e-resident」掲載~台湾・野球アジア選手権大会

―星野ジャパンで玉拾い

今回は台湾から書いています。野球の星野ジャパンの北京オリンピックへの第一歩、アジア選手権大会の帯同です。

台中球場でのナイター練習を終え、選手村となっている福華大飯店にもどり、夕食をとって今部屋にもどりました。夕食ではロッテの里崎選手と日本ハムの稲葉選手といろいろなことを話しながら食べました。オリンピックの選手村よりははるかにおいしい、しかし、普段の日本で食べる食事に比べたら大しておいしくない夕食ですが、「食事は全然問題ないですよ。僕はどこでも何でもおいしいですよ」里崎選手も稲葉選手も言いました。普段は恵まれた環境で生活しているプロ野球選手たちでも「国際試合」がどんなものなのかはよく理解しています。日の丸を背負って世界で戦う選手はやっぱりこうでなくっちゃ。

ナイター練習ではいつもどおり、外野で玉拾いです。オリンピックなどの国際試合ではグランドに入れる人数が限られているため、ドクターであってもいろんなことをしなければいけません。

初めてバッティング練習のときの玉拾いをしたのは、1994年の広島で開催されたアジア大会でした。監督に命じられてやったのですが、野球未経験の私が本物の野球選手が打った硬球を追いかけるのは、ちょっと勇気が要りました。そして、その危なっかしい姿を見て、「先生、危ないからやめたほうがいいよ」と監督に言われたことを思い出します。アトランタオリンピックのときは、試合前の打撃練習で現在阪神にいる今岡選手の打球を追いかけて、フェンスに当たって跳ね返った打球が直接私の股間を直撃、とても苦しかったのですが、試合前にチームに迷惑をかけてはいけない、とひた隠しにしたこともありました。

最近は、「危ないからやめろ」とは言われなくなったものの、相変わらず外野に打ち上げられたフライをポロポロやって、選手たちにやじられています。特に最近は、老眼の進行により眼の調節力が悪くなり、とくに夜間など薄暗いと遠近感がうまくつかめないのです。ポロポロやるのも、それはそれで選手たちとのコミュニケーションのネタにはなるので悪くはないのですが、怪我をしてチームに迷惑をかけることだけは避けよう、と真剣にやっています。

今回の帯同では私の野球技術に進歩がありました。うまく投げられるようになったのです。台湾に入る前、宮崎で合宿したのですが、そのときヤクルトの青木選手とキャッチボールをしました。いつものように外野で玉拾いをしていると青木選手がやってきて、「先生、やるよ」、外野守備練習前の肩慣らしです。キャッチボールを始めたとたん、青木がゲラゲラ笑うのです。「先生投げ方がおかしいよ。それじゃあ砲丸投げだ」。するとそれを見ていた、今回スコアラーとして帯同している福田功さんが外野までやってきて、直ちに私のスローイングの弱点、欠陥を見抜き、スローイングの基本を教えてくれたのです。いままでも、「肘が上がっていない」とよく言われましたが、どうやれば肘を上げて投げることが出来るのかわかりませんでした。しかし、理論を説明してもらい、ちょっとしたコツを教えてもらっただけで、肘が上がるようになったのです。そして、「あとはこの動きを身体に叩き込むことです」、最後に、「ここ(全日本)に来ている連中は、誰に教わったわけでもなく自然にすばらしい投げ方を身につけている天才ばかりなんですがね」と福田さんは付け加えました。

福田さんはキャッチャーとして中日ドラゴンズに入団、引退後その野球理論や指導力を買われて、ドラゴンズの二軍監督や、ベイスターズのヘッドコーチなどを務められた方です。素人の私の弱点を一瞬にして見抜き、そしてどうしたらきちんと投げられるようになるか、素人の私にも出来るような、そしてわかりやすい指導をする。本当のプロの技を見た感じがしました。

―技を伝えるプロ

野球に接していると、いわるる「野球人脈」の巨大さがよくわかります。リトルリーグから高校、大学、社会人、プロ、それぞれの分野でそれぞれの役割を演じる人たちがたくさんいる。「野球の指導者」も世の中にたくさんいて野球界では評価されている。そう考えると、「医学の指導者」って、誰なんだろう。指導される学生や研修医がたくさんいる大学の教官たちも、必ずしも指導するのが得意でない人も多いし、そもそも、「医学の職人技を指導する」という役割が医学界でどれだけ評価されているのだろう。

かつては、僕もERCPを専門とする職人でした。ERCPの腕は全日本レベルだと自分では思っていました。もちろん努力はしたけれど、どうしてうまくなったのかはよくわからない部分もありました。どうしたら上手になるのかを理論的に説明できないわけだから、福田さんのような、「プロの指導力」はなかったのです。みんなが全日本レベルになる必要はないけれど、せめて「どうしたら高校野球レベルのERCP屋をたくさん育てられるか」という、「ERCP上達理論」を確立したかったのですが、無責任にもスポーツの世界に身を転じてしまいました。そこには、医学教育の構造上の壁も見え隠れするけれど、ぜひ残してきた後輩たちにその夢を託そう。

昨日は、選手スタッフ全員での食事会がありました。みんなで、すき焼きを食べながら必勝を誓いました。アジアではすでに中国が開催国として出場権を得ているため、この大会では、日本、韓国、台湾のうちの1カ国にしか出場権が与えられません。厳しい戦いですがきっとやってくれると思います。このエッセイが載るころには、日本の野球の北京オリンピック出場が決まっていることでしょう。

今回も、きちんと自分の役割を果たしてきたいと思います。