今年は「宗侍」

2010年2月「e-resident」掲載

五輪イヤーの2010年が明けました。わたしは正月早々、今年も鹿児島に行ってきました。仕事ではなく、野球の試合に出場するためです。

わたしたちのチームの名前は「宗侍(ムネザムライ)」。そうです、福岡ソフトバンクホークスの「宗リン」こと川崎宗則選手がオーナー兼監督兼ピッチャーという、オフシーズンに結成される軟式野球チームです。昨年までは「宗リンズ」というチーム名でしたが、ワールド・ベースボール・クラッシック(WBC)で2連覇を達成した「侍ジャパン」にあやかり、今年から「宗侍」になりました。

宗侍のメンバーは、川崎選手と仲の良い野球選手や元野球選手、バッティングピッチャー、トレーナー、道具係などの裏方さん、昔から川崎選手が慈善事業でお世話になっている会社の会長さんなどです。その一員としてわたしも加わっています。

川崎選手とは、2002年11月にキューバで開かれた野球のインターコンチネンタルカップ以来、かれこれ7年の付き合いになります。この大会は成長が期待される若手プロ選手を中心にチームが編成され、当時まだ2軍で無名だった川崎選手も全日本のメンバーに選ばれました。わたしはチームドクターとして帯同していましたが、お互い「同じにおい」を感じたのでしょうか、どういうわけか仲良くなりました。その後の川崎選手は、ご存じの通りの大活躍で、一躍スター選手に駆け上りました。年齢は離れていますが、礼儀正しくさわやかな好青年で、何より彼のさまざまな「プロ」としての姿勢にはいつも感心し、学ばせてもらっています。

―いざ、川崎選手の故郷へ

2年前には東国原英夫宮崎県知事率いる「チームそのまんま宮崎」と戦ったこともあるわれらがチーム「宗侍」、今回は地元の中学生たちとの試合です。

自主トレの1日はまだ薄暗い朝7時の体操から始まりました。ひと風呂浴びてから朝食をとって、9時にホテルを出発し、川崎選手の故郷である姶良町に向かいました。球場にはすでに大勢のファンたちが詰め掛けています。さすがにそんな中で体を動かすのは少し恥ずかしいけれど、ストレッチをして、シャトルラン、基礎トレーニング、バッティング練習の球拾いとこなしました。 昼近くになると、バックネット裏におばちゃん軍団がやって来ました。作った昼ご飯を届けに来てくれた川崎一族です。川崎ばあちゃんの作ってくれたうまいうどんをたらふく食べて腹ごしらえを終え、野球教室、そしていよいよ宗侍の開幕戦を迎えました。

―決して手を抜かない真剣勝負

「それでは先発メンバーを発表する」――。ベンチ前に集合したメンバーを前に川崎監督が続けます。「1番ピッチャー川崎、2番…………、8番レフト小松」。やった、先発メンバーです! 昨年は満塁のチャンスで走者一掃のタイムリー二塁打を打ったからなあ。きっとそれが認められたのでしょう。初めての先発です。

わが宗侍の打線は初回から大爆発、相手のミスもあって大量点を奪いました。守ってもエース川崎の快投と安定した内野陣で得点を許しません。わたしも一生懸命に戦っている子どもたちに失礼ないように、緊張しながら真剣に守りました。でも、ピッチャーがまともだから外野にはあまり球が飛んでこなくて一安心。結局、わたしは3打数ヒットなしでしたが、1本だけ飛んできたレフトフライを何とかキャッチ。試合も宗侍の大勝で開幕戦を飾ったのでした。

試合の途中、中学生チームはベンチの中で直立不動のまま監督から説教されていました。恐らく、「川崎選手たちが全力で手も抜かずに戦ってくれているのに、お前たちのその不甲斐なさは何だ!」という檄だったのだと思います。中学生たちは人気スターである川崎選手の投げる球を打てるだけでも満足なのかもしれません。しかし、中学生相手でも一生懸命に戦うという川崎監督のポリシーの下、宗侍のメンバーはベンチでも大きな声を出し、どんなことでも手を抜きません。そこには「おれの姿を見てお前たちも頑張れ」という川崎選手のメッセージが込められているのです。

川崎選手の姿を見ていると、単なる「ファンサービス」の域を超えていることに気付きます。自分を育てくれた姶良町、活躍を楽しみにしてくれている家族、いつか川崎選手のようになろうと頑張って練習する野球少年たち、日ごろ支えてくれる裏方さんたちといったそれらすべてに対して感謝の気持ちを示すとともに、彼らの思いに対しても応えてくれます。ですから、全員が「川崎のために」という気持ちになります。グラウンドでのプレーももちろんですが、こういった姿勢にもファンは魅せられるのです。


翌日の自主トレには読売ジャイアンツの伊集院峰弘選手が合流し、わたしも彼らと一緒に階段トレーニングなどのメニューをこなしました。もちろん若いプロ野球選手たちと同じようにはできないけれど、最後まで一生懸命やりました。おかげでくたくたになりましたが、達成感とともに今年は何か良いことがありそうな予感がしたのでした。