日本のスポーツ強化に向けてやるべきこと

2010年3月「e-resident」掲載

バンクーバー冬季オリンピックが幕を閉じました。日本は金メダルなしという結果に終わりましたが、銀、銅計5個のメダルを獲得し、さまざまな場面でわれわれに感動を与えてくれました。しかし、韓国は金メダル6個、メダル合計14個の大躍進。これから、「韓国と日本のオリンピックに向けた取り組みの違いは何だったのか」について検証が始まり、4年後のソチ冬季オリンピックに向けて、再びまい進していくことになります。

「オリンピックに向けた強化」というとお金をいかに掛けるかという議論になりがちですが、単に国家予算をつけるだけでは駄目でしょう。人材の発掘、選手を支える仕組み、環境や施設の整備、選手や競技をサポートする人たちの教育や養成、さらに踏み込めば、学校教育や社会の仕組みも強化につながってきます。しかし何よりも、スポーツを支えることが社会にとって大事なことであることを多くの国民に分かってもらえる努力を続けていかなければなりません。それがなければ、「なぜスポーツなんかに金を使うのか」といった話に必ずなってしまいます。

スポーツの価値はさまざまです。「夢と感動を与える」という単純なものだけではないのです。以前このコラムでも書きましたが、2016年の東京オリンピック招致の支持率が日本では高くなかったというのは、この「スポーツの価値」の認識が日本にはまだまだ足りないということの裏付けだと思います。スポーツの多様な価値を認識し、スポーツの社会的な位置付けをしっかり議論していかなければなりません。

文部科学省も、スポーツ政策の方向性を示す「スポーツ立国戦略」に向けて動き始めました。これは、昨年政経交代前に廃案になったスポーツ基本法の策定やスポーツ庁の設置などを視野に国策としてスポーツの意義や価値の再構築を目指すものです。このような行政や法的なバックアップも大切ですし、やはり、それを支える国民のスポーツに対する理解も大事です。

―スポーツに専念できるドクターが必要

そうした中、わたしが取り組まなければいけないのが、スポーツ選手を支えるスタッフの養成、特に、現場に深くかかわることができる有能なスポーツドクターの育成です。実は「スポーツドクター」と一言でいっても、その範囲はとても広いのです。なぜなら、スポーツ医学自体が、トップアスリートのサポートから生活習慣病の予防のためのスポーツまで多岐にわたる学問だからです。

現在日本でスポーツドクターと名乗ることのできる医者は3万人もいます。日本体育協会公認のスポーツドクターが約5000人、日本整形外科学会認定のスポーツ医が約5000人、そして日本医師会の健康スポーツ医が2万人もいます。これらの資格は講習会への参加だけで取得できますが、いくらスポーツ医学の知識があっても、オリンピックなどの現場では、さまざまな場面に出くわします。医学的に正しいことがスポーツの現場では必ずしも正しくないこともあります。時には医学を無視しなければいけないことだってあります。これを理解するには、多くのスポーツ現場での経験が必要になります。医学以外の問題が絡んでくることも多いのです。

しかし悠長に「徐々に経験を積みなさい」ということをしていては駄目で、体系的に教育するシステムの構築が必要です。また、現在はほとんどのスポーツドクターが病院勤めなどをしながらボランティアでスポーツにかかわっています。当然、海外遠征の帯同などには制限が出てきます。大会をはじめとするスポーツの現場だけにかかわることができ、それだけで安定した収入が得られるようなポストの増設も必要でしょう。

―数々の偶然

自分自身を振り返ってみると、スポーツの世界に深くかかわるようになったのは数多くの偶然がありました。大学を卒業し、医者になって研修先として選んだ東京・広尾の日赤医療センターに、たまたまアイスホッケーやバスケットボールのチームドクターをしている先生がいました。「医療にはこんな世界もあるのか」と初めて知ったわたしに対し、その先生から「小松君ちょっとやってみる?」と声を掛けられ、練習中に突然死したバスケットボール選手に関する研究を学会発表することになりました。

それが縁で日本バスケットボール協会の医科学委員会に入れてもらい、現在東芝病院におられる増島篤先生と出会います。野球に医科学支援がまだなかった時代、バルセロナオリンピックの後に増島先生から「ちょっと野球も手伝ってよ」と言われ、野球の医科学委員会に入りました。野球のチームドクターとして初めて帯同したのが、1994年に広島で開催されたアジア大会、その2年後のアトランタオリンピックにも帯同しました。そこでの仕事ぶりに一応合格点を与えてもらえたのでしょう。次はソフトボールからも声が掛かり、シドニー、アテネとソフトボールのチームドクターとしてオリンピックに帯同しました。

その後、現在在籍する国立スポーツ科学センターに来て、アテネオリンピックの時に体操のコーチと同室だったことが縁で、体操競技も手伝うようになりました。さらには、師匠・増島先生から「レスリングも手伝ってよ」と言われ、レスリングにもかかわるようになりました。このように、たくさん経験させていただいてわたしは育ちました。

―スポーツドクターの養成システムを

現在まで長く続いているのは、こうした仕事がわたしに向いていたからでしょうが、残念ながら偶然頼みだけでは新しい人材は育ちません。人材を発掘して、スポーツの現場に深くかかわるスポーツドクターを養成する「システム」を早く作らなければいけないのです。

どうも医者の世界というのは、職人気質なところがまだ残っていて、「先輩の技を見て盗め」、「たくさん経験を積め」といった指導がなされることが多いです。もちろん大事なことですが、それだけでは世の流れに取り残されてしまうような気がします。

今年度から日本オリンピック委員会(JOC)でも「ナショナルコーチアカデミー・メディカル版」として、スポーツの現場で活躍するドクターを養成するための講座を開始しました。日本のスポーツが強くなるために、選手にだけ目を向けるのではなく、選手を支える人材の育成にも目を向けることが必要なのです。