月別アーカイブ: 2012年11月

小松ゆたか事務所の事務所開き、そして長野、須坂、中野、飯山で街頭演説

今日は9時半から自民党長野県連の合同会議でした。

安倍総裁からの公認証書をいただき、決意表明をいたしました。

身が引き締まりました。

11時30分からは、栗田の事務所での事務所開き、寒い中大勢の方に来ていただきました。

はるばるやってきた高校の同級生たち、ありがとう!

ますます身が引き締まりました。

午後1時からは、参議院の小坂憲次先生、若林健太先生、吉田博美先生とともに、長野駅前、須坂駅前、中野駅前、そして飯山と街頭演説で走り回りました。

そして、わざわざ東京からかけつけてくださった、私が大好きな、師匠・オリンピックチャンピオンの富山英明さん。

一緒に回って、応援演説をしてくださいました。

富山さん、本当に寒い中ありがとうございました。

そして、寒い中わざわざ聞きにかけつけてくださったみなさま方、ありがとうございました。

地域のために、日本のために、必死で頑張ります!

今日も走り回っています

今日は朝7時半から、参議院議員の若林健太先生と一緒に辻立ちでした。

そのあと、参議院議員で前長野1区支部長の小坂憲次先生と一緒に、多くの企業などをまわらせていただきました。

夜は若林先生後援会の更北地区の役員会であいさつさせていただき、そしてそのあと小坂先生と政見放送の打ち合わせ。

必死で走り回りました。

お忙しい中、ご指導いただける小坂先生、若林先生に本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

明日23日は11時半から栗田ビルの事務所で事務所開き。

そして、そのあと13時長野駅前、14寺須坂駅前、15時中野駅前、16時ベイシア飯山店で街頭演説の予定です。

私の大好きな、レスリング・オリンピックチャンピオンの富山英明さんも応援に駆け付けてくださいます。

明日も必死で、走り回ります!

 ぜんそくとオリンピック選手

★★★「ぜんそくだったからこそ僕はオリンピックで金メダルがとれた」

ぜんそくの子供たちに勇気を与えてくれた

スピードスケート金メダリスト清水宏保さんの言葉~~~

スピードスケート金メダリスト・清水宏保さん(右下)

寒くなってきました。長野も寒いです。毎朝辻立ちしていると、手が痛くなるほどの寒さ。

最近増加してきた、喘息も季節の変わり目や冬の寒い時期に発作が起きやすいので、注意しましょうね。

スポーツドクターとしてトップアスリートたちを見ていると、
意外にも喘息(ぜんそく)の選手が多いことに気づきます。

実は2002年から2010年に行われた過去5回の夏季・冬季のオリンピック選手のデータを分析したところ、アレルギー性の気管支ぜんそくによく見られる「気 道過敏性」をはじめとするぜんそくが、オリンピック選手に最も多くみられる疾患であることが、西オーストラリア大学のKenneth D. Fitch博士らの研究から、明らかになり2012年8月号のBRITISH JOURNAL OF SPORTS MEDICINEに発表されました。多くのオリンピック選手たちは、喘息という苦しい病気と闘いながらスポーツをしているのです。

今年の6月に開催された第29回日本小児難治喘息・アレルギー疾患学会の特別企画「アスリートと喘息セッション」に講師として招かれたとき、私はトップアスリートでも喘息の選手がたくさんいること、JISSでの喘息に対する取り組み、喘息とアンチ・ドーピングのことなどを話しました。

この日のゲストとして参加してくれたスピードスケートの金メダリスト、清水宏保さんも喘息と向き合いながら金メダルというゴールを飾ったアスリートです。

清水さんを含め、多くの喘息に苦しむアスリートたちが、喘息の正しい診断や治療のために力を貸してくれていることも、私の講演の中で紹介しました。

清水宏保さんとは本当に久しぶりでした、たぶん5年ぶりくらいかなあ。引退してもあの優しそうで精悍な顔つきは昔のままです。

自らの喘息の経験や、スポーツに対する思いを語り、会場を訪れたぜんそくの子供たちの夢を応援してくれました。

「喘息だったからこそ僕はオリンピックで金メダルがとれた」と語る清水さん。

「継続することが大変だった」との言葉には、長く競技をつづけてきた誇りも感じました。

こうやって、引退してからも、「スポーツに何ができるか」を常に考えて「世の中のために」行動してくれている姿には、本当に頭が下がります。

さあ、小松ゆたかも、オリンピック選手を見習って、大きな目標に向けて頑張るぞ!

今日は若穂綿内地区を中心に走りまわりました

今日も力いっぱい走り回りました。

まずは、朝7時30から荒木交差点で辻立ち。ひとりでも多くの方に、私の顔と名前、私の想い、を知っていただくために、1時間手を振りしゃべり続けました。

たくさんの方からあたたかい言葉をかけていただきました。ありがたいな。

その後は、夕方まで若穂綿内地区を中心にあいさつ回りをさせていただきました。

公募で選ばれて1か月しかたっていない私を、一生懸命に支援者宅を連れて歩いてくださる支部役員の方に感謝の気持ちでいっぱいです。

わずかな昼食の時間、Tさんは言いました。

「テレビの討論なんかで、人の意見も聞かずに自分の言いたいことだけをべらべらしゃべる政治家は嫌いだな」

根が真面目な信州人である私には、その気持ちがよくわかります。

やっぱり、「男は黙ってサッポロビール」です。

そして、夕方は若林健太先生の支部役員会でご挨拶をさせていただきました。

今日は、外を走り回って、でも背広の下のランニングシャツだけでは寒かったから、帰りに紳士服の青木で発熱肌着のヒートウォームを買って、上松の合宿所に帰ってました。

どうして、合宿所なのか、おいおい書きますね。

楽しい男3人の合宿生活も、はや2週間、ココロもカラダも元気でいられます。

明日は、朝7時半から若林健太先生と一緒に高田交差点で辻立ちから始まります。

明日も、元気に頑張るぞ!

 

 

 

 

 

今日は松代を中心にまわりました

今日は7時半から東和田の交差点での辻立ちから始まりました。

車の中から手を振ってくれる方も増えてきました。

そのあと、松代地区を中心に支援者の方々のご自宅を回らせていただきました。

みんな、優しいです。

そして、握手をすると、みんなもっと優しい顔になてくれます。

やっぱり、スキンシップ、大事ですね。

途中、松代でゲリラ的に街頭演説、とにかく時間のない中、少しでも多くの方に「小松ゆたか」の名前を知っていただけるように、必死にやっています。

真っ暗になるまで、たくさんの支援者宅をまわらせていただきました。

案内していただいた方々に、感謝感謝!

たくさんの方とお話させていただけることが、とても楽しいです。

やっぱり、政治を志すものとしての原点ですね。

本当に、時間がない中、必死でやってくださる皆様方に、感謝!

自分も力いっぱいやらなければ、と気が引き締まります。

そして、夜は私が卒業した信州大学医学部の同窓会、松医会の北信支部の役員会に顔を出させていただきました。

たくさんの先輩たちとお話させていただき、力がでました。

全力で、頑張るよ。

明日は、7時半から荒木交差点での辻立ちから始まります。

小松ゆたか、皆さんの応援に感謝、感激!

小松ゆたか、長野の皆さんの温かい応援に感謝、感謝です!

 

★ 長野の皆さんはみんな優しいです!

街頭に立って、自分が政治を志そうと考えたわけや、

目指すべき地域や日本の姿など…想いを訴えるたびに、

立ち止まってわたしの声に耳を傾けてくれたり、

クルマの窓を開けて笑顔をみせてくれたり、

クラクションを鳴らして応援してくれる方もいます。

皆さん、お忙しいのに……ああ、本当に、感謝、感謝!

小松ゆたかという国政をめざす私の、顔と名前、そして私の想いを、

一人でもたくさんの方に知っていただくために、

毎日必死に走り回ろうと思います。

 

★★倒れそうになっても、折れそうになっても、

私は走り続けます!

皆さんの笑顔、

励ましの言葉、

握手を交わすときの熱い思いが、

私のエネルギーです!

 

★★★ 先日も、長野市母親クラブ連絡協議会での講演会がありました。

小中学生の子供たちを持つお母さんたちに、「トップアスリートから学ぶ」と題して、

一流選手たち、一流の指導者たちの素晴らしさや、そこから学ぶべきことを話してきました。

みんな真剣に聞いてくれました。

大きな目標に向かって、ただひたすら頑張るアスリートたちの姿は今の私と重なります。

お母さんたちの励ましの言葉に、感謝、感激!

人を大切に育てる地域と教育の充実に向かって、がんばるぞ!!!

衆議院が解散しました

「近いうち」がやっと訪れました。

衆議院が解散し、皆さんの想いを国政に反映させる機会がようやくやってきたのです。

解散の瞬間をテレビで見て、一気に気合が入ってきました。

これから国政に挑戦する私に託された、使命と責任を痛感しました。

3年3か月に及ぶ、無責任な、そして不安定な政治。

これに終止符を打ち、日本をこの地域を取り戻さなければいけません。

そのあと、長野駅前に向かいました。

今日2回目の街頭演説です。

早朝の県庁前の演説では、自分の政治を志そうという想いを素直に語りました。

しかし、解散直後の駅前では、やはり、この3年3か月に及ぶ、民主党の無責任な政権、不安定な政権、そして外交敗北について語らずにはいられませんでした。

いよいよ選挙戦に突入です。

これからは具体的な政策課題、TPP、原発・エネルギー政策、外交、社会保障、この地域をどうやって活性化させるか、などなど、具体的な私の考えも伝えていこうと思います。

今日もたくさんの方にお会いしました。

感謝感謝の一日でした。

 

 

川崎宗則と一緒の気持ちで頑張るぞ!

今日は朝7時30分から上松五叉路で辻立ち、6回目となる街頭演説もだいぶ慣れてきました。

1時間にわたって、自分が政治を志そうと考えたわけや、目指すべき地域や日本の姿など、想いを訴えました。

長野の皆さんはみんな優しいです。車の窓を開けたり、立ち止まってわたしの声に耳を傾けてくれたり、クラクションを鳴らして応援してくれる方もいます。

ああ、本当に、感謝感謝!

顔と名前、そして私の想いを一人でもたくさんの方に知っていただくために、毎日必死に走り回ろうと思います。

そして、9時半からは長野市母親クラブ連絡協議会での講演会でした。3か月前から依頼されていた講演会です。

小中学生の子供たちを持つお母さんたちに、「トップアスリートから学ぶ」と題して、一流選手たち、一流の指導者たちの素晴らしさや、そこから学ぶべきことを話してきました。

みんな真剣に聞いてくれました。大きな目標に向かって、前だけ見てただひたすら頑張るアスリートたちの姿は今の私と重なります。

講演のあと会長さんが言ってくれました。

「母親は指導者で、子供たちはアスリートですよね」

ああ、ここでも感謝感謝!

そのあとは、若林健太先生の事務所の方についていただいて、たくさんの企業のご挨拶に回らせていただきました。

ここでも、皆さんにあたたかい言葉をかけていただき、政治を安定させることへの期待を強く感じました。そして、その使命と責任を痛感しました。

車での移動中、大好きな親友・メジャーリーガー川崎宗則から電話がありました。いつも通りの元気な声です。

「実は政治を志すことになった」と聞いた宗リンはびっくり。

「先生、頑張ってね。応援するよ」

宗リンとは2002年に一緒にキューバでのインターコンチネンタルカップに行って以来、彼がまだ無名だったころからの付き合い。

毎年、自主トレに顔を出させていただいています。

彼の野球に取り組む姿勢の素晴らしさや、スポーツ人として社会に貢献しようと取り組む姿には、いつも勇気づけられています。

今までも何度も書かせていただきました。

http://mag.executive.itmedia.co.jp/executive/articles/1002/10/news013.html

http://mag.executive.itmedia.co.jp/executive/articles/0905/15/news002.html

https://www.komatsuyutaka.com/kolog/?p=2054

ひたすら努力して、日本で確立した立場を捨ててまでアメリカにわたり、そしてメジャーリーガーという大きな夢をつかんだ川崎宗則。

覚悟を決めて政治の世界に飛び込んだ今の私が目指すべき姿です。

ムネと同じ気持ちで、大きな目標に向けて頑張りたい。

「先生、しっかりたのむよ!」

「チェスト―!」

と気合を入れてもらいました。

ありがとう、ムネ。元気になったよ。

今日も感謝感謝の一日でした。

明日は、7時半からの県庁前での辻立ちから始まります。

元気いっぱい、走り回ります!

 

 

 

 

 

 

国政をめざすことになりました!

医者として、そしてスポーツ人として、医療やスポーツを支える仕組みがとても大事だと、いつも感じていました。

「みんなが心も体も元気で生き生きと暮らすことができる日本」

それを目指して、日々頑張っていました。

いつも頑張っている選手たちを応援して、支えて、「スポーツの力」が日本を元気にできる、と思いました。

そして、そんな社会を作るために、政治を志そうと考えたのが5年前、でも、なかなかみんなには言えませんでした。

密かに、政治の勉強を始め、5年前から自民党政経塾に通いました。

3年前からは、故郷信州で開講された、政治スクール「信州維新塾」で義家弘介塾長のもと学びました。

今回、自由民主党衆議院長野第一選挙区支部長の公募に応募し、10月20日に面接試験があり、選んでいただきました。

11月12日に正式に党本部から長野1区支部長決定の通知をいただき、国政を目指すことになりました。

そして、年内には総選挙になりそうです。とても忙しい毎日です。

ゆっくり書いている時間がないから、公募の時に提出した二つの論文をここに貼り付けます。

1、応募理由と自己のセールスポイント

私は大学卒業まで故郷信州で育ち、消化器内科医として大学病院などで勤務した後、現在は日本のトップアスリートを支えるスポーツドクターとして働いております。東大病院時代、最先端の医学研究や医学教育を行いながら、医学がどんなに進歩してもそれを生かす社会の仕組みがなければいけない、と感じていました。そのような中、医療崩壊が社会問題となり、医療の仕組みに関わりたいと強く考えるようになりました。七年前にスポーツ医学の世界に身を置くようになってからも、みんなを健康で元気にし、多様な価値を持つスポーツ、それを支える仕組みも十分ではないと感じました。教育やスポーツなど、すぐに結果が出ないものこそ政治の力が必要だと感じ、政治を志したいという気持ちがさらに強くなりました。そして、平成二十二年長野県連に開設された信州維新塾で志を同じくする仲間たちと出会い、三年間共に学び、その想いは確固たるものとなりました。「みんなが心も体も元気で生き生きと暮らすことができる日本を作りたい、そのために、もっと汗を流したい」それが今回応募させていただいた理由です。何より、故郷である信州から日本の歩むべき道を発信したいと考えました。私のセールスポイントは、正義感、行動力、決断力であります。オリンピックなどのチームドクターとして信頼され、数多くの世界大会に帯同していますが、そこで求められるものは病気やけがの選手を治療するだけでなく、心身ともに最高の状態で試合に臨むためのお手伝い役です。そのためには、選手やコーチ、スタッフたちと常にコミュニケーションをはかり、現場が何を求めているかを察知し、率先して体を動かし、しかし決して出しゃばらずに役割を果たさなければいけません。人の意見に耳を傾けること、相手の気持ちを理解すること、そして責任を持って決断する、というリーダーとしての能力は誰にも負けないと思っております。

2、日本と長野県の将来
皆が心も体も元気で生き生きと暮らすことができる日本を作るために最も重要なポイントは「教育」であると私は考えます。例えば医療崩壊にしても、社会の変化、とりわけ個人の権利を尊重する社会になるにつれ「人のためより自分のため」と考える人が多くなってしまいました。このことが、かつては忙しくてもやりがいのある診療科を多くの医学生が志望したのに、最近ではそれを避けるようになってしまっていることの背景にあります。同時に患者さんの側も、病気は治って当たり前、治らなかったら医者のせい、といった個人の権利のみを主張することが多くなり、医療崩壊を加速させています。初等教育であれ、医学教育であれ、教育の目標は、単に知識を身に付けさせることではなく「心を育てる」という意識が必要です。現在の教育にはそのような意識や道義や礼節、協調性、郷土愛を教えるといった観点が欠けていると感じています。また、人の命を預かる医者、その医者を育てる医学教育においても、「人を育てる」という目標は明確ではないように思います。国民の健康を守るために、医者を育てる教育は医療の仕組みを整える事と同様にきわめて重要な課題です。また、私は現在トップアスリートをサポートする仕事をしていますが、スポーツには様々な力があると感じています。生活習慣病の予防や健康増進につながるだけではなく、青少年の心身の育成、地域のつながりや活性化、国際親善や友好、などの多様な価値があり、オリンピックを開催した長野であるからこそ、スポーツの力を発信し続けなければいけません。 豊かな自然を守り、みんなが故郷を愛し、家族や地域の絆を大切にして、それゆえ高齢者の医療費が日本で最も少ない長野県です。真の教育や医療を長野から発信してゆきたい。元気な日本を長野がけん引していきたい。みんなが生きがいを持って健康に暮らす、それが私の目指したい日本と長野県の将来です。

先週から長野市に転居し、忙しくしています。

応援して、支えてくれる皆さんに、感謝感謝の毎日です。

必死で、頑張りたいと思います。