昨日8月1日には「飯山市制施行60周年記念式典」が盛大に開催され出席しました。
奥信濃の豊かな自然に恵まれ、ふるさとへの限りない愛情をくずなとして生活している飯山市民、そしてこのまちをさらに成長させようとする決意、中学生二人が朗読してくれた飯山市民憲章は素晴らしいものでした。そして、これは日本の目指すべき道、責任を感じました。
日本有数の豪雪地帯という自然環境の中で、先人たちの努力と知恵によって、この飯山は発展し、「ふるさとの原風景」は守り抜かれてきました。
今年はソチオリンピックのジャンプ競技で飯山出身の竹内拓選手がみごとメダルを獲得し、来年には北陸新幹線飯山駅が開業します。
これからも、飯山を発展させ、同時に美しい故郷の原風景を守りぬく、このことをお誓いしました。
そして、飯山市名誉市民で文化学園理事長の大沼淳(すなお)先生の記念講演が行われました。
素晴らしい講演、感銘をうけました。
飯山で生まれ育ち、江田島の海軍兵学校へ、そこで迎えた終戦。その後人事院の事務官となり活躍後に学校経営の道へ、そしてつよい故郷への思い、飯山の活性化のために多大な貢献をされています。
「鈍になることができなければ上に立つことはできない」
「私は初めから大きな目標があって頑張ってきたわけではない。常に与えられた場所で一生懸命やってきた。それを誰かが必ず見ている。」
私が研修医時代、上司であった日赤医療センターの元副院長、庵政志先生から言われたことと全く同じことをおっしゃいました。
私も、いつでもその言葉を思い出しながら、いままで頑張ってきました。そしたらいつの間にか、消化器内視鏡分野で名をあげ、オリンピックドクターになり、国会議員にもなった。
これからも同じように生きていきたい。
与えられた場所で一生懸命に頑張る、地道であっても必ず誰かが見ている、公のために働く。
そして最後に大沼先生がおっしゃった、唱歌・ふるさとの歌詞の三番。
「志を果たして、いつの日にか帰らん。山は青きふるさと、水は清きふるさと」
このふるさとの三番を歌うと、われわれ信州人は体がアツくなります。
そんなふるさとを守っていく、地道に、与えられた場所でがんばる、改めて自分に誓ったのでした。