「もう一度原点を見つめなおす」
令和という新しい時代がスタートした昨年夏、私は国政復帰を果たすことができませんでした。夏以降は約3か月かけてお礼とお詫びで県内を回りました。そして10月の台風19号、千曲川に沿って各地で甚大な被害が発生しました。私も培ってきた様々なパイプも使って復旧のお手伝いをすると同時に、一医師、一ボランティアとして、被災地や避難所で活動を行いました。昨年のすべての経験が将来必ずためになる、そんな前向きな気持ちで新しい年を迎えることができました。
1月より長野県ふるさと振興支部の支部長として活動を続けています。自分がなぜ政治の世界を志したのか、その原点をもう一度見つめなおしてから再スタートを切りました。国会に初当選させていただいてから7年経ちますが、衆議院議員として様々な役割をいただき、その役割を果たすことに必死でした。やりがいのある政治の世界に居続けるためには、選挙で勝つという結果を出さなければいけない。そのために、早朝の街頭演説から始まり夜遅くまで、あらゆる場所に顔を出し、一人でも多くの方にお会いする、そんな活動も続けてきました。しかし、立ち止まってゆっくりと考える時間があまりにもありませんでした。
医療現場の最前線に身を置き、大学での医学研究も行いながら、「現場の声があまりにも国に届いていない。医学の進歩を生かすためには政治の力が必要だ。だったら自分でやってやろう」それが私の原点でした。昨年暮れにはペシャワール会の中村哲先生がアフガニスタンで銃弾に倒れましたが、まさに「医療も大事だけれども、命を救うのは水路だ」と活動を続けてきた中村先生、比べればまだまだではありますが、同じ志でした。この一年間、長野県内各地で「地域の医療を何とかしてほしい」という声もたくさんいただきました。県内各地での医師不足も深刻です。栄村の森川村長は、村でたった一人の診療所の先生が、「もう高齢だからやめたい」、と申し出てきたときに「患者さんの手を握ってくれるだけでいいから続けてほしい」と嘆願しました。これほどの深刻さを国は理解しているのでしょうか。ゆっくり考えれば考えるほど、自分がやらねば、という気持ちが強くなっています。
「スポーツの力を社会の力に」
「スポーツの力を社会の力にしたい」これがもう一つの私の原点でした。かつて国立スポーツ科学センター(JISS)で、すべての競技のトップアスリートたちを医学的にサポートしました。競技スポーツの現場を日本一よく知るドクターでした。その目指すところは、若者からお年寄りまで、みんながスポーツの魅力を感じてもらうこと。多くの方がスポーツに親しみ、それが社会の元気につながる、と活動を続け、行き着いた先が政治でした。「健康長寿や生きがい」「地域の活性化」「青少年の健全育成」「世界の平和」「経済効果」などスポーツには大きな力があります。衆議院議員時代も、2020年東京オリパラ招致、スポーツ庁の創設、女性アスリートの健康支援を通じた女性の健康支援、障がい者スポーツを通じた障がい者支援、アンチドーピング法の作成などにも深くかかわりました。
「平和な世界を創るスポーツマンシップ」
今年はいよいよ日本でオリンピック・パラリンピックが開催されます。オリパラを成功させるのはもちろんのこと、オリパラ後こそ大事です。そこからが「スポーツのチカラを社会の力にする」ためのスタートです。
スポーツの力で「平和な世界を創ること」これも私の大きな夢です。スポーツマンシップとは何か。それはリスペクト、尊敬尊重すること。一緒に戦う仲間、相手、ルール、これらをリスペクトして正々堂々と戦う。世界中が、それぞれの国の人種や歴史、宗教、それらをリスペクトしあって戦争のない平和な世界を築いていく。壮大な夢ですが、一歩でもその夢に近づく努力を続けてゆきたいと思います。