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第49回衆議院総選挙が終わりました

10月31日投開票であった衆議院選挙が終わりました

長野県内5つの小選挙区で自民党公認の候補全員が当選することができ、さらに北陸信越ブロックで公明党の中川宏昌さんの初当選、お力をいただいたすべての皆さまに感謝を申し上げます。

私は、前回書きました通り、10日間の繰り上げ当選を天命ととらえ、これからも政治で挑戦してゆく覚悟を決めましたが、長野県内の5人の候補、そして公明党とも選挙連携のために北陸信越ブロックでの名簿登載を辞退し、東京ブロックからの比例単独候補としての挑戦となりました。

この4年間で自分の国政選挙を3回戦いましたので、久しぶりの選挙応援となりましたが、長野県内の候補と東京ブロックの各候補の応援に奔走しました。

県内では、私の4月の参議院補欠選挙で立ち上げた「命を守る会」を中心に、医療関係団体を中心にお願いをし、宮島善文参議院議員とともに県内をまわりました。

東京では、主に平成研究会の先輩でもある若宮健嗣内閣府特命担当大臣の応援に入り、遊説隊の一員として、ビラ配り、登旗持ち、応援演説など、選挙カーに朝から晩まで乗りながら、できることすべてを行いました。選挙区も狭く、駅に1地時間立つだけで一週間長野県中をまわって会える人以上の方と会うことができる東京、選挙戦のやり方もだいぶ違うなあ、と感じました。

東京ブロックは選挙区で厳しい結果となり、私の比例当選はなりませんでしたが、「目の前のことを一生懸命に取り組む」という変わらぬ私の気持ちは貫くことができました。

さて、これからどうするか。10日間の繰り上げ当選を天命ととらえ、政治で頑張る覚悟を決めた私です。長野の事務所は維持しながら、具体的に何を目指すのか、早めに決断したいと考えています。

自民党比例東京ブロックからの挑戦、なぜ北陸信越ブロックではないのか?

第49回衆議院議員選挙が10月19日公示されました。

私は自民党の東京ブロック比例名簿に掲載され比例単独候補としての挑戦となりました。なぜ北陸信越ブロックからではないのか、小松は故郷信州、長野を捨てたのか、様々な声がありました。10月17日に長野市で後援会の役員会を開催し100人余りの皆様にその経緯をお話しし、ご理解いただきました。決してふるさと信州を捨てたわけではありません。あらためてここで書きたいと思います。

10月に突然繰り上げ当選になり、その経緯は前回書いた通りです。10月5日から登院し、14日に解散、そして19日に衆議院選挙の公示、このわずかな間に様々なことがありました。

4年前に3回目の衆議院選挙で落選し、その後長野県全県区で2回の参議院選挙に挑戦し落選しました。その後長野市の事務所は残し、秘書にも残ってもらい、とにかくまずは秋までにはある衆議院選挙でお世話になった長野県内5人の代議士、支部長のために汗をかこう、そして衆議院選挙が終わったら、これからどうするのか、再び政治の挑戦を続けるのか、一医師として世のために働くか、決断しようと考えていました。

そこに、突然の繰り上げ当選、私はこれを運命として受け入れました。そして「衆議院議員としてまだまだ挑戦する」と決意したのです。現職として迎える総選挙、ここで挑戦しなければ政治を引退するということ等しいのです。

しかし、間近に迫った総選挙には自民党として挑戦する選挙区がありません。今まで務めた長野一区は若林けんたさんが挑戦することが決まっています。当然、比例単独候補としての挑戦ということになります。

比例北陸信越ブロックで繰り上げ当選しているわけですから、通常であれば北陸信越ブロックからの挑戦ということになるのですが、私は自民党長野県連および党本部に「北陸信越ブロック比例名簿への掲載はやめてほしい」と申し出ました。それは自分のためではなく、公明党との信頼関係を崩したくない、そして5人の長野県の候補者に迷惑をかけたくないという思いからでした。

4年前の衆議院選挙、苦い経験をしました。北陸信越ブロックで長野市出身の太田昌孝さんが公明党比例で初挑戦しました。一方自民党は比例単独で同じ長野市を基盤とする若林けんたさんが挑戦しました。選挙区では選挙協力し一緒に戦うのに、比例区では敵として闘うという状況が生じてしまったのです。

今回も、公明党は太田さんの後を受けて松本の中川宏昌さんが比例単独で初挑戦します。私が現職の議員として北陸信越ブロックの比例単独候補ということになれば、比例区で競合するということになってしまう、これでは公明党との信頼関係も崩れ、長野県内5人の自民党候補にも迷惑をかけることになる、それが北陸信越ブックでの挑戦を辞退した理由です。

党本部には、現職として衆議院議員を続けたいと伝え、どこの比例ブロックから挑戦するかは、党本部にお任せします、言われたとおりにします、とお話ししました。

そして、公示の直前、東京ブロックからの比例単独挑戦を告げられた、というわけです。

今与えられた立場で、目の前のことに全力を尽くす、私はこれを貫きます。

今回の選挙では、東京ブロック選挙区候補の当選に向けて、全力で応援に入ります。同時に、長野県の5人の候補の当選のために、力のすべてを尽くします。

決して信州人としての心を捨てたわけではありません。長野市の自宅もそのまま、今回の結果がどうであろうと、これからも信州にもしっかり軸足を置いて活動してゆきます。

衆議院繰り上げ当選、意義のある10日間

久しぶりの投稿です

4月の参議院補欠選挙後、「いま目の前のことを一生懸命やろう」と前向きな気持ちで、すべてに取り組んできました。特に新型コロナ対策、選挙では「まずはワクチン接種を迅速に進める、その仕組みを医療と政治を繋いで成し遂げる」と訴えたわけですが、それがかなわなかった以上、一医師としてワクチン接種を進める力になろう、と新型コロナワクチンの集団接種会場での問診のお手伝いを続けました。長野県のワクチン接種チームに登録し、北信地域のみならず県内各地でワクチン接種の現場を手伝い、医療関係者、自治体関係者の声、そしてワクチン接種を受けに来る皆さんの不安や思い、を肌で感じることができました。

接種会場には皆さん不安な顔をして入って来ます。副反応への不安、注射自体への不安、世の中様々な情報、時として不安を煽るような不確かな情報が乱れ飛んでいます。医師として、わかりやすい正確な新型コロナにかかわる情報を、ツイッターやフェイスブックで発信し続け、YouTube(ゆたチャン)でも毎週の発信を続けました。

そんな中、私も挑戦した4年前の衆議院選挙の北陸信越ブロック比例区で当選していた新潟の石崎徹さんが議員辞職をするというニュースが飛び込み、9月28日に衆議院で正式に辞職が許可されました。次点であった金子恵美さんが辞退し比例名簿から外れたため、10月4日の選挙会で私の繰り上げ当選が自動的に決定する、という知らせが10月1日に届きました。衆議院の任期がわずかな中ではありましたが、4年前に私に託してくださった多くの方の思いを胸に、法律に従って厳粛に受け止めるべきと考え、10月5日の朝、総務省で当選証書を受け取り国会に登院しました。

10月8日に4年ぶりに座った本会議場、9年前に初めて座った時の気持ちを体が感じました。新議員として紹介を受け、与党席のみならず野党席からも大きな拍手をいただきました。改めて、なぜ医師から政治を志したのか、新型コロナがいまだ収束しない中いまこそ命を守る政治を行わなければいけない、全国民の代表としての自覚と責任を持って、たとえ短期間であっても一生懸命取り組む、政治を志した原点を再び思い起こさせてくれる本会議場でした。

その後総理の所信演説、代表質問を終え10月14日に衆議院は解散されました。私の今回の任期は10日間でした。短い期間ではありましたが、この間多くの議員や官僚に、この半年間私が新型コロナ対策の現場、ワクチン集団接種会場で実際に感じた不安や声、改善すべき点などを国会議員として伝えることができました。なにより政治を志した初心をよみがえらせてくれたこと、あらためて衆議院でもっと頑張ろう、挑戦を続けていこう、という気持ちにさせてもらった意義ある10日間でした。

これからも与えらえれた立場で、いま目の前のことに一生懸命とりくんでゆきます。

与えられた立場で一生懸命に

覚悟をもって挑戦した参議院長野選挙区の補欠選挙

落選が決まった4月25日の夜、ツイッター、フェイスブックに以下のように書き込みました

「結果を出すことが出来なかった事、本当に申し訳ありません。必死に応援してくださった全ての皆さんに深く感謝申し上げます。皆さんのおかげで、最後まで元気に一体感をもって闘い、自分の全てを出しきる事ができました。 これからも世のため人のために生きていきます。 本当にありがとうございました。」

あれから、ちょうど一か月たちました。

直後から、元気に前向きに活動を続けています。

長野県中でお世話になった方への電話やあいさつ回り、新型コロナワクチン接種の手伝い、医師としての地域医療への貢献、日々変わる新型コロナの医学的情報の発信など、今の立場で、できることを一生懸命にやっています。

「いま与えられた立場で一生懸命に頑張れ、みんながそれを見ているぞ」

34年前に日赤医療センターでの研修を終え、東京大学第二内科に入局した時、信頼する先輩医師から言われた言葉です。

これからも、いま与えられた立場で、世のため人のため、一生懸命に生きてゆきます。

ユーチューブチャンネル「ゆたチャン」も新たにスタートです。

みんなが知りたい情報を発信してゆきますから、ぜひこれからもご覧ください。

本日会見を行い決意表明しました

 私の決意

 まずは、昨年末、急逝されました羽田雄一郎先生に、心より哀悼の意を表したいと思います。

 羽田雄一郎先生とは、一昨年の夏、長野県の一議席をかけて正々堂々と戦い、ご承知のように敗れました。もともと、羽田先生とは衆議院初当選以来、党派を超えてご指導いただき、長野県の将来についても熱く語り合った仲です。そして、その仲を取り持ってくださったのが、今は亡き吉田博美先生です。2人区時代、毎回一緒に戦う相手でありながら、羽田先生に「小松をよろしく頼む」と初当選後にお話しいただいたのです。前回も「小松を後継に」とご指名いただきながら、その役割を自分が果たすことができず、その3ヶ月後にお亡くなりになった吉田博美先生、そして、今、世界で最も大きな脅威である新型コロナで急逝された羽田雄一郎先生、私はお二人の思いを胸に、この度の闘いに挑戦する覚悟を決めました。

 一昨年の選挙の3ヶ月後、長野県は「台風19号」による大きな災害に襲われました。私は被災地を何度も訪れ、ボランティアで泥かきの作業をし、医師として避難所での健康相談などを行いました。実際に被災された皆様がどんな思いをされているのか、どんな苦しい思いをしているのか、ある意味、落選したからこそできる貴重な経験もさせていただきました。同時に「政治が命と暮らしを守れる」ということを実感し、政治の場にいることができなかった申し訳なさも強く感じた次第です。

 台風からの復興もままならぬ中、今度は世界中を「新型コロナウイルス」が猛威を振るい、私たちの生活を一変させています。一人の医師として、正しくわかりやすい医学情報を発信し、PCRセンターの立ち上げや、実際のPCR検査の実施なども行ってきました。新型コロナから命を守り、暮らしや経済も守らなければいけない。なにより、一日も早く新型コロナを終息させなければ全てが始まりません。こうした時だからこそ、政治と医療を繋ぐ役割を、医師である私が担わなければいけない。改めて私が政治を志した原点を思い起こさせてくれました。

 私は故郷の信州大学医学部を卒業後、内科医として大学病院などで勤務をしてきました。毎日訪れる患者さんたちを診療し、医学の進歩のため研究に没頭し、また後進の学生や若い医師たちの教育に携わる日々を送ってきました。

 その様な中、地方での医師不足が社会問題となり、その根本的な解決のためには政治の力が必要であることを強く感じたのです。目の前の患者さんたちを一生懸命診療する、病気の原因を解明し、新しい診療法を確立していく、もちろんこれらは大変やりがいのある、大切な仕事でした。しかし、誰もが健康で、幸福に暮らすためには、その医療を支える仕組みがとても大事だ、政治が、もっとたくさんの命を救うことができる、それこそが私が政治を志した原点です。落選後の様々な出来事は、改めて自分の政治の原点をよみがえらせてくれました。

 「政治が命と暮らし、地域経済を守る!」。新型コロナと闘い、終息させなければいけない今だからこそ、私は再び挑戦します。皆さまの大切な命と暮らし、雇用や地域経済を守り抜くために、全力で闘い抜く覚悟です。

 我々が今、向き合わなければならない敵、それは「新型コロナウイルス」です。

 「政治こそが、たくさんの命を救うことができる!」。

 私は政治家としての「信念」、そして医師としての「使命」を今ほど時感じたことはありません。

 我々は、この未曾有の厳しい現実に向き合い、命と暮らし、地域経済、そして、次の信州の新しい時代と子どもたち、孫たちのために闘わなければなりません!

 亡き吉田博美先生のためにも、保守の議席を必ず奪還し、より良き信州、日本の未来の為、この郷土で安心して暮らしたいと願う県民の皆さまのため、私は、自分が生まれ育った信州、長野県のためにご恩返しがしたい、日本のために汗を流したいと思っています。そして、県民の皆さまお一人お一人が輝く社会の実現に向け、全力を尽くす覚悟です。

 どうか、県民の皆さまのあたたかいご理解、そして熱いご声援を、心よりお願い申し上げ、私のご挨拶とさせていただきます。

令和3年2月1日

小松 ゆたか

橋本聖子オリンピックパラリンピック担当大臣が来長します

2月29日に予定し、新型コロナ感染拡大のために延期していた「小松ゆたかを励ます会」を10月31日(土)午後6時よりメルパルク長野で開催します。菅内閣で再びオリパラ担当大臣として再任された橋本大臣に、来年に延期された東京オリンピックパラリンピック開催に向けた思い、スポーツの力や女性活躍のための政策をお聞きします。会費は10000円、当日受け付けも可能です、ぜひお越しください。お問い合わせは事務局(026-217-2160)まで。

新型コロナと闘う!

 令和という新しい時代がスタートして1年経ちました。昨年の今頃は県内各地を走り回っていました。その一年後に日本が、また世界がこのような状況になるとは、全く想像できませんでした。新型コロナウイルスという見えない相手との闘い、命を守る、みんなの暮らしを守る、というまさしく政治が果たすべき役割を今ためされています。

 私自身が政治を志した原点「命を守るためには政治の力が必要だ」その思いもあらためて実感しています。緊急事態宣言が出され、自粛生活も長くなってきました。経済への打撃も大変大きく、特に台風、暖冬、新型コロナと続き、毎年多くの人を迎え入れたゴールデンウイークがなくなった長野県にとっては深刻です。先行きが見えないことに皆が不安を感じています。

 誰もが経験したことのない、まだわからないことだらけの新型コロナウイルスに対して、まず敵を知り、迅速な診断、治療法、さらには感染を予防するためのワクチンの開発、これらを早急に確立しなければいけません。同時に、すでに相当打撃を受けている経済、何とか耐えしのげる支援を直ちに行わなければいけません。日々の暮らし、子供たちの教育、医療や介護の現場、いま必死に頑張っているすべての人たちが、希望の光を実感できるようにしなければいけません。命が大事か経済が大事かといった事ではないのです。感染拡大を防ぎながら経済や人々の暮らしを守る、すべての英知を結集し、速やかな政治的な決断が必要です。

 自民党では4月に入り「新型コロナウイルス対策医療系議員団本部」を設置し、医療現場の経験を政治につなげる役割を担っています。私もその一員として週二回のテレビ会議に出席し、情報を逐次把握し、医学的な助言も行っています。様々な情報、時として不安をあおるような医学情報が氾濫する中で、正しい医学的情報を把握し、それを政策に結び付ける、また政策の医学的根拠を国民にわかりやすく広報する、大事な役割です。私もいま自分にできること全てに取り組んでいきます。

 4月の初旬、東京の日赤医療センターの院長より「このままでは確実に医療崩壊が起きる。何とかしてほしい、一度現場を見てくれ」と連絡があり、新型コロナと闘う医療の現場にお伺いし課題を聞きました。感染拡大により、防御着やマスクなどの不足、救急受け入れや新型コロナ以外の患者さんの診療や手術にも影響が及んでいる状況、医療の現場を支える緊急性を実感し、感染を収束させなければいずれ長野県も同じことが起きる、と直感しました。
国の情報を把握しながら、長野県医師会とも連携を取って、検査センター設置など県の取り組みを支援していきます。

橋本聖子大臣をお招きして「小松ゆたかを励ます会」

令和2年2月29日に橋本聖子大臣を長野にお招きして、「小松ゆたかを励ます会」を行います。

メルパルク長野で午後6時から、午後7時から懇親会の予定です。

どなたでも参加できます。詳細は事務所にお問い合わせください。

橋本聖子大臣とは私がかつてオリンピックドクターをしていた頃からの長いおつきあい。

今から、24年前のアトランタオリンピックでは橋本聖子さんが自転車の選手として、私が野球のドクターとしてご一緒し、こんなツーショットもありました。二人とも若いね。

開会式の入場行進を待つ間のこんな写真もありましたよ。松岡修造さんはテニスの選手として出場。

2020東京オリンピックパラリンピックを大成功させて、そのあとも「スポーツの力」を世界の力にするために、私も今の立場でできる限りのことをやってゆきます。

新たな気持ちでスタートを切りました!

「もう一度原点を見つめなおす」

令和という新しい時代がスタートした昨年夏、私は国政復帰を果たすことができませんでした。夏以降は約3か月かけてお礼とお詫びで県内を回りました。そして10月の台風19号、千曲川に沿って各地で甚大な被害が発生しました。私も培ってきた様々なパイプも使って復旧のお手伝いをすると同時に、一医師、一ボランティアとして、被災地や避難所で活動を行いました。昨年のすべての経験が将来必ずためになる、そんな前向きな気持ちで新しい年を迎えることができました。

1月より長野県ふるさと振興支部の支部長として活動を続けています。自分がなぜ政治の世界を志したのか、その原点をもう一度見つめなおしてから再スタートを切りました。国会に初当選させていただいてから7年経ちますが、衆議院議員として様々な役割をいただき、その役割を果たすことに必死でした。やりがいのある政治の世界に居続けるためには、選挙で勝つという結果を出さなければいけない。そのために、早朝の街頭演説から始まり夜遅くまで、あらゆる場所に顔を出し、一人でも多くの方にお会いする、そんな活動も続けてきました。しかし、立ち止まってゆっくりと考える時間があまりにもありませんでした。

医療現場の最前線に身を置き、大学での医学研究も行いながら、「現場の声があまりにも国に届いていない。医学の進歩を生かすためには政治の力が必要だ。だったら自分でやってやろう」それが私の原点でした。昨年暮れにはペシャワール会の中村哲先生がアフガニスタンで銃弾に倒れましたが、まさに「医療も大事だけれども、命を救うのは水路だ」と活動を続けてきた中村先生、比べればまだまだではありますが、同じ志でした。この一年間、長野県内各地で「地域の医療を何とかしてほしい」という声もたくさんいただきました。県内各地での医師不足も深刻です。栄村の森川村長は、村でたった一人の診療所の先生が、「もう高齢だからやめたい」、と申し出てきたときに「患者さんの手を握ってくれるだけでいいから続けてほしい」と嘆願しました。これほどの深刻さを国は理解しているのでしょうか。ゆっくり考えれば考えるほど、自分がやらねば、という気持ちが強くなっています。

「スポーツの力を社会の力に」

「スポーツの力を社会の力にしたい」これがもう一つの私の原点でした。かつて国立スポーツ科学センター(JISS)で、すべての競技のトップアスリートたちを医学的にサポートしました。競技スポーツの現場を日本一よく知るドクターでした。その目指すところは、若者からお年寄りまで、みんながスポーツの魅力を感じてもらうこと。多くの方がスポーツに親しみ、それが社会の元気につながる、と活動を続け、行き着いた先が政治でした。「健康長寿や生きがい」「地域の活性化」「青少年の健全育成」「世界の平和」「経済効果」などスポーツには大きな力があります。衆議院議員時代も、2020年東京オリパラ招致、スポーツ庁の創設、女性アスリートの健康支援を通じた女性の健康支援、障がい者スポーツを通じた障がい者支援、アンチドーピング法の作成などにも深くかかわりました。

「平和な世界を創るスポーツマンシップ」

今年はいよいよ日本でオリンピック・パラリンピックが開催されます。オリパラを成功させるのはもちろんのこと、オリパラ後こそ大事です。そこからが「スポーツのチカラを社会の力にする」ためのスタートです。

スポーツの力で「平和な世界を創ること」これも私の大きな夢です。スポーツマンシップとは何か。それはリスペクト、尊敬尊重すること。一緒に戦う仲間、相手、ルール、これらをリスペクトして正々堂々と戦う。世界中が、それぞれの国の人種や歴史、宗教、それらをリスペクトしあって戦争のない平和な世界を築いていく。壮大な夢ですが、一歩でもその夢に近づく努力を続けてゆきたいと思います。

小松ゆたか通信(2019年7月5日)

【小松ゆたか通信】


目次

1小松ゆたかの活動報告

2最後に皆さまへのお願い


1 小松ゆたかの活動報告

皆さまこんにちは。小松ゆたかです。遂に新時代、令和においての夏の戦いが始まりました。私、小松はこの度第25回参議院通常選挙に自由民主党公認、公明党推薦にて立候補させていただきました。7月21日までの17日間、必死にこの死闘を戦って参ります。信州で生まれ育った「小松ゆたか」に是非、皆様の熱いご支援を宜しくお願い致します!全力で長野県、信州を駆け巡り一人でも多くの方にお会いできますように、そして愛する信州に恩返しをさせてください。

さて6月末に大阪でG20が開催され、日本にとって未だかつてない大規模な国際会議でしたが、議長国としてつつがなく共同声明を採択することができました。主要国の首脳が一堂に会する中、今回のサミットでは互いの共通点を見出し、主要な世界経済の課題に団結して取り組んでいくことを確認しました。
外交面でもアメリカのトランプ大統領が北朝鮮を電撃訪問し、現職アメリカ大統領として初めて北朝鮮の領土に降り立つなど歴史的ともいえる展開になりました。日本としても北朝鮮とアメリカの緊張緩和は拉致被害者問題を前に進めるためには重要で、今後も動向を注視していく必要があります。
参議院選挙は与野党が拮抗する状態となっており、予断を許さない状況です。私も県内各地を目まぐるしく回って皆さまに御挨拶をさせていただきます。
さて今週の活動報告をさせていただきます。出生地である浅間温泉を訪問しました。丁度ツール・ド・美ヶ原を開催する週でした。こういった山岳スポーツは地域の魅力発信とスポーツを融合させた素晴らしい取り組みだと思います。山岳スポーツで長野の美しい自然と健康長寿を世界へと発信するお手伝いをしていきます。

スタッフの皆さまとも記念に写真を撮影しました。暑い中精力的に活動されていました。こういった裏方のスタッフが働いているからこそ大会の運営ができます。かつてオリンピック選手を影から支えた身として、スタッフも応援したくなりました。私も元気をもらいました。

若林健太さんと女性の集いに参加しました。非常にエネルギーのある方ばかりで、やはり女性の力が令和の時代には不可欠だと感じました。女性が働きやすい職場作りや共働き世帯への支援などの拡充を推進していきます。

自民党本部選対委員長甘利明代議士、務台俊介代議士を迎え、豊科・松本 の2会場にて総決起大会を開催しました。たくさんの御来場ありがとうございました。長い時間を過ごした松本や安曇野は私にとっても大学時代を過ごした思い出深い地域です。松本空港の国際化、活用方法の充実化など松本近辺のさらなる可能性を追求し、同時に山間地域の防災用設備の整備など安全・安心な環境作りに取り組みたいと考えています。

信濃毎日新聞主催で同じ長野県区から出馬される現職の羽田雄一郎代議士と公開座談会をさせていただきました。そこで共通認識である少子化が進行する信州に対する課題や揺れる発言問題について意見をさせていただきました。 私の方からは社会保障の充実の為にも地域経済の活性化、豊かな信州を創りたいと申し上げました。

令和という時代は信州の課題だけではなく、当然日本の行く末を真剣に考えていかねばなりません。今対策をしないと手遅れになる課題が沢山あります。与野党関係なく、日本の、国民のためになる議論をこの選挙を通して訴えて参ります。現職時代は国会対策副委員長を拝命し、与野党間の調整等をさせていただいていました。それもあって、昨年末に循環器病の疑いのある患者が速やかに搬送され、適切な処置を迅速に実施できることなどを定めた「脳卒中、循環器病対策基本法」が成立し、心を撫でおろしました。真に国民に資するため、活動してまいります。

選挙は「選挙戦」と言われるように戦いだと考えています。しかし戦うべき相手は同じく立候補した他の候補ではなく、「自分自身」との戦いだと思います。今までの訴えを信州の皆さまに聴いていただけたのか。本当に皆さまが求めていること、信州の未来像を示せていたかという自身への問いの答えが選挙の結果なのだと思います。2年前衆議院選挙で落選してから沢山の方々とお会いし、意見を頂戴して勉強させていただきました。率直な意見を頂戴し、今必要なのは皆さまの不安を取り除くことなのだと痛感しました。医療をはじめとする社会保障は国家のセーフティネットです。これが揺らぐことはすなわち国民の生活が揺らぐことと同義です。安定した社会保障のあり方を真に考えられるのは実際に医療の現場で働いていた 小松ゆたか しかありえない。この事を信州の皆さまに強く訴えていきたいと思います。強い信州を作ります。皆さまのお力添えをどうぞよろしくお願いいたします。

決意
本日まで長野県各地を訪問させていただきました。確信できるのは、ここ信州には沢山の素晴らしい宝があるということです。自然の宝、人材の宝、それを活かしきることができれば信州はもっとゆたかになります。それを小松ゆたかに任せていただきたい。強い信州を作り、皆さまのために小松ゆたかは働きます。社会保障の充実、地域経済の活性化、子育て支援、インフラ整備等、与党としての責任をしっかりと果たしていきます。超少子高齢化という、厳しい令和という新時代の幕開けを豊かなものにする為に「小松ゆたか」が新しい信州を切り拓いていきます。皆様のご支援、そして熱き清き一票をよろしくお願い申し上げます。
新時代~信州をゆたかに~
小松 ゆたか
追伸

小松ゆたかは本日まで長野県各地を訪問させていただきました。過去、現在の活動はSNSでチェックしてみてください。宜しくお願いします。

2.最後に皆さまへのお願い~小松ゆたかを広めてください!~
小松ゆたかは皆さまにお会いするため、広い長野県を駆け巡っております。
小松の活動情報を随時アップしておりますので是非SNSのフォロー・いいね・シェアをしていただいて応援の輪を広げて頂きますようよろしくお願いいたします!
 

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