「コーヒーブレイク」カテゴリーアーカイブ

100円のうまいコーヒーに思う

月曜の朝恒例の街頭演説を終え、長野事務所でのミーティングを終えて、上京する新幹線の中で書いています。

2回目の当選をさせていただいてからもうすぐ2か月、長野事務所の体制の整備、あいさつ回り、新年会、後援会組織の立ち上げ、国会も始まりました。

一週間に大体3往復する新幹線の中、少しでも体を休めようと、目を瞑っている事が多いのですが、しばらく書いてなかったブログを書かなきゃ、と奮起してPCの電源を入れました。

コーヒー好きの私は、今日も新幹線に乗る前、長野駅の待合の売店でコーヒーを買いました。

1杯100円、新幹線の中で買うと310円、断然安いから、朝などは2台あるコーヒーメーカーの前に行列ができるのだそうです。

売店の女性がそう教えてくれました。

安くてよいのだけれど、でもそれが本当に良いことなのか?

規制改革や農協改革の議論とも重なり複雑な気持ちになってきました。

おそらくそのうち車内販売のコーヒーはなくなり、ほかの商品も乗る前に買ったほうがいくらか安いわけだから、車内販売もなくなっちゃうかもしれません。列車の風景が一つ消えてゆく。

街の中からも、昔ながらの喫茶店がどんどん消えていっています。

高校生時代、女性をデートに誘う言葉は「お茶でも飲みませんか?」でした。

喫茶店での初デート、今でも鮮明に覚えています。

たまり場でもあった喫茶店でコーヒー飲みながら、様々な大人や仲間と語り合いました。コミュニケーションの場でもありました。

今の時代はそれがラインやツイッターってことなのか。

規制改革や競争原理、そんなことばかり叫んでいると、やがて日本のふるさとの原風景は消えていくでしょう。町の商店街がなくなり、学校から給食を作るにおいが消えていったのも、同じこと。

コーヒー1杯でいろいろ考えちゃうなあ、でも政治家だから責任をもって考えて取り組まないと、などと思いながら、もう東京です。

しかし鮮明にその場面を覚えている初デートした喫茶店、その名前を思い出すことがまだできずに、ちょっとショックな小松でした。

 

 

 

久しぶりの東大病院の古~い研究室

昨日は、厚生労働委員会が終了した後、久しぶりに17年間お世話になった東大病院を訪れました。

まずは消化器内科の小池和彦教授室を訪問、この4月から日本内科学会の理事長になられた小池先生です。私の学位の審査もしていただきました。

ご多忙のなか、医療の将来や大学での研究の話などをゆっくりとさせていただきました。

そして、懐かしい研究室も久しぶりです。もうすぐ取り壊されてしまうからこれが見納めかも。

みんな脇目も振らず研究していました。これが旧第二内科の25研。

20年以上前、私が実験もしていたころ、この写真の正面の換気扇の下の机が私の机でした。

こちら大塚先生と平田先生、頑張って世界的な研究をしています。

それから、廊研(研究室が足りなくうなったためにかつて廊下だったところを研究室にしちゃった)へ、いました私の愛弟子・平野賢二先生。

平野先生が医者になって間もないころ、医者としての心得、ERCPのテクニック、学会抄録の書き方、あいさつの仕方なども教えました。一緒にいたJR病院は楽しかったね。

もちろん今は「自己免疫性膵炎」研究の重鎮です。

そして、胆膵の臨床研究をやっていたころの研究室、6研へ。

私の後、8年前から胆膵グループを引っ張ってくれている伊佐山先生、胆膵の内視鏡治療では、もはや世界でイサヤマを知らない人はいないほど有名。

そして、わきを固める中井先生と山本夏代ちゃん、ビッグな伊佐山先生もこの二人をはじめ周りの支えがあってこそ。

本棚には、私が残して行った「こまつ」と書かれた本がたくさん残ったままでした。

8年前、消化器内視鏡・胆膵の世界からスポーツの世界へ移動した私ですが、残ったみんなががんばってくれていて、再び訪れることができる幸せ!

ああ感謝!

これからは、政治家として医療の世界を、そして世界的な研究を支えるからね!

遠藤俊吾の壮行会、久しぶりに医学部時代の仲間たちと再会

3月20日の夜、久しぶりに信州大学時代に医学およびその他もろもろを共に学んだ仲間たちと再会しました。

現在、昭和大学横浜市北部病院准教授の遠藤俊吾君が福島に栄転されるということで、その壮行会。

信州大学医学部の学生だったころ、遠藤と小山隆君が共同で借りていた家に毎晩のようにみんなが集まりました。

まあ今考えると寮みたいなもんだったな。

酒を飲みながらいろいろな話をしたり、メンツが集まると麻雀したり、もちろんみんなで勉強もした。

試験の前にあそこに行くと様々な情報を仕入れることもできました。

授業にあまり出なかった私は、あの家でみんなにやさしく教えてもらって、一晩で馬鹿から利口に変身することもできました。

その代り、麻雀ではいつも「カモ」になってたな。

でもみんなのおかげで医者になれたのだから、授業料だったと思えば相当安かったかも。

なんたって、あそこに集っていた仲間たちの中からもうすでに母校の教授が二人誕生、そして今度は三人目。

楽しいだけじゃなくて刺激もたくさんもらえるいい仲間たちでした。

集まったのは11人、みんなそれぞれの立場でがんばっているから、生き生きしていた。

話の内容も、みんな前向きなことばかり。昔と全然変わらない。

全員50歳以上のおじさん軍団には見えなかったよ。

これからも、それぞれの立場で、まだまだ日本の医療のために頑張りましょうね!

劇団未成年第6回公演「ぎんだま商店街」

浅草橋のアドリブ小劇場に芝居を観にいってきました。

バスケ仲間の友人、劇団未成年の高橋正臣が出演する公演「ぎんだま商店街」

学生時代、松本にやってくる芝居はときどき見に行きました。信州大学の松本キャンパスでも、「劇団山脈(やまなみ)」の芝居も良く見ました。

卒業してから東京の病院で研修することが決まって、「東京に行ったら加藤登紀子のほろ酔いコンサートに行って、下北沢でアングラ芝居もいっぱい観るぞー」と思っていたけれど、研修医生活は忙しすぎて、芝居を観にいく余裕はありませんでした。

もちろん、お登紀さんのほろ酔いには行ったけれどね。

久しぶりの小劇場、昔に比べてだいぶきれいにはなっていたけれど、十分雰囲気を味わうことが出来ました。

昭和のかおり漂う人情味あふれる商店街のお話し。

逆らうことの出来ない「時代の波」、「どうして日本はこんな国になっちまったんだろうなあ」と商店会長・・・

2月19日までやってますから、お時間のある人はぜひ観にいってね!

そして、この人が高橋正臣

いい男でしょ

背も高くて、イケメンで、もちろん芝居も上手。おまけにバスケも超うまい!みなさん応援よろしくね!

帰りは、浅草橋の駅ちかくの中華料理屋で一杯。

なんと、生ビールが150円。

恐るべし浅草橋、今度ゆっくり開拓しようかな。

お年取りとお雑煮と初詣

みなさん、あけましておめでとうございます。

今年も元気に、一生懸命、そして楽しく、いきたいですね。

「お年取り」は実家のある信州・諏訪でした。

「お年取り」というのは、どうやら全国的ではないことを最近知りましたが、信州では大みそかの晩が一大行事。正月の準備を終えたあと、ごちそう、お年取りの魚をたべて酒を飲むのです。魚はそれぞれの地方で違うようですが、我が家は昔は鯉、最近は鰤。たぶん信州では正月よりもお年取りのほうが大事な行事なような気がします。

いつものように、たらふく酒を飲んで、紅白も見て、そして元旦はお雑煮。

これが我が家のお雑煮です。鶏としょうゆ、うまいうまい。

そのあと諏訪大社・上社に初詣に行ってきました。

そして、毎年恒例のおみくじ。

「小吉」、いいことがたくさん書いてある。

「暗くて見えない道も月が出て明らかになるように

次第に幸福が加わる運びなので

焦らず騒がず静かに身を守り

進むべき時に進めば何事も成就する」

今年も素敵なお諏訪様のお論しです。

よし、焦らず、騒がず、進むべき時に進んでいこう!

ということで、今年もよろしくお願いしますネ!

今年も加藤登紀子さんのほろ酔いコンサート

12月27日、私が毎週火曜日に勤務している新宿海上ビル診療所で年一回の胃と大腸の検査。

毎年お願いしている馬場先生は超名人です。

胃カメラをまずやって、終わったら体を逆にして今度はおしりからスコープを入れて大腸の検査。

30分もしないで両方とも終わっちゃうし、ぜーんぜん苦しくないし痛くない。

ほら、ピースなんかしちゃって余裕の表情。

結果も全く問題なくひと安心、めでたしめでたし。

そのあと有楽町のよみうりホールに向かいました。

毎年恒例の私の神様・加藤登紀子さんの「ほろ酔いコンサート」、初めて行ったのが医者になって初めて東京に出てきたちょうど25年前の暮れ、最近はゴスペラーズの村上てつやさんといつも一緒に来ています。

 

今年はやはりゴスペラーズの北山陽一さんも一緒、北山さんは東北・八戸の出身で、東日本大震災のあとも「音楽に何かできることはないか」って考えて、登紀子さんとも様々な活動を行っています。

そのうち、スポーツと音楽と一緒に何かできたらいいね。

今年のほろ酔いのゲストは笑福亭鶴瓶さん。そして鶴瓶さんが歌ってくれたのが「生きてりゃいいさ」、河島英五が登紀子さんに昔贈った歌。

私も大好きな歌です。

「君にありがとう とてもありがとう

もう会えないあの人にありがとう

まだ見ぬ人に ありがとう

今日まで私を 支えた情熱にありがとう

生きてりゃいいさ 生きてりゃいいさ

そうさ、生きてりゃいいのさ

喜びも悲しみも立ちどまりはしない

めぐりめぐってゆくのさ

手の掌を合わせよう ほら温もりが

君の胸にとどくだろう」

私はこの3番がとても好き。

だいぶ昔の歌だけど、いろんなことがあった今年だからとても感じる歌です。

よし、来年も、みんなに感謝感謝で、情熱を持ち続けながらがんばるぞ。

それでは皆様、良いお年をね!

JISS医学研究部の大忘年会

12月22日にはJISSの医学研究部の忘年会が都内某所で盛大に行われました。

クリニック、リハビリ、栄養などなど、非常勤の職員も含めて総勢約60人、みんなでトップアスリートを支えています。

司会はご存じレスリングドクター中嶋耕平、蝶ネクタイ姿も意外と似合う。

そしてこの日のメインイベントは我らがボス、川原貴先生の還暦のお祝い。

じゃじゃーん。

すごい!後ろにJISSのマークが入った赤いちゃんちゃんこ。忙しいのに、いつこんなの作ってたんでしょうねえ。川原先生大喜び。

幹事の美女看護師三人組のみんな、ありがとね。

続いて、賞品付き大クイズ大会。ほんとに企画が盛りだくさん。

こちらもご存じ、マジカルエクササイズ女医の中村格子

手のあげ方もカッコイイ、きっとこの顔の傾け方がみそだね。さすがテレビの準レギュラー。最近「ツンツンくびれ体操」って本も書いたから皆さん買ってね!朝晩30秒のツンツンだけでモテボディになる方法が書いてあるよ。

そしてどうやらココマツ先生も何かあたったらしい。このうれしそうな顔。

ということで、大いに盛り上がってあっという間の3時間でした。

来年はいよいよロンドンオリンピックです。みんなで力をあわせて選手たちを支えるぞー。

最後はみんなで「ガンバロー日本、ガンバローJISS」の大合唱、来年も頑張ろうね。

鼻くそって食べてもいいんですか?その2

今日、JISSのエレベーターで日本水泳連盟・競泳委員長の上野広治さんとバッタリ。

上野さんはにこにこしながら「うちのコーチがへんなこと聞いてすみません」

そーか、上野さんまで鼻くそのこと知ってるんだ。

ツイッターやフェイスブック、恐るべし。

「ぜんぜんへんなことじゃありませんよ。コーチや選手たちとのこういうコミュニケーションが大事なんです」

これは本当に大事なこと。

もちろん、まじめな医学や科学の話もするけれど、たわいもない話の積み重ねから信頼関係は生まれるからね。

逆に、どんなことでも気軽に聞いてくれてありがたい、って思います。

「気軽に聞けないタイプ」の人っているからね、とくに医者には。

そういう人には現場のチームドクターはたぶんつとまらない。

てな訳で、選手やコーチの皆さま、次なるブログネタになるような楽しい質問をお待ちしてますから、ぜひよろしく。

ところで「鼻くそは食べたほうがよいか」については、あのあとさまざまな情報が寄せられました。

どうやら、テレビでそうおっしゃった先生はあまり深く考えずに、キレイになりすぎた世の中に警鐘を鳴らす意味で言ったらしいこと、以外に鼻くそ愛好家は多いらしいこと、などなど。

私も一応医者ですから、免疫やアレルギー、細菌学などの最新の医学論文をもとに正しい答えを出そうと現在調べている最中です。

ここまで読んで、今日その答えを期待していた皆さん、ごめんね。

もうちょっとお待ちを。

鼻くそって食べてもいいんですか?

今日の昼、JISS7階のレストラン・アールキューブで食事をしていた時のこと。

隣のテーブルに座っていた、競泳のコーチから、

「食事中、突然へんな質問なんですが、鼻くそって食べたほうがいいって本当ですか?」

と質問されました。

どうやら、テレビで誰かが「鼻くそは食べたほうが丈夫になる」と話をしたらしいのです。

うーん、そういう話は聞いたことはないけれど、たぶん世の中清潔になりすぎて、健康のためには少し汚いものにも触れる生活をしたほうがよい、という趣旨のことだったのではないかと推測しました。

確かに、近年のアトピー性皮膚炎やぜんそくなどのアレルギー性疾患の増加の背景には、人間が寄生虫やばい菌にさらされなくたったことが一因であるといわれています。少しくらい汚いほうがいいらしいのです。

ただし、私の立場だと「少しくらい汚いほうがよい」とはなかなか堂々とは言えません。

試合を直前に控えた遠征などでは、感染症によって大事な試合に影響が出ることもあるから、キレイキレイにしてそのリスクを減らす努力もします。

でも、だったらそれを一年中やらなければいけないのか??

とても難しいところだけれど、でも、感覚的には無菌的にいることより、自分の体調を整えることのほうが病気にならないような気はするのです。

たとえば、我々医者は病気の人や感染症の患者さんたちととても数多く接します。

でも、それが原因で風邪をひきやすいとか病気をうつされやすいとか、そんなことはありません。診察中にマスクもしません、手洗い・うがいはよくするけどね。

そもそも、ばい菌やウイルスなんてものはこの世の中にはうじゃうじゃいます。だから大事なことはばい菌に打ち勝つ抵抗力を保つこと。

そのためには、体調を整えると同時に子供のころからあまり無菌的にならないことも大事なのかもしれません。

鼻くそは本当に食べたほうがよいのかどうかは、医学的以外の部分もあるからね。どう考えてもおいしそうじゃあないし、でも丸めてクスリだと思ったら飲めないことはないか・・

鼻くそは本当に食べたほうが体に良いのかどうか、今度成分も調べて、いろいろな文献も調べて、そのうち皆さんに報告しますね。

ユニバーシアードの慰労会とミュージシャン塚原光男

今日は8月に行われた深圳ユニバーシアードの慰労会&忘年会でした。

塚原光男団長、福井烈総監督、そして我々下っ端JOC本部の連中が赤坂某ライブハウスに集合しました。

なぜライブハウスなのか?

それは、じゃじゃーん。塚原光男団長は昔ムーンサルトをやったりオリンピックの金メダルをいっぱい持っているだけではなく、実はミュージシャンなのです。

店には、塚原団長のゴールドのマイエレキギターが飾られ、そのまま親父バンド「塚原光男とムーンサルト」のオンステージ。

ご存じベンチャーズのテケテケから始まり、もう誰も止められない状態に。しかしとてもシロートとは思えないギターテクニック。

あんなに忙しい人なのに、いったいどこで練習してるんでしょうね。やっぱりただものではない。

途中、来年のロンドンオリンピック・チームジャパンの応援ソング「強いものは美しく」も披露、実はこの曲作詞作曲も塚原光男さん。

もうすぐ有線にも出るそうだから皆さんリクエストよろしくね。

というわけで、宴会は超盛り上がって、光男コールの嵐。アンコールに応えて「思い出の渚」。最後は福井総監督の掛け声「ガンバロー、ニッポン」で締めくくりました。

夏の深圳ユニバーシアードから3か月、最近のことのような、遠い昔のことのような・・・

しかしそんな思い出に浸かる間もないほどの強烈な塚原光男オンステージで、赤坂の夜は更けていったのでした。