2007年2月~イタリア・トリノ・冬季ユニバーシアード大会
―スポーツ選手も注射は苦手
イタリア・トリノ行われていた学生のオリンピック、冬季ユニバーシアード大会が終わりました。また、今週からは中国・長春で冬季アジア大会がはじまりました。冬の競技では、大会中にインフルエンザを発症した場合に成績に影響するのはもちろんのこと、隔離もままならない選手村の状況を考えて、インフルエンザの予防接種を行います。私が勤務する国立スポーツ科学センターでは、このような競技会に派遣する前のメディカルチェックを行っていますから、その際にインフルエンザの予防接種も行う、ということになります。
たくましい体つきの選手たちでも、やはり「注射」は苦手のようです。みんな、緊張した顔つきで私の前に腕を差し出します。終わった後、「前より痛くなかった」とか「思ったほど痛くなかった」と選手に言われると、うれしくなったりもします。
「注射」や「採血」というのは、おそらく、医者になってからはじめて行う医療手技です。そして、患者さんにとっては、医者から最もたくさん受ける医療行為。時として、毎日行われるこの行為がうまくいくかどうかは、患者さんにとって、とても重大であることは、言うまでもありません。
「採血を失敗しない」「点滴をいつも一発で入れてくれる」といったことで、患者さんの信頼を勝ち得た経験や、また、その逆の経験がある医者はとても多いと思います。
この「注射」に関して、私には、今から21年前、研修医として勤務した初日の忘れられない思い出があります。
大学を卒業してから東京に出てきた私は、渋谷区にある日赤医療センターで研修をスタートさせました。あのころ、あまり多くなかった、「スーパーローテート研修」があったことも魅力でしたが、大学を卒業するまで長野県を離れた事がなかった私は、「一度は大都会に出てみたい」という、医学とは全く関係のない、ふしだらな気持ちもあって、六本木にも近いこの病院を選んだのでした。
私の研修医生活はその日赤医療センターの8階西病棟で始まりました。消化器内科、血液内科、アレルギー内科の混合病棟でしたが、多くの患者さんが朝晩点滴を行っていました。もちろん針を刺すのは研修医の仕事です。消化器内科にはもうひとつ病棟がありましたから、そちらも含めて、毎日のべ80人くらいの患者さんに点滴の針を入れていました。
回診などを終え、9時過ぎから、看護婦さんと二人で、「点滴行脚の旅」が始まります。50人以上いるのですから、午前中は、ほとんどそれに費やしていたように思います。
研修初日、なんとか初回の点滴入れを終えて、ナースステーションでカルテを書いていた私に、さきほど一緒に回っていた看護婦さんが声をかけました。「先生、PSP試験にいきますよ」。PSP試験?確か、腎臓の検査だったような・・・、でもどうやるのかは知らない。すぐ横にいた研修医二年目の先生に、「PSP試薬を静注して、あとは看護婦さんがやってくれるよ」と教えてもらい、病室に向かいました。
患者さんの腕に駆血帯を巻き静脈を穿刺しました。ところが、静脈を穿刺したかどうかがわからないのです。最近は行わない検査のようなので補足しますが、PSP試薬というのは赤い色をしています。目で見ても赤い血の逆流がわからないのです。「あたっていない」と思い、針を抜きました。すると、今度はシリンジが勝手に滑り始めました。今のディスポのシリンジならありえないことなのですが、あのころは、ガラスシリンジを使っていました。シリンジを水平に保持していないと、内筒が動いてしまうので、穿刺の際には内筒も同時に持たなければいけなかったのでした。何とかシリンジを水平にして再び穿刺、でもあたらない。徐々に冷静さを失っていきました。
すると、その看護婦さんの手がシリンジに近づき、患者さんにわからないように身体でシリンジを隠し、無言で、あっという間に静脈内に針を入れてくれたのでした。患者さんは全く気がついていません。見事な早業。私は、赤い試薬を注入し終えると、ナースステーションに戻り、その看護婦さんにお礼を言いました。30半ばの、ショートカットで一見宝塚のスターのようなその看護婦さんは、何も言わずにニコッと微笑んで、ほかの病室に消えてゆきました。
―「教える側」と「教わる側
「少しは勉強して国家試験も合格して医者になったけれど、注射すらまともにできない」と痛感。同時に、なにもできない研修医を、罵倒することもなく、しかも、患者さんに苦痛も与えず、研修医を無言で教育する看護婦さんとそのテクニック。「患者さんのためにも、この看護婦さんのためにも注射がうまくならねば」と感じました。私の経験したなかで、最強の、心に残る、そして最も効果的な指導でした。
その晩から、私の目標は、まず「注射が上達すること」になりました。毎晩、いろいろな種類のガラスシリンジに針をつけ、シリンジの中には水道水を入れて、血管に見立てたゴムの駆血帯に針を刺しました。シリンジの持ち方も研究しました。内筒を押しても針先が動かないように練習しました。
今から考えると、この忘れられない思い出には、「教える側」と「教わる側」という二つの要素があります。少なからず、「これからしっかり勉強してまともな医者になろう」と思っていた私にとって、教える側と教わる側の想い、そのタイミング、がぴたりとはまりました。指導する立場からすると、「いかにしてその気にさせるか」が大事なことですが、教わる側も教える人間の気持ちを汲み取る努力が必要です。
研修中の皆さんは、忙しい指導医に、理不尽に怒られてむかつく事もあるかもしれない。でも、教えることはパワーが必要なのですから、なぜ教えようとしてくれているのか、ちょっと考えてみると、むかつき具合もきっと変わりますよ。