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衆議院解散と高倉健さんを悼む

11月18日夜、安倍総理が会見し、消費税10%への引き上げを1年半延期すること、そして11月21日に衆議院を解散することを表明しました。

会見をテレビで見ながら、私は安倍総理の強い決意と覚悟を感じました。

この会見のポイントは、消費税引き上げの延期よりも、景気条項の撤廃を明言したこと、すなわち1年半後には、将来の社会保障財源としての消費税を必ず10%にすると明言したことです。

平成29年の4月までに、責任を持って経済を再生させ景気を回復させる、地方でも実感できる景気回復を実現する、それを我々に任せてほしい、それを問わせてくれ、ということだと感じました。その一端を担うために、必死に頑張らなければ、と力が湧いてきました。

野党は「アベノミクスの失敗だ」と批判しますが、経済再生はまだ途上です。これから強い第三の矢を放って、経済政策を軌道に乗せなければいけません。それを誰がやるのか、どのようにやるのか、です。批判する方たちもそのことは話しません。

総理の記者会見の前日、民主党は3年前の「税と社会保障の一体改革」の三党合意を白紙に戻す、と発表しました。GDPの速報値を見る前にです。これも大変無責任と感じます。

北信を走り回りながら、消費税8%もかなりきつい、地方では景気回復の実感がない、来年の秋10%への引き上げは延期すべきではないか、増税直後にはあまり聞かれなかった声が、夏くらいからどんどん強くなってきたことを実感しました。常にみんなの声に耳を傾けているからこそ、自民党内でも、消費増税先送りの議論が夏すぎから活発になってきました。しかし一方どんどん増え続ける医療・介護・年金などの社会保障費、それを安定的に確保するための仕組みも重要です。みんなが安心して暮らすことのできる社会を責任をもって作っていくことが大事です。しかし決してデフレ経済に逆戻りさせてはならない。だから、自民党内でも議論を重ねました。GDPの速報値もその重要な指標でした。

12月に行われるであろう選挙では、まずは経済再生、その責任を我々自民党に任せてください、と訴えたい。そして、もともと医療やスポーツの現場にいた私が、この2年間国会議員として活動してきたこと、健康長寿、スポーツ、農業などの政策を評価してもらいたい、そう思います。

そんな中、飛び込んできた訃報、大好きな高倉健さんがお亡くなりになりました。

高校時代に初めて見た「幸福の黄色いハンカチ」、感動しました。

医者になってから見た東映の任侠映画、「昭和残侠伝、死んで貰います」、とにかくかっこいい健さん、正しいことに突き進み、卑怯なことはせず、弱きを助け、強くても悪い奴にはものを言う。そしてやっぱり義理人情。以来、元気を奮い立たすために、ひとりで名画座にもよく行きました。

昔のブログにも書いているので、ぜひご覧ください。

「浅草の名画座」

「映画カサブランカのリックと健さん」

私も2年前、総選挙直前に公募で候補に選んでいただき、8万人近くの方に「小松ゆたか」と書いていただき国会に送り出していただきました。北信の皆様に大きなご恩があります。

そのご恩に報いるためにも、決して自分のためや党のためではなく、世のため人のため、信州のため日本のため、世界の平和のため、これからも誠実に長く政治を続けてゆきたい。

そのために、必死に戦いたいと思います。

 

 

 

 

 

初心を忘れない

この連休中も、北信を駆け回りました。

今朝は、柳町の交番の前で街頭国政報告をして、昼からの本会議のために上京する新幹線の中です。

「政治と金」の問題で、なかなか国会での審議が進みません。

先週も厚生労働委員会での審議は行われませんでした。

二人の女性閣僚が辞任した翌日の代議士会で谷垣幹事長は我々を前に言いました。

「わが自民党は政権を返してもらってから2年間、徐々におごりが出ているのではないか。改めて襟を正して、初心に帰って、国民のために一生懸命に働こうではありませんか」

本当にその通り、と感じながら「自分にとっての初心」とは何なのか、頭を巡らせました。

私にとって政治家としての初心、それは二つあります。

一つは9年前、医療の現場にいながら政治を志したいと本気で考え始めたときです。

新研修医制度が始まり、「医療崩壊」という言葉が話題になり、「医学の進歩も大事だけれども、それを生かす仕組みが大事」と感じ、政治を志す決心をしました。政治塾に通い、選挙を手伝い、いつかチャンスが巡ってきたら挑戦したいと思いながら頑張りました。

もう一つはちょうど2年前、公募で長野1区の自民党の候補に選んでいただき、本当にチャンスが巡ってきたとき、です。

その後、1か月もたたずに衆議院が解散、選挙へと続きました。

志をもって、覚悟を決めて選んだ道でありましたが、いざ選挙となると、その責任の重さを感じ、2週間眠れなくなりました。

それから2年、8万人近くの人たちに「小松ゆたか」という名前を書いていただいた責任を感じながら、おごることなく真面目に、地域を走り回りながら頑張ってきたつもりではあります。

しかしあらためて、谷垣幹事長の言葉を聞きながら、あの時の気持ちを絶対に忘れちゃいけないな、「初心忘れまい」と心に誓ったのでした。