第49回衆議院総選挙が終わりました

10月31日投開票であった衆議院選挙が終わりました

長野県内5つの小選挙区で自民党公認の候補全員が当選することができ、さらに北陸信越ブロックで公明党の中川宏昌さんの初当選、お力をいただいたすべての皆さまに感謝を申し上げます。

私は、前回書きました通り、10日間の繰り上げ当選を天命ととらえ、これからも政治で挑戦してゆく覚悟を決めましたが、長野県内の5人の候補、そして公明党とも選挙連携のために北陸信越ブロックでの名簿登載を辞退し、東京ブロックからの比例単独候補としての挑戦となりました。

この4年間で自分の国政選挙を3回戦いましたので、久しぶりの選挙応援となりましたが、長野県内の候補と東京ブロックの各候補の応援に奔走しました。

県内では、私の4月の参議院補欠選挙で立ち上げた「命を守る会」を中心に、医療関係団体を中心にお願いをし、宮島善文参議院議員とともに県内をまわりました。

東京では、主に平成研究会の先輩でもある若宮健嗣内閣府特命担当大臣の応援に入り、遊説隊の一員として、ビラ配り、登旗持ち、応援演説など、選挙カーに朝から晩まで乗りながら、できることすべてを行いました。選挙区も狭く、駅に1地時間立つだけで一週間長野県中をまわって会える人以上の方と会うことができる東京、選挙戦のやり方もだいぶ違うなあ、と感じました。

東京ブロックは選挙区で厳しい結果となり、私の比例当選はなりませんでしたが、「目の前のことを一生懸命に取り組む」という変わらぬ私の気持ちは貫くことができました。

さて、これからどうするか。10日間の繰り上げ当選を天命ととらえ、政治で頑張る覚悟を決めた私です。長野の事務所は維持しながら、具体的に何を目指すのか、早めに決断したいと考えています。

自民党比例東京ブロックからの挑戦、なぜ北陸信越ブロックではないのか?

第49回衆議院議員選挙が10月19日公示されました。

私は自民党の東京ブロック比例名簿に掲載され比例単独候補としての挑戦となりました。なぜ北陸信越ブロックからではないのか、小松は故郷信州、長野を捨てたのか、様々な声がありました。10月17日に長野市で後援会の役員会を開催し100人余りの皆様にその経緯をお話しし、ご理解いただきました。決してふるさと信州を捨てたわけではありません。あらためてここで書きたいと思います。

10月に突然繰り上げ当選になり、その経緯は前回書いた通りです。10月5日から登院し、14日に解散、そして19日に衆議院選挙の公示、このわずかな間に様々なことがありました。

4年前に3回目の衆議院選挙で落選し、その後長野県全県区で2回の参議院選挙に挑戦し落選しました。その後長野市の事務所は残し、秘書にも残ってもらい、とにかくまずは秋までにはある衆議院選挙でお世話になった長野県内5人の代議士、支部長のために汗をかこう、そして衆議院選挙が終わったら、これからどうするのか、再び政治の挑戦を続けるのか、一医師として世のために働くか、決断しようと考えていました。

そこに、突然の繰り上げ当選、私はこれを運命として受け入れました。そして「衆議院議員としてまだまだ挑戦する」と決意したのです。現職として迎える総選挙、ここで挑戦しなければ政治を引退するということ等しいのです。

しかし、間近に迫った総選挙には自民党として挑戦する選挙区がありません。今まで務めた長野一区は若林けんたさんが挑戦することが決まっています。当然、比例単独候補としての挑戦ということになります。

比例北陸信越ブロックで繰り上げ当選しているわけですから、通常であれば北陸信越ブロックからの挑戦ということになるのですが、私は自民党長野県連および党本部に「北陸信越ブロック比例名簿への掲載はやめてほしい」と申し出ました。それは自分のためではなく、公明党との信頼関係を崩したくない、そして5人の長野県の候補者に迷惑をかけたくないという思いからでした。

4年前の衆議院選挙、苦い経験をしました。北陸信越ブロックで長野市出身の太田昌孝さんが公明党比例で初挑戦しました。一方自民党は比例単独で同じ長野市を基盤とする若林けんたさんが挑戦しました。選挙区では選挙協力し一緒に戦うのに、比例区では敵として闘うという状況が生じてしまったのです。

今回も、公明党は太田さんの後を受けて松本の中川宏昌さんが比例単独で初挑戦します。私が現職の議員として北陸信越ブロックの比例単独候補ということになれば、比例区で競合するということになってしまう、これでは公明党との信頼関係も崩れ、長野県内5人の自民党候補にも迷惑をかけることになる、それが北陸信越ブックでの挑戦を辞退した理由です。

党本部には、現職として衆議院議員を続けたいと伝え、どこの比例ブロックから挑戦するかは、党本部にお任せします、言われたとおりにします、とお話ししました。

そして、公示の直前、東京ブロックからの比例単独挑戦を告げられた、というわけです。

今与えられた立場で、目の前のことに全力を尽くす、私はこれを貫きます。

今回の選挙では、東京ブロック選挙区候補の当選に向けて、全力で応援に入ります。同時に、長野県の5人の候補の当選のために、力のすべてを尽くします。

決して信州人としての心を捨てたわけではありません。長野市の自宅もそのまま、今回の結果がどうであろうと、これからも信州にもしっかり軸足を置いて活動してゆきます。

衆議院繰り上げ当選、意義のある10日間

久しぶりの投稿です

4月の参議院補欠選挙後、「いま目の前のことを一生懸命やろう」と前向きな気持ちで、すべてに取り組んできました。特に新型コロナ対策、選挙では「まずはワクチン接種を迅速に進める、その仕組みを医療と政治を繋いで成し遂げる」と訴えたわけですが、それがかなわなかった以上、一医師としてワクチン接種を進める力になろう、と新型コロナワクチンの集団接種会場での問診のお手伝いを続けました。長野県のワクチン接種チームに登録し、北信地域のみならず県内各地でワクチン接種の現場を手伝い、医療関係者、自治体関係者の声、そしてワクチン接種を受けに来る皆さんの不安や思い、を肌で感じることができました。

接種会場には皆さん不安な顔をして入って来ます。副反応への不安、注射自体への不安、世の中様々な情報、時として不安を煽るような不確かな情報が乱れ飛んでいます。医師として、わかりやすい正確な新型コロナにかかわる情報を、ツイッターやフェイスブックで発信し続け、YouTube(ゆたチャン)でも毎週の発信を続けました。

そんな中、私も挑戦した4年前の衆議院選挙の北陸信越ブロック比例区で当選していた新潟の石崎徹さんが議員辞職をするというニュースが飛び込み、9月28日に衆議院で正式に辞職が許可されました。次点であった金子恵美さんが辞退し比例名簿から外れたため、10月4日の選挙会で私の繰り上げ当選が自動的に決定する、という知らせが10月1日に届きました。衆議院の任期がわずかな中ではありましたが、4年前に私に託してくださった多くの方の思いを胸に、法律に従って厳粛に受け止めるべきと考え、10月5日の朝、総務省で当選証書を受け取り国会に登院しました。

10月8日に4年ぶりに座った本会議場、9年前に初めて座った時の気持ちを体が感じました。新議員として紹介を受け、与党席のみならず野党席からも大きな拍手をいただきました。改めて、なぜ医師から政治を志したのか、新型コロナがいまだ収束しない中いまこそ命を守る政治を行わなければいけない、全国民の代表としての自覚と責任を持って、たとえ短期間であっても一生懸命取り組む、政治を志した原点を再び思い起こさせてくれる本会議場でした。

その後総理の所信演説、代表質問を終え10月14日に衆議院は解散されました。私の今回の任期は10日間でした。短い期間ではありましたが、この間多くの議員や官僚に、この半年間私が新型コロナ対策の現場、ワクチン集団接種会場で実際に感じた不安や声、改善すべき点などを国会議員として伝えることができました。なにより政治を志した初心をよみがえらせてくれたこと、あらためて衆議院でもっと頑張ろう、挑戦を続けていこう、という気持ちにさせてもらった意義ある10日間でした。

これからも与えらえれた立場で、いま目の前のことに一生懸命とりくんでゆきます。

与えられた立場で一生懸命に

覚悟をもって挑戦した参議院長野選挙区の補欠選挙

落選が決まった4月25日の夜、ツイッター、フェイスブックに以下のように書き込みました

「結果を出すことが出来なかった事、本当に申し訳ありません。必死に応援してくださった全ての皆さんに深く感謝申し上げます。皆さんのおかげで、最後まで元気に一体感をもって闘い、自分の全てを出しきる事ができました。 これからも世のため人のために生きていきます。 本当にありがとうございました。」

あれから、ちょうど一か月たちました。

直後から、元気に前向きに活動を続けています。

長野県中でお世話になった方への電話やあいさつ回り、新型コロナワクチン接種の手伝い、医師としての地域医療への貢献、日々変わる新型コロナの医学的情報の発信など、今の立場で、できることを一生懸命にやっています。

「いま与えられた立場で一生懸命に頑張れ、みんながそれを見ているぞ」

34年前に日赤医療センターでの研修を終え、東京大学第二内科に入局した時、信頼する先輩医師から言われた言葉です。

これからも、いま与えられた立場で、世のため人のため、一生懸命に生きてゆきます。

ユーチューブチャンネル「ゆたチャン」も新たにスタートです。

みんなが知りたい情報を発信してゆきますから、ぜひこれからもご覧ください。

本日会見を行い決意表明しました

 私の決意

 まずは、昨年末、急逝されました羽田雄一郎先生に、心より哀悼の意を表したいと思います。

 羽田雄一郎先生とは、一昨年の夏、長野県の一議席をかけて正々堂々と戦い、ご承知のように敗れました。もともと、羽田先生とは衆議院初当選以来、党派を超えてご指導いただき、長野県の将来についても熱く語り合った仲です。そして、その仲を取り持ってくださったのが、今は亡き吉田博美先生です。2人区時代、毎回一緒に戦う相手でありながら、羽田先生に「小松をよろしく頼む」と初当選後にお話しいただいたのです。前回も「小松を後継に」とご指名いただきながら、その役割を自分が果たすことができず、その3ヶ月後にお亡くなりになった吉田博美先生、そして、今、世界で最も大きな脅威である新型コロナで急逝された羽田雄一郎先生、私はお二人の思いを胸に、この度の闘いに挑戦する覚悟を決めました。

 一昨年の選挙の3ヶ月後、長野県は「台風19号」による大きな災害に襲われました。私は被災地を何度も訪れ、ボランティアで泥かきの作業をし、医師として避難所での健康相談などを行いました。実際に被災された皆様がどんな思いをされているのか、どんな苦しい思いをしているのか、ある意味、落選したからこそできる貴重な経験もさせていただきました。同時に「政治が命と暮らしを守れる」ということを実感し、政治の場にいることができなかった申し訳なさも強く感じた次第です。

 台風からの復興もままならぬ中、今度は世界中を「新型コロナウイルス」が猛威を振るい、私たちの生活を一変させています。一人の医師として、正しくわかりやすい医学情報を発信し、PCRセンターの立ち上げや、実際のPCR検査の実施なども行ってきました。新型コロナから命を守り、暮らしや経済も守らなければいけない。なにより、一日も早く新型コロナを終息させなければ全てが始まりません。こうした時だからこそ、政治と医療を繋ぐ役割を、医師である私が担わなければいけない。改めて私が政治を志した原点を思い起こさせてくれました。

 私は故郷の信州大学医学部を卒業後、内科医として大学病院などで勤務をしてきました。毎日訪れる患者さんたちを診療し、医学の進歩のため研究に没頭し、また後進の学生や若い医師たちの教育に携わる日々を送ってきました。

 その様な中、地方での医師不足が社会問題となり、その根本的な解決のためには政治の力が必要であることを強く感じたのです。目の前の患者さんたちを一生懸命診療する、病気の原因を解明し、新しい診療法を確立していく、もちろんこれらは大変やりがいのある、大切な仕事でした。しかし、誰もが健康で、幸福に暮らすためには、その医療を支える仕組みがとても大事だ、政治が、もっとたくさんの命を救うことができる、それこそが私が政治を志した原点です。落選後の様々な出来事は、改めて自分の政治の原点をよみがえらせてくれました。

 「政治が命と暮らし、地域経済を守る!」。新型コロナと闘い、終息させなければいけない今だからこそ、私は再び挑戦します。皆さまの大切な命と暮らし、雇用や地域経済を守り抜くために、全力で闘い抜く覚悟です。

 我々が今、向き合わなければならない敵、それは「新型コロナウイルス」です。

 「政治こそが、たくさんの命を救うことができる!」。

 私は政治家としての「信念」、そして医師としての「使命」を今ほど時感じたことはありません。

 我々は、この未曾有の厳しい現実に向き合い、命と暮らし、地域経済、そして、次の信州の新しい時代と子どもたち、孫たちのために闘わなければなりません!

 亡き吉田博美先生のためにも、保守の議席を必ず奪還し、より良き信州、日本の未来の為、この郷土で安心して暮らしたいと願う県民の皆さまのため、私は、自分が生まれ育った信州、長野県のためにご恩返しがしたい、日本のために汗を流したいと思っています。そして、県民の皆さまお一人お一人が輝く社会の実現に向け、全力を尽くす覚悟です。

 どうか、県民の皆さまのあたたかいご理解、そして熱いご声援を、心よりお願い申し上げ、私のご挨拶とさせていただきます。

令和3年2月1日

小松 ゆたか

IOCバッハ会長が来日、来年の東京オリパラの開催と新型コロナについてABEMA TVに出演しました

ABEMA TVで、来年の東京オリパラ開催と新型コロナ対策など、選手たちの思いも込めて出演しました。無料でアーカイブが見れますので、ぜひご覧ください。

IOCバッハ会長は来日で"開催に決意?"5大会でオリンピックドクターを務めた医師「無観客では意味がない」東京五輪を開催するために"できること"は? #ABEMA で無料配信中
https://gxyt4.app.goo.gl/PcCB7

橋本聖子オリンピックパラリンピック担当大臣が来長します

2月29日に予定し、新型コロナ感染拡大のために延期していた「小松ゆたかを励ます会」を10月31日(土)午後6時よりメルパルク長野で開催します。菅内閣で再びオリパラ担当大臣として再任された橋本大臣に、来年に延期された東京オリンピックパラリンピック開催に向けた思い、スポーツの力や女性活躍のための政策をお聞きします。会費は10000円、当日受け付けも可能です、ぜひお越しください。お問い合わせは事務局(026-217-2160)まで。

「長野元気復活総力祭」ゴスペラーズからもメッセージ動画をいただきました

「勇気をもって一歩前に踏み出す」この思いに賛同いただき、ゴスペラーズのみんなからもビデオメッセージをいただきました。同時に私が監修したヒット曲「ひとり」の替え歌「手を洗おう」も連日披露しました。今回のイベントでは、主催者側として最強の感染防止対策を施しましたが、一番大事なのは、一人一人が感染防御のための「意識」を持つことです。特に、手洗いを意識して新型コロナに打ち克ちましょう。

ゴスペラーズの手洗いソング「手を洗おう」もぜひご覧ください。

台風19号からもう一年です。アントニオ猪木さん、蝶野正洋さんにも元気をいただきました。

長野元気復活総力祭二日目、アントニオ猪木さんに登壇いただき、前田日明さん、藤波辰爾さんとの豪華トークショー。「元気があれば何でもできる」この言葉が今ほど心に沁みるときはありません。台風19号から1年、そして新型コロナ。何とか「元気」のために一歩踏み出そう、と批判も覚悟で受けた実行委員長でしたが、グレート無茶の熱い思いに心打たれました。医学的には万全な対策が取れたと思います。来ていただいたみなさん、出演者の皆さん、ボランティアで支えてくださった皆さん、本当に感謝です。

三日目には蝶野正洋さんと昨年の台風19号の時に半鐘を鳴らし続けた長野市長沼消防団の飯島基弘さんを交えたトークショー、消防団の役割や日本の消防団の価値を高めることなど、大変意義ある時間でした。地域の命を守るために日々活動してくれている消防団の皆さん。世界中で日本にしかない組織です。日本中がもっと消防団の大切さ、ありがたさを知っていただくよう、私も活動を続けます。

「長野元気復活総力祭」実行委員長として一歩踏みだしました。

9月19日-22日、長野ビッグハットにて長野元気復活総力祭が開催されました。私も実行委員長として、新型コロナ対策を万全にしたうえで、各種イベントの再開に向けての大きな一歩を踏み出すことができました。自粛が続いているイベントですが、これからは経済を停滞させないためにも、きちんとした感染防御対策を取りながら、かつての日常を取り戻していかなければなりません。今回のイベントでは、ビッグハット内に診療所を開設し、マスクなしでステージに上がる出演者全員に、2週間の健康記録をもとにした診察と抗原検査を行いました。また、入場者を県内在住の人に絞り、名簿を作成し万が一に備えました。入場時の検温は当然のこと、アルコールによる消毒に関しては、入場時だけでなく退場時や休憩時にも行いました。この退場時や途中でのアルコール消毒は極めて大事です。スーパーや飲食店でも、入る時にはみなアルコールを手に吹き付けますが、出るときにアルコール消毒をする人が少ないです。お店で多くに人と接する、お金も触る。感染を広めないためには出るときにも手洗い、アルコール消毒です。また、長い宴会の時には、途中みんなで手を洗ったりアルコール消毒を行う「消毒タイム」を設けるのもいいでしょう。こんなことも、これから根付かせていきたいと思います。

会場を出るときに多くの方から「来てよかったです」と声をかけていただきました。同時に、「家族には内緒で来ました」「会社には内緒で来ました」とおっしゃった方が何人もいました。みんな「新型コロナの感染よりも、他人の目のほうが怖いのだな」と感じました。そして、この未知のウイルスに対して多くの不安を持っているのです。命を脅かす不安、いつ収束するかかわからない不安、移され人に移すかもしれない不安、これらがすべてを萎縮させています。不安を取ることこそまさに医学や政治の役割です。ワクチン開発など医学の進歩を加速させ、長引く経済への影響を最小限に抑えるべく政治が働く。医学と政治、両方を経験しているものとしての私の役割がそこにあります。

このイベントを支えてくれたみなさん、勇気をもって来てくれたみなさん、出演してくれたみなさん。本当にありがとうございました。なお、イベントの様子、出演者からのコメントなどは、私のYouTubeチャンネル「ゆたチャン」ご覧ください。