私の決意
まずは、昨年末、急逝されました羽田雄一郎先生に、心より哀悼の意を表したいと思います。
羽田雄一郎先生とは、一昨年の夏、長野県の一議席をかけて正々堂々と戦い、ご承知のように敗れました。もともと、羽田先生とは衆議院初当選以来、党派を超えてご指導いただき、長野県の将来についても熱く語り合った仲です。そして、その仲を取り持ってくださったのが、今は亡き吉田博美先生です。2人区時代、毎回一緒に戦う相手でありながら、羽田先生に「小松をよろしく頼む」と初当選後にお話しいただいたのです。前回も「小松を後継に」とご指名いただきながら、その役割を自分が果たすことができず、その3ヶ月後にお亡くなりになった吉田博美先生、そして、今、世界で最も大きな脅威である新型コロナで急逝された羽田雄一郎先生、私はお二人の思いを胸に、この度の闘いに挑戦する覚悟を決めました。
一昨年の選挙の3ヶ月後、長野県は「台風19号」による大きな災害に襲われました。私は被災地を何度も訪れ、ボランティアで泥かきの作業をし、医師として避難所での健康相談などを行いました。実際に被災された皆様がどんな思いをされているのか、どんな苦しい思いをしているのか、ある意味、落選したからこそできる貴重な経験もさせていただきました。同時に「政治が命と暮らしを守れる」ということを実感し、政治の場にいることができなかった申し訳なさも強く感じた次第です。
台風からの復興もままならぬ中、今度は世界中を「新型コロナウイルス」が猛威を振るい、私たちの生活を一変させています。一人の医師として、正しくわかりやすい医学情報を発信し、PCRセンターの立ち上げや、実際のPCR検査の実施なども行ってきました。新型コロナから命を守り、暮らしや経済も守らなければいけない。なにより、一日も早く新型コロナを終息させなければ全てが始まりません。こうした時だからこそ、政治と医療を繋ぐ役割を、医師である私が担わなければいけない。改めて私が政治を志した原点を思い起こさせてくれました。
私は故郷の信州大学医学部を卒業後、内科医として大学病院などで勤務をしてきました。毎日訪れる患者さんたちを診療し、医学の進歩のため研究に没頭し、また後進の学生や若い医師たちの教育に携わる日々を送ってきました。
その様な中、地方での医師不足が社会問題となり、その根本的な解決のためには政治の力が必要であることを強く感じたのです。目の前の患者さんたちを一生懸命診療する、病気の原因を解明し、新しい診療法を確立していく、もちろんこれらは大変やりがいのある、大切な仕事でした。しかし、誰もが健康で、幸福に暮らすためには、その医療を支える仕組みがとても大事だ、政治が、もっとたくさんの命を救うことができる、それこそが私が政治を志した原点です。落選後の様々な出来事は、改めて自分の政治の原点をよみがえらせてくれました。
「政治が命と暮らし、地域経済を守る!」。新型コロナと闘い、終息させなければいけない今だからこそ、私は再び挑戦します。皆さまの大切な命と暮らし、雇用や地域経済を守り抜くために、全力で闘い抜く覚悟です。
我々が今、向き合わなければならない敵、それは「新型コロナウイルス」です。
「政治こそが、たくさんの命を救うことができる!」。
私は政治家としての「信念」、そして医師としての「使命」を今ほど時感じたことはありません。
我々は、この未曾有の厳しい現実に向き合い、命と暮らし、地域経済、そして、次の信州の新しい時代と子どもたち、孫たちのために闘わなければなりません!
亡き吉田博美先生のためにも、保守の議席を必ず奪還し、より良き信州、日本の未来の為、この郷土で安心して暮らしたいと願う県民の皆さまのため、私は、自分が生まれ育った信州、長野県のためにご恩返しがしたい、日本のために汗を流したいと思っています。そして、県民の皆さまお一人お一人が輝く社会の実現に向け、全力を尽くす覚悟です。
どうか、県民の皆さまのあたたかいご理解、そして熱いご声援を、心よりお願い申し上げ、私のご挨拶とさせていただきます。
令和3年2月1日
小松 ゆたか