月別アーカイブ: 2013年4月

主権回復・国際社会復帰を記念する式典

4月28日は、憲政記念館で天皇皇后両陛下ご臨席のもと「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」が挙行され、参列してきました。

61年前の4月28日、サンフランシスコ平和条約が発効し、日本は連合国による占領が終わり、主権を回復しました。

その日を記念し、我が国による国際社会の平和と繁栄への責任ある貢献の意義を確認するとともに、これまでの経験と教訓をいかし、我が国の未来を切り拓いていく決意を確固としたものとするために、初めて開催されました。

同時に、その日から沖縄、奄美、小笠原は一定期間、我が国の施政権の外に置かれ、そのことが現在の沖縄の米軍基地問題などにつながっているという現実も決して忘れてはなりません。

私は、この式典が、今まで触れられることの少なかった戦後日本の歴史的事実を見つめ直すよい機会であると考えて、そして、沖縄などが日本の主権から離れたという事実とその後の現実を、我々が率直に直視し、思いをはせる機会とすべきと考え、参列しました。

式典は、素直に、素晴らしい式典であったと感じました。

式では杉並児童合唱団の子供たちが、「手のひらを太陽に」「翼をください」「BELIEVE」「明日という日が」の4曲を聞かせてくれました。

戦後の大変な時代から立ち直った日本、先人たちの努力、沖縄の苦しみ、再び大震災という試練を背負わされた日本、そして日本の将来、などに思いをはせながら、歌を聴きながら自然に涙があふれてきてしまいました。

小さいころから何度も歌っていた「手のひらを太陽に」で涙が止まらなくなるとは思いませんでしたが、本当に心が洗われる式典でした。

そのあと、すぐに新幹線で長野に戻り、「みゆき野飯山ロータリークラブ創立20周年記念式典」に伺いました。

「奉仕の理想」のもと、地域のためそして世界平和のために尽くしてこられた方たち。本当に敬意と感謝の気持ちです。

式典の前には沼田秀美さんの歌と栗山敦子さんのピアノによるコンサートが行われ、最後は全員で「故郷」の大合唱。

「故郷」を歌いながら、またまた、自然に涙があふれてしまいました。

ここでも、心が洗われました。

二度も心が洗われて、地域のため、日本のため、そして世界の平和のためにしっかりとやらなければ、と改めて感じたいい一日でした。

富士見高原病院で講演、「折れない心、勝ち抜くコンディション」

昨日金曜日は衆議院内閣委員会でいわゆる「マイナンバー法案」の審議と採決。

結局、採決・可決して委員会が終了したのが午後6時過ぎ。長野に帰って保育協会長野県支部の総会に出席する予定だったのですが、直前にキャンセルせざるを得なくなってしまいました。

もちろん国会優先とはいえ、保育協会の方々、ご迷惑をおかけしました。ごめんなさい。

今日は、久しぶりに「特急あずさ」に乗って、富士見に向かいました。

立候補・選挙が決まる前から依頼されていた講演「折れない心、勝ち抜くコンディション」です。

この講演、ロンドンオリンピックの裏話も含めトップアスリートたちの素晴らしさを話してほしいと依頼されたのが昨年の夏。

当初12月に予定していたのですが、急遽立候補が決まり、さらに11月に衆議院が解散となり、延期にしてもらいました。

その後、3月1日に行う予定だったのですが、私が体調を崩して入院、また延期。

3度目の正直で約束を果たすことができました。本当にご迷惑をおかけしました。

到着後、なんと、白バイのおまわりさんが登場!

「逮捕されちゃうの?何にも悪いことしてないのに!」と思ったら、私の車を富士見高原病院まで先導してくれます???

実はこれ「ニセおまわりさん」、私を呼んでくれた富士見高原病院の整形外科医・後藤敏先生。

高校の同級生ですが、高校時代からよくこんな格好して楽しんでたなあ。

講演会場にはたくさんの方たちが集まっていてくださいました。

1時間、スポーツの素晴らしさや、なぜ一流選手たちが本番で力を発揮できるかなど、いつも選手たちの身近にいて感じていたことをお話しました。

スポーツドクターとして、本当にたくさんのことを選手たちから学びました。

それらは、昨年7月に出版した私の本「いつも本番に強い人の心と体の習慣」にも書きました。

選挙の時は、私も不安になって、自分で書いた本をもう一度読み直した事などもお話しました。

まあ、あんなに短い時間で当選させていただいたのだから、私も本番には強かったという事なのでしょう。

スポーツドクターとして選手たちの不安をとってあげることが仕事でした。

これからは、政治家として、不安なく心も体も元気で生き生きと暮らす社会を創っていくことが私の役目です。

まじめに、謙虚に、取り組みます。

いまは、東京に戻る特急あずさの中、明日は「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」に出席してから、再び飯山に向かいます。

 

 

 

治政塾のみなさんと久しぶりのJISS

今日は、治政塾・政治と経済を結ぶ会の皆さんが長野からいらして、ご一緒させていただきました。

まずは、日銀本店へ。

DVDによる説明の後、私もご挨拶。

本館の地下金庫などを回らせていただきました。

その後、自民党本部で高市早苗政調会長のお話を聞きました。

高市政調会長は、長野の「おやき」が大好きだそうな。

今度お土産に政調会長室にお持ちすることをお約束。

 

小坂憲次先生と若林健太先生もいらして、みんなで自民党総裁室へ移動。

これが、応接室です。

そして小坂憲次先生のご案内で参議院の憲法審査会・会長室へ、私も初めて入らせていただきました。

今日はとっても良い天気、国会議事堂も美しい。

そのあと、みんなで西が丘の国立スポーツ科学センター(JISS)に移動しました。

久しぶりのJISSです。

DVDでJISSとナショナルトレーニングセンター(NTC)の説明を受けたあと、1時間ほど各所を回らせていただきました。

JISSのみなさん、ありがとう。偶然に、たくさんの選手やコーチたちとも会って話ができて楽しかったです。

「未来を育てよう、スポーツの力で」これが合言葉!

最後に、治政塾の皆さんと記念撮影して、とても楽しい一日でした。

長野マラソン、大きな声で応援しました!

それでは週末のおさらい。

金曜日は、朝から夕方までみっちり厚生労働委員会の審議、「健康保険法などの一部を改正する法律案」が委員会で無事可決され、そのまま新幹線に飛び乗って長野へ。

長野市医師会の医青会のみなさんに、国会の様子、法律ができてゆく仕組み、などをお話しました。そしてそのあとゆっくり懇談。

土曜日は、まずは自衛隊の松本駐屯地へ、松本駐屯地創設63周年記念行事です。

観閲行進のあと、祝賀会でごあいさつしました。

日ごろから強い責任感をもって日本を守り、国民の安全のために力を尽くしておられる自衛官の方々、そしてそれをよく理解して協力いただいている方々を前に、敬意と感謝の言葉をのべました。私が本部ドクターとして参加したロンドンオリンピックでも、たくさんの自衛官が大活躍しました。

それから須坂に移動、臥竜公園で4団体お花見の会に出席。

小坂憲次先生、若林健太先生、村石正郎先生の後援会に加え、今年から私も参加させていただきました。

しかし、まだきちんとした後援会もない私です。壇上にはそれぞれの後援会の旗が並び、まだ旗もない私には選挙の時の大きなポスターが貼ってくれてありました。

来年のこの会までには、徐々に組織も作って旗も作らなくっちゃ。

そして、いったん長野の自宅に戻って、再び須坂、ママさんバスケに参加して2時間いい汗を流しました。

日曜日は、長野マラソンの応援。

朝起きたら雪が積もっていてビックリでした。

まず5キロ地点、そして20キロのホワイトリング付近、そしてゴール直前のスタジアム入口と3か所に移動して大きな声で応援しました。

みんなを必死に応援していて、写真を撮るのも忘れてしまいました。

知っている人も、そうでない人も、応援に反応してくれます。私の声で止まっていた足が動き出す人も。

やっぱり、応援するのは大事なんだね。

「大きな声援をありがとう!」

「小松さんも頑張ってー」

私のツイッターを見て、来てくださり、声をかけてくれた方もいました。ああ感謝!

これから毎年大きな声の応援を続けようと思います。

そのあと、中野で会合に出席して、再び長野に戻って長野マラソンのフェアウエルパーティーに出席し、関係者の皆さんの労をねぎらいました。

あれだけの寒さの中、大きな事故や病人なく、85%以上の方が完走したのだとのこと。

関係したそれぞれの立場の方たち、本当にお疲れさまでした。

 

 

長野県医師会館の地鎮祭

18日の木曜日には、長野・三輪田町に建設される「長野県医師会館」の地鎮祭に出席してきました。

昼過ぎに東京を出て、とんぼ返り。

厚生労働委員会での初質問でも言いましたが、長野県は日本一の長寿県です。

それを支えているのが、県民の健康を守っている長野県医師会の先生方。

この新しい長野県医師会館が地域医療の拠点になるよう、私も努力したいと思います。

そしてこの方が、長野県医師会長の関隆教先生、私の後援会長でもあります。

いつも通りの優しい笑顔です。

夜は夏の参議院議員選挙で埼玉県区から出馬予定の古川俊治先生の国政報告会にも出席。

古川先生は外科医で弁護士、スゴイ人。いつもご指導いただいています。

自民党の健康・医療政策、科学技術政策をさらに進めるためにも、懸命に応援します。

「いいくに会」で伊吹文明議長

昨日は、自民党の今回初当選した新人議員の同期会「いいくに会」がありました。

https://www.komatsuyutaka.com/kolog/?p=3597

途中、伊吹文明衆議院議長も顔を出してくださり、お話くださいました。

驕ることなく、謙虚に、まじめに。

政治は人がやるもの、党派にかかわらず、人間関係を築きなさい。

無駄な酒、無駄な時間、これが大事。

「無用の用」だ。

大先輩の一言一言に、皆がうなずきました。

毎日が勉強です。

 

 

日本レスリング協会、秩父宮記念医・科学賞受賞の祝賀会

先週の4月12日(金)に日本レスリング協会が、我々レスリング協会医科学委員会が「第15回秩父宮記念スポーツ医・科学賞」を受賞したお祝いの会を開いてくれました。

昨年ロンドンオリンピックでも金メダル4つと大活躍したレスリング、ジュニアのうちからの医科学的サポートが評価され総勢37名の医科学委員会の活動が評価され、奨励賞の受賞となりました。

https://www.komatsuyutaka.com/kolog/?p=3659

そのことを、レスリング協会のみんなでお祝いしてくださいました。

福田富昭会長をはじめ、コーチや選手、レスリング協会みんなが集ってくれました。

選手もコーチもそして我々裏方も、「みんなで一緒に戦う」、これが日本のレスリングの強さです。

そして、このような会を開いてくださったのも、医科学スタッフと選手やコーチたちとの信頼関係の証であると思います。

そんな信頼関係を長年にわたって築き上げてくださったのが、ご存じ私の師匠・増島篤先生。

政治の世界も同じですが、やはり最後は「人と人」、信頼関係を築き上げていくには、地道なお互いの努力が必要です。

議員になって、まだきちんとご挨拶もできていなかった、たくさんの選手やコーチたちにも会うことができました。

カオリンこと伊調馨選手とも久しぶりに話ました。

二人でツーショットと思ったら、後ろから「べろを出したおじさん」に邪魔されちゃった。

この人が、レスリング協会会長の福田富昭さん、この明るさ、さすがですね。

福田会長を先頭に、家族のような信頼関係でつながる日本レスリング協会です。

何とか、オリンピック種目への復帰を果たさなければ、と強く感じました。

 

 

衆議院予算委員会第4分科会で質問しました

昨日12日、予算委員会第4分科会で質問に立ちました。

第4分科会は文部科学省の案件です。

 

先週は厚生労働委員会で初質問しましたが、「国会でも言葉の重み」にかなり緊張して恥ずかしながら足がガタガタ震えました。

ありがたいことに、再び質問の機会を与えていただき、今度は少しリラックスして臨むことができました。

下村文部科学大臣を前に、「学校検診の役割」、「医療費削減という観点から見た学校検診」、「少子化対策としての保健教育」、「スポーツ振興にかかわるスポーツドクターの養成」、「医学部におけるアンチ・ドーピング教育」、「パラリンピック選手のJISSやNTC使用について」など、を質問、意見しました。

丁寧に答えてくださる下村大臣、ああ感謝。

自民党は与党なので、質問回数も少ない中、すでに2回も質問の機会を与えていただいたことに感謝です。

地元での活動も、国会での活動も、責任感を持って積極的にやりたいと思います。

30分間の質問時間です、時間がある方はどうぞご覧下さい。

http://youtu.be/ikr7g7aPio8

 

 

 

「山の日」制定議連

今朝は超党派の「山の日」制定議連総会に出席しました。

7月に「海の日」はあるのに「山の日」はありません。

日本は海に囲まれていますが、日本人は古くから山に畏敬の念を抱き、山に感謝し、豊かな自然とともに生きてきました。

日本の文化は「山の文化」と「海の文化」の融合です。

そして、何より長野県は山々に育まれてきました。

実は私も、信州大学医学部山岳部のOBです。

ちょうど5年生の時、常念岳に信州大学の診療所を作ろうということになり、当時の細菌学の寺脇教授を中心に、話が進みました。

診療所を作るためにも医学部に山岳部が必要だ、ということになり、「山に登りたい」と思っていた私は、バスケット部でありながら山岳部にも入りました。

しかし、初めてできた医学部山岳部ですから、入部した途端「最上級生」、後輩に山登りを教えてもらいながら、しかも背負う荷物は一番軽い、というありがたいというかちょっと反則的な山登りでした。

そして、卒業後は新しくできた常念診療所を時々ボランティアで手伝ったり、日赤医療センターの師匠・東大山岳部のOB庵政志先生と一緒に北アルプスを縦走したり、今では山ガールとして有名な、女優・市毛良枝さんと何度もご一緒したり、山登りしてましたが、この10年は忙しくて全く山登りできませんでした。

でもやっぱり、山で作って食べるインスタントラーメンは最高。これは登った人にしかわからない。

そして、政治家として山小屋や山岳診療所も支えていかなければいけません。

てなわけで、私も全力で「山の日」制定に向けて頑張ろうと思います。

最後は、みんなで「ふるさと、兎追いしかの山・・・」を三番まで歌って無事議連は終了。

そういえば、信州大学医学部山岳部から最近連絡が途切れているなあ。

これをだれか見たら、議員会館に連絡してくださいね。OB会費もちゃんと払いますよ。

信濃グランセローズ後援会、同性同名の小松裕さんと久しぶりの竜太郎

月曜日は県民球団「信濃グランセローズ」の後援会、「Club セローズ81」の定時総会に出席しました。

アトランタオリンピックで野球のチームドクターとして帯同して以降、野球に深くかかわってきました。

世界一になった、第1回、第2回のワールドベースボールクラッシック(WBC)にも帯同しました。

スポーツの力で、日本をそして地域を元気にしたいと考えたのも、政治家を志すきっかけでした。

そんな私ですから、県民球団「信濃グランセローズ」を必死で応援しないわけにはいきません。後援会の顧問に就任しました。

岡本監督以下、長野を元気にしてくれる面々です。

そして、なんと後援会長は「小松裕」さん、読み方も「こまつゆたか」でまったくの同姓同名なのです。

これも何かの縁です。小松裕コンビでしっかりとサポートさせていただきます。

そして、こちらが信濃グランセローズの生き字引「竜太郎」こと辻竜太郎プレーイングコーチです。

竜太郎とは15年ぶりに今年の善光寺の豆まきで会って以来です。

松商学園ー明治大学ー社会人野球のヤマハに進んだ竜太郎選手ですが、シドニーオリンピック前に「全日本のオリンピック候補選手」になりました。ですから、全日本合宿では打撃練習の時いつも一緒に玉拾いをした仲です。というか、わたくしが玉拾いで竜太郎は守備練習ですな。

「スポーツで、野球で長野を元気にしよう!」

思いは一緒!

5月4日の長野オリンピックスタジアムでの試合には応援に行くからね!