「政治家を志して」カテゴリーアーカイブ

川崎宗則と一緒の気持ちで頑張るぞ!

今日は朝7時30分から上松五叉路で辻立ち、6回目となる街頭演説もだいぶ慣れてきました。

1時間にわたって、自分が政治を志そうと考えたわけや、目指すべき地域や日本の姿など、想いを訴えました。

長野の皆さんはみんな優しいです。車の窓を開けたり、立ち止まってわたしの声に耳を傾けてくれたり、クラクションを鳴らして応援してくれる方もいます。

ああ、本当に、感謝感謝!

顔と名前、そして私の想いを一人でもたくさんの方に知っていただくために、毎日必死に走り回ろうと思います。

そして、9時半からは長野市母親クラブ連絡協議会での講演会でした。3か月前から依頼されていた講演会です。

小中学生の子供たちを持つお母さんたちに、「トップアスリートから学ぶ」と題して、一流選手たち、一流の指導者たちの素晴らしさや、そこから学ぶべきことを話してきました。

みんな真剣に聞いてくれました。大きな目標に向かって、前だけ見てただひたすら頑張るアスリートたちの姿は今の私と重なります。

講演のあと会長さんが言ってくれました。

「母親は指導者で、子供たちはアスリートですよね」

ああ、ここでも感謝感謝!

そのあとは、若林健太先生の事務所の方についていただいて、たくさんの企業のご挨拶に回らせていただきました。

ここでも、皆さんにあたたかい言葉をかけていただき、政治を安定させることへの期待を強く感じました。そして、その使命と責任を痛感しました。

車での移動中、大好きな親友・メジャーリーガー川崎宗則から電話がありました。いつも通りの元気な声です。

「実は政治を志すことになった」と聞いた宗リンはびっくり。

「先生、頑張ってね。応援するよ」

宗リンとは2002年に一緒にキューバでのインターコンチネンタルカップに行って以来、彼がまだ無名だったころからの付き合い。

毎年、自主トレに顔を出させていただいています。

彼の野球に取り組む姿勢の素晴らしさや、スポーツ人として社会に貢献しようと取り組む姿には、いつも勇気づけられています。

今までも何度も書かせていただきました。

http://mag.executive.itmedia.co.jp/executive/articles/1002/10/news013.html

http://mag.executive.itmedia.co.jp/executive/articles/0905/15/news002.html

https://www.komatsuyutaka.com/kolog/?p=2054

ひたすら努力して、日本で確立した立場を捨ててまでアメリカにわたり、そしてメジャーリーガーという大きな夢をつかんだ川崎宗則。

覚悟を決めて政治の世界に飛び込んだ今の私が目指すべき姿です。

ムネと同じ気持ちで、大きな目標に向けて頑張りたい。

「先生、しっかりたのむよ!」

「チェスト―!」

と気合を入れてもらいました。

ありがとう、ムネ。元気になったよ。

今日も感謝感謝の一日でした。

明日は、7時半からの県庁前での辻立ちから始まります。

元気いっぱい、走り回ります!

 

 

 

 

 

 

国政をめざすことになりました!

医者として、そしてスポーツ人として、医療やスポーツを支える仕組みがとても大事だと、いつも感じていました。

「みんなが心も体も元気で生き生きと暮らすことができる日本」

それを目指して、日々頑張っていました。

いつも頑張っている選手たちを応援して、支えて、「スポーツの力」が日本を元気にできる、と思いました。

そして、そんな社会を作るために、政治を志そうと考えたのが5年前、でも、なかなかみんなには言えませんでした。

密かに、政治の勉強を始め、5年前から自民党政経塾に通いました。

3年前からは、故郷信州で開講された、政治スクール「信州維新塾」で義家弘介塾長のもと学びました。

今回、自由民主党衆議院長野第一選挙区支部長の公募に応募し、10月20日に面接試験があり、選んでいただきました。

11月12日に正式に党本部から長野1区支部長決定の通知をいただき、国政を目指すことになりました。

そして、年内には総選挙になりそうです。とても忙しい毎日です。

ゆっくり書いている時間がないから、公募の時に提出した二つの論文をここに貼り付けます。

1、応募理由と自己のセールスポイント

私は大学卒業まで故郷信州で育ち、消化器内科医として大学病院などで勤務した後、現在は日本のトップアスリートを支えるスポーツドクターとして働いております。東大病院時代、最先端の医学研究や医学教育を行いながら、医学がどんなに進歩してもそれを生かす社会の仕組みがなければいけない、と感じていました。そのような中、医療崩壊が社会問題となり、医療の仕組みに関わりたいと強く考えるようになりました。七年前にスポーツ医学の世界に身を置くようになってからも、みんなを健康で元気にし、多様な価値を持つスポーツ、それを支える仕組みも十分ではないと感じました。教育やスポーツなど、すぐに結果が出ないものこそ政治の力が必要だと感じ、政治を志したいという気持ちがさらに強くなりました。そして、平成二十二年長野県連に開設された信州維新塾で志を同じくする仲間たちと出会い、三年間共に学び、その想いは確固たるものとなりました。「みんなが心も体も元気で生き生きと暮らすことができる日本を作りたい、そのために、もっと汗を流したい」それが今回応募させていただいた理由です。何より、故郷である信州から日本の歩むべき道を発信したいと考えました。私のセールスポイントは、正義感、行動力、決断力であります。オリンピックなどのチームドクターとして信頼され、数多くの世界大会に帯同していますが、そこで求められるものは病気やけがの選手を治療するだけでなく、心身ともに最高の状態で試合に臨むためのお手伝い役です。そのためには、選手やコーチ、スタッフたちと常にコミュニケーションをはかり、現場が何を求めているかを察知し、率先して体を動かし、しかし決して出しゃばらずに役割を果たさなければいけません。人の意見に耳を傾けること、相手の気持ちを理解すること、そして責任を持って決断する、というリーダーとしての能力は誰にも負けないと思っております。

2、日本と長野県の将来
皆が心も体も元気で生き生きと暮らすことができる日本を作るために最も重要なポイントは「教育」であると私は考えます。例えば医療崩壊にしても、社会の変化、とりわけ個人の権利を尊重する社会になるにつれ「人のためより自分のため」と考える人が多くなってしまいました。このことが、かつては忙しくてもやりがいのある診療科を多くの医学生が志望したのに、最近ではそれを避けるようになってしまっていることの背景にあります。同時に患者さんの側も、病気は治って当たり前、治らなかったら医者のせい、といった個人の権利のみを主張することが多くなり、医療崩壊を加速させています。初等教育であれ、医学教育であれ、教育の目標は、単に知識を身に付けさせることではなく「心を育てる」という意識が必要です。現在の教育にはそのような意識や道義や礼節、協調性、郷土愛を教えるといった観点が欠けていると感じています。また、人の命を預かる医者、その医者を育てる医学教育においても、「人を育てる」という目標は明確ではないように思います。国民の健康を守るために、医者を育てる教育は医療の仕組みを整える事と同様にきわめて重要な課題です。また、私は現在トップアスリートをサポートする仕事をしていますが、スポーツには様々な力があると感じています。生活習慣病の予防や健康増進につながるだけではなく、青少年の心身の育成、地域のつながりや活性化、国際親善や友好、などの多様な価値があり、オリンピックを開催した長野であるからこそ、スポーツの力を発信し続けなければいけません。 豊かな自然を守り、みんなが故郷を愛し、家族や地域の絆を大切にして、それゆえ高齢者の医療費が日本で最も少ない長野県です。真の教育や医療を長野から発信してゆきたい。元気な日本を長野がけん引していきたい。みんなが生きがいを持って健康に暮らす、それが私の目指したい日本と長野県の将来です。

先週から長野市に転居し、忙しくしています。

応援して、支えてくれる皆さんに、感謝感謝の毎日です。

必死で、頑張りたいと思います。

陸前高田でボランティア、ポット苗で校庭を芝生いっぱいに

今日は陸前高田に行ってきました。

東日本大震災で被災した、岩手県陸前高田市の長部小学校の校庭に、ポット苗方式で芝生化しようというプロジェクトです。

日本サッカー協会の募集に家族で応募し、復興支援事業にボランティアとして協力してきました。

朝6時半に家を出て新幹線で一ノ関まで、そこからバスで11時ころに長部小学校の臨時校庭に到着しました。

この広場はボランティア団体、遠野まごころネットが整地して作り上げた広場です。

そこに、スコップで掘って芝生のポット苗を植えてきました。3か月後の9月には一面みどりの芝生の校庭になるのだそうです。

がんばりすぎて、手の皮がむけたり、腕も足も痛いけれど、やりがいのある3時間でした。

その後は、陸前高田のテレビで何度も映し出されたあの被災中心地へ、昨年11月にも訪れた場所です。

しかし、がれきは半年前とかわらなくつみあがっています。

復興の遅れを実感しました。

被災地の子供たちが、思いっきり走り回ってスポーツができる場所を早く作らなきゃあね、と半年前も大船渡・本増寺の木村さんとお話しました。

今日芝生を植えた校庭で、子供たちが思いっきり走り回る姿も想像しながら、緑いっぱいになったこの校庭をまた訪れよう、と誓って陸前高田を後にしたのでした。

被災地での検死ボランティアとグリーフケア

大森歯科医師会で開催された講演会で、富士見高原病院の後藤敏先生の「死体検案と歯科検案支援」という話を聞いてきました。

どうして歯科医師会?

実は大森歯科医師会会長の岡本徹先生は私の高校の同級生、てっちゃん。

そして、講演された後藤先生も高校の同級生、ごっちゃん。

てっちゃんから、「ごっちゃんが東日本大震災の医療・検死支援の話をしに来てくれるからヨタ(私のこと)も来ない?」と誘われて、聞きに行ってきたのです。

医者としてとっても勉強になる、そして心に残るいいお話でした。

泥だらけのご遺体を必死できれいにする警察の方たち。

安置所でのさまざまなドラマ。

帰らぬ人となったご主人を見て泣き崩れる女性。

その傍らにずーっと寄り添い、「わたしが死体検案させていただいた後藤です」というと、その奥さんは、どんなに素晴らしい旦那だったか、ご主人との思い出などをたくさん話してくれたのだそうです。それらをずーっと聞いていた後藤先生。

そして最後に「ありがとうございました」とその奥さん。

初めて会った後藤先生だけれど、ご主人を最後に見てくれた人。

そして、亡くなったご主人の話もずーっと聞いてくれた。

いわゆる「グリーフケア」です。

大切な人を亡くして大きな悲観(グリーフ)に襲われている人に対するサポート。

とても大切な医療行為。

悲しみを吐き出す、誰かがそれを聞いてくれる。それがとても大事。

震災医療ボランティアのことはよく報道もされたけれど、死体検案のために現地で頑張っていたドクターのことはあまりよく知らなかった。

そして、安置所でのグリーフケアまでやってたのね。

すばらしいなあ。

もちろん、そのあとは高校時代の思い出を肴に、おいしいお酒をたらふく飲みながら夜は更けていったのでした。

大船渡を訪れて感じた「これからこそ試されるスポーツの力」

青森市に来ています。

明日から開催される日本臨床スポーツ医学会、学会前日の今日は第一回チームドクター・トレーナーミーティングに出席して勉強です。

昨日は青森に入る途中、師匠の増島篤先生と一緒に被災地大船渡を訪ねてきました。

震災の直後、われわれもスポーツ人として、医者として、すぐ見何かできないかを考え、大船渡市を拠点にJOC医学サポート部会として震災支援を約1か月行いました。

詳細はITメディアエグゼクティブに連載中のコラムをぜひご覧ください。

その時に大変お世話になったのが大船渡の本増寺です。私は2月に腰の手術をして動くことができなかったため残念ながら実際の現場でお手伝いすることができませんでした。いつか必ずお伺いしなければと思っていたので、ようやく実現しました。

新幹線を一関で降りて、レンタカーで陸前高田を経由して大船渡に向かいました。

助手席の増島先生が3月に初めて訪れた時のことを話してくれます。

「ここら辺までは普通の景色、でもこの橋を渡ると見たこともない景色が広がっていたんだよ」

陸前高田に入るとがれきは片付いているものの、大きなビルしか残っていない何もない街並みが目の前に見えてきました。

積まれたがれきを見つめながら、その時を思い出す増島先生。

残った鉄筋コンクリートの建物は、4階まで津波が押し寄せたあとがくっきり。津波の巨大さを実感しました。

再び車を運転して大船渡・本増寺に到着しました。

ご住職はいらっしゃらなかったけれど、スポーツ関係者でもある息子さん、木村文律さんが待っていてくれました。

お寺の中にはジャック・ロゲIOC会長や震災後大船渡を訪れてくれた橋本聖子さん、大山加奈さんなどの色紙も飾られていました。

「岩手県はようやくみんな避難所生活から仮設住宅への移動が終わったけれど、学校の校庭に仮設住宅が作られているため、子供たちがのびのびとスポーツをできるグランドがないのです」と木村さん。

早く何とかしなくちゃね。津波に襲われて何もなくなってしまった空間を本増寺から眺めながら、「せめて建物が建つまでの間、この空間をグランドにすることはできないかなあ」なんて考えました。

本増寺をあとにして、救護活動の拠点になったリアスホールや毎日会議を行った大船渡市役所、県立大船渡病院なども訪れました。

まだ街中には片づけられていない陸に打ち上げられた船も発見、あらためて津波の恐ろしさを感じるとともに、一日でも早い復興を願わずにいられませんでした。

震災後の復旧・復興に少しでも役立てたい「スポーツの力」、その力は今後こそ試されるのだと思います。

実際に被災地を目の前にして、その思いを強くして再び一関から新幹線に乗って青森へ向かったのでした。

原発建屋内で熱中症!過酷な環境の中、体を張って作業してくださっている方たちに感謝!

「福島原発二号機建屋内で作業員が熱中症」とのニュース。

昨日夕方、日本テレビから「コメントがほしい」と取材依頼がありました。打ち合わせをして、実際に建屋内とほぼ同じ環境のスチームサウナに入ってコメントすることになりました。

都内某所の風呂屋を借りて撮影、「気温40度、湿度90%」の過酷な環境を実感しながらしゃべってきました。

まるでスチームサウナのような過酷な状況

気温が高いだけでなく湿度も高い、無風状態で密閉されている、サウナスーツのごとき密封された防護服の着用、作業中は水分補給もできない。

これだけで短時間で熱中症が発症する危険がはらんでいますが、さらに作業員の方たちの劣悪な生活環境。

体育館のような広い所に雑魚寝し、シャワーも頻繁に浴びられず、栄養満点の食事もとれない。長期にわたる作業で体も心も疲労がピークに達しているのではないか、と想像できます。

熱中症の発症には蒸し暑い環境だけではなく、個人の体調も大きく関係します。

すなわち、睡眠不足や低栄養状態、風邪をひいているなど、体調不良な時には熱中症も起きやすいのです。

昨日実際に蒸しぶろ状態を実感し、さらに放射線の恐怖にもさらされている作業員の方々を思い、体を張って我々を救ってくれている作業員の方たちに対する感謝の気持ちでいっぱいになりました。

自衛隊、警察、消防、自治体、東電の社員だってそうでしょう。みんな、今回の危機に立ち向かい必死に頑張ってくれています。

一日でも早く、原発事故の問題が収束することを願いながら、国民それぞれが自分にできることは何かを考えて行動しなければいけない、と改めて感じたのでした。

久しぶりの納豆と風評被害

約1か月ぶり納豆を食べました。たまたま昨日スーパーに並んでいたのだそうです。

「あー、うまい」

ふと、「そういえば納豆ダイエット捏造事件なんてのも昔あったなあ」と思い出しました。

「納豆にダイエット効果あり」と放送したテレビ番組の影響で納豆が品薄状態に、しかしその後、実は番組で使われたデータや証言がねつ造されていたということが発覚した事件。

今回の原発事故による放射線被ばくにかかわる報道や風評被害と重なりました。

情報を流す側と受け取る側、正しい情報を流す努力も大事だし、受け取る側もどれが正しい情報かを判断する能力が必要でしょう。

しかし、氾濫する情報の中でどれが正しいのかなんて簡単にはわからない。

だからメディアには視聴率や販売部数にとらわれない「良心」を持っていてほしいと思います。

一方、我々も情報を受け取るだけでなく、こういったブログやツイッターなどで、簡単に情報を発信することができる時代になりました。ということは、同じような「良心」をもってあたらないと、ますます情報を氾濫させ混乱させる可能性もあるということです。

様々な情報の氾濫による問題は、医療の世界でもあります。

病気になった患者さんは、インターネットで氾濫している情報を見て、何が正しいのかわからなくなってますます不安になってしまう。

なかなか難しい問題ですね。

いずれにせよ、、原発問題が早く終息して、日本が復興して、また毎日納豆が食べられる日が来ることを祈りたい。そのために私ができることをしっかりやろう、と思います。

関連記事⇒「各地で測定された放射線量は安心できるレベルです」「無責任な報道による風評被害に怒りを感じます」

 

不安をあおる言葉たち

枝野官房長官の会見を聞いていて感じました。

「長期にわたって摂り続けなければ問題になる放射線量ではありません」

「ただちに健康に害を及ぼすものではありません」

「長期」とはどれくらいなのか、1か月なのか1年なのか、「ただちに」とはどれくらいの時間なのか。

避難命令や、今日指令が出たホウレンソウや生乳の出荷停止。それの言い訳のように続くこれらの言葉はますます不安をあおります。

医者も同じようなことをいうことがあります。

手術や検査の説明において、「まれに、0.1%以下ではありますがこの検査で死亡することもあります」などなど。でもポイントは必ず数字を入れること。

これらは十分な説明を行って承諾をもらって検査や手術をする、というインフォームドコンセントですが、医療側の「ちゃんと合併症がおこりえることも説明しましたよ」という証拠でもあります。患者さんは「死亡することもあります」などと言われれば不安になりますが、0.1%以下という数字を聞けば少しは安心できます。

枝野長官も言い訳的な説明をせざるを得ないのかもしれないけれど、せめて、数字を出してくれれば、もう少し不安は和らぎます。

先日のこのブログでも、通常より相当高くても大した放射線量ではないことを書きました。https://www.komatsuyutaka.com/kolog/?p=740https://www.komatsuyutaka.com/kolog/?p=743

会見の前にせめて専門家に具体的な数字を入れた原稿を作ってもらえばもう少し国民が不安にならずに済むのになあ。

人のために行動する

大震災、被災された方たちはもちろん、こんな状況の中いろいろな人たちががんばっています。

今日のニュースでも、被災地に乗り込んで医療行為を行っているドクターたちも紹介されていました。

そんな姿を見ていると、自分もあの場に行って少しでも力になりたい、と本当に思います。でも、この腰じゃあ逆に迷惑かけるなあ。

福島第一原発で、決死の放水作業を行った東京消防庁のハイパーレスキュー隊の隊長の記者会見もみました。

「まずは危険な作業を行う隊員たちを送りだしてくれたご家族に、お詫びと感謝の言葉を述べたい」と語った隊長。

こういうことを言えなければリーダーにはなれないと感じました。

原発に出かけることを報告したら、奥さんから、「ニッポンを救うために頑張ってください」と返事があったと。

自身の被曝を覚悟で、世の中のために、とがんばっている自衛隊、警察、東京消防庁、そして東京電力の職員の方、そしてそれを見守るご家族、そのほかたくさんの方たち、本当に頭が下がります。

JISSクリニックでも、マジカルエクササイズ女医中村格子先生が段取りをとってくれて、被災地に服や靴を送ろうという支援活動をを始めました。

こうやってみんなが、「人のため」と行動することがとてもうれしいです。

無責任な報道による風評被害に怒りを感じます

今朝TBSテレビ「みのもんた朝ズバッ」で、南相馬市の市長さんが風評被害の実情を訴えていました。

「支援物資が届かない。トラックの運転手が放射線を被ばくしたくないといって街に入ってくれない。市の職員がわざわざ郡山まで支援物資をとりにいっている。市でも独自に放射線量を測定しているが全く問題のないレベル。そのことを全国の皆さんに伝えてほしい」

昨夜書きました。不安をあおるような無責任な見出し。その結果がこういうことになるのです。今朝の新聞に出ている週刊誌の広告見出しにも、「戦慄放射線汚染」、「東京放射線汚染」、といった、見出しが並んでいます。

昨日書いたように、東京はもちろんのことこの南相馬市でも放射線量は安心できるレベルです。南相馬市の放射線量は毎時3.3マイクロシーベルト。これは1年間浴び続けても28908マイクロシーベルト、すなわち28.9ミリシーベルトですから我々医者がレントゲン検査で1年間に被ばくすることを許容されている50ミリシーベルトの範囲内なのです。

みんなが、「被災した人たちのために何とかしたい」、と思っているのに、こういった無責任な見出しが、被災した人たちを苦しめる結果になるということを新聞や週刊誌はわかっているのだろうか。結局、みんなが興味を引きくような刺激的な見出しをつければ、売り上げが上がるから書くのだろう。

国民の多くが自分のことより被災地のみんなのことを考えているのだから、報道する側も自分たちの売り上げなど考えず、被災地の人たちのことだけを考えてほしい。

マスコミの皆さん、ぜひ被災地に風評被害が出ないようにお願いします。医学的な正しいコメントが必要なら24時間対応しますから、どうぞいつでもご連絡下さい。