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マカオのインドアゲーム

2007年11月「e-resident」掲載~マカオ・第2回アジア室内競技大会(アジアインドアゲーム)

―背広を着てのミッション

今回はマカオからです。第2回アジア室内競技大会(アジアインドアゲーム)の組織委員会本部のあるベネチアンリゾートホテルの部屋から書いています。今回の海外遠征はいつもの競技帯同ドクターではありません。大会がきちんと行われているか、特に大会での医療サービスやドーピング検査がきちんと行われているのかをチェックしたり手助けしたりする役割です。

 

みなさん、IOC(国際オリンピック委員会)はよくご存知でしょう。IOCは1894年にピエール・ド・クーベルタン男爵の提唱により、古代オリンピックの復興を目的として創設されました。4年に一度のオリンピックを主催するだけではなく、世界各国のオリンピック委員会を傘下に置き、「スポーツを通じて相互理解と友好の精神を養い、平和でより良い世界の建設に貢献する」というオリンピック精神の普及と、さらなる理解を得るための活動、すなわち「オリンピックムーブメント」の普及がIOCの大きな目的で、そのための様々な活動を行っています。

そしてそのアジア版がOCA(アジアオリンピック評議会)です。クウェートに本部がありアジア地域45カ国が加盟しています。OCAが開催するアジア大会は4年ごと開催されますが、競技数の増加に対応して2年前から室内競技を中心とした室内競技大会が別に開催されるようになりました。

 

私はそのOCAのメディカルコミッティーの委員なので、今回はいつものようなジャージ姿ではなく、背広を着て、すこし「医者っぽい」ふりもして、各競技会場のメディカルルームを見て回ったり、ドーピング検査の立会いなどを行っているのです。

毎朝9時から会議があります。約2時間、前日のドーピング検査の立会いの結果を報告し、選手のメディカルルームへの受診状況の報告を受け、選手たちが十分な医療体制で試合ができるように、きちんとしたドーピング検査が行われるように、大会組織委員会の医事担当者に様々なアドバイスをします。また、メンバーたちとは朝、昼、晩、大体一緒に食事をするので、スポーツ医学やスポーツの話だけではなく、政治や経済の話、その他の世間話もしなければいけません。

まあ、なんとか対応はしていますが、皆さんお察しのとおり、私は選手と一緒にからだを動かしているほうが好きなので、それなりに疲れます。そしてなんといっても、自分の英語力のなさ、ボキャブラリーの少なさを反省します。この手の反省は昔からよくしていて、とくに海外の学会で、英語でうまくディベートできない、相手を言い負かすことができない度に、「英語を勉強しなくちゃ」って思うけれど、思っているだけで全く前に進んでいません。ただ、こうやってへたくそなりに英語だけで生活しているとだんだん慣れてくるっていうのはわかってきました。英会話の勉強だと思ってもう少しがんばることにしよう。

―インドアゲーム

メディカルコミッティー、アンチドーピングコミッションのメンバーには現場のスポーツをよく知っている人とそうでない人がいます。私なんかは普段は選手と一緒にドーピング検査を受ける側なので、選手の権利を守るほうにどうしても目が向いてしまいますが、「悪者を見つけ出すんだ」といった、いわゆる性悪説が根底にある委員もいます。そういう人も必要なんでしょうが、やはりドーピング検査をやる側も、選手たちの気持ちを理解して検査に当たる事が大事だと感じます。まあ、今日の会議ではそういう発言をしたのだけれど、みんなわかってくれたかなあ。

今回のインドアゲームでは様々な競技種目が行われています。室内陸上や室内水泳、ボーリングやビリヤード、ムエタイ、フットサル、カバディ、エアロビクスなどなど、チェスやエレクトリックスポーツ(いわゆるテレビゲーム)なんかもあります。テレビゲームがスポーツ??なんてことも感じるけれど、そうやって様々なスポーツが世界共通のルールを作って文化として発展してきたのだから、暖かい目で見ることにしましょう。ただ、やはりテレビゲームで勝ち進んでいるのは、小学生くらいの子供でしたが・・・。

今回の海外もまだまだ楽しい事がありそうです。

 

スポーツとコミュニケーション

2007年10月「e-resident」掲載~アゼルバイジャン・レスリング世界選手権

―ワッハッハ

8月から約2ヶ月間、バンコクのユニバーシアード、ドイツの体操世界選手権、アゼルバイジャンのレスリング世界選手権、と連荘で続いた海外帯同がようやくひと段落。

体操の世界選手権では女子団体が無事にオリンピックの権利を獲得しました。男子団体は惜しくも銀メダルでしたが、個人戦では補欠だった水鳥選手が大活躍。ドイツから帰国後2日後にレスリングの世界選手権が開催されたアゼルバイジャン・バクーに出発、世界最強軍団女子は7階級のうち4階級で金メダルを獲得し、相変わらずの強さを世界に見せつけました。万全とはいえない体調でもしっかり勝つ、さすがでした。

アゼルバイジャンはカスピ海西岸にあり旧ソビエトですがイスラム圏です。オイルマネーで潤っているためか、町の中はあちこちで新しいビルが建設されていました。3月にやはりレスリングで訪れたシベリア・クラツノヤルツクとは雰囲気が全く異なり、「ソビエトは本当にいろいろな国、人種の集まりだったんだなあ」と実感できます。

 

今回、女子の団長として参加されたアニマル浜口さんともたくさん話をしました。例の「気合だー」や「ワッハッハッハッハ」もその「こころ」をうかがい、単なるカメラの前だけのパフォーマンスではないことがよくわかりました。最終日、「またまた疑惑の判定」で浜口京子選手が敗れた最終日、選手のドーピング検査の付き添いを終えてウォーミングアップ会場に戻ると、選手数人と一緒にアニマル浜口さんも待っていてくれました。

 

「先生、今回もいろいろ世話になったお礼に、今日は例の笑い方をお教えしましょう。ワッハッハ」たまたま近くにいたアゼルバイジャンの少年二人と一緒に並べさせられて、その前にはアニマル浜口先生、少年たちと大きな声で、「ワッハッハッハッハ、ワーッハッハッハッハ」と笑っているうちにだんだん爽快な気分になってきて、調子に乗って続けていたら、たくさんの人が集まってきてみんなで大笑い。アゼルバイジャンとの国際親善に貢献です。

スポーツ選手は、言葉は通じなくても、このように外国選手たちとコミュニケーションをとることが得意です。そこには、「挨拶」「相手の顔や目を見る」「スキンシップ」といった、まあ考えれば当たり前のコミュニケーションのポイントがあるように思います。

―スキンシップが大切

スポーツにかかわる人たちは、よく握手をし、肩を抱き、ハイタッチをします。特にレスリングの人たちは身体を触るコミュニケーションが好きです。今回の世界選手権でも選手村となったアブシャロンホテルのエレベーターの中で、見知らぬ外国の選手やコーチから何度も握手をされ、肩をもまれました。ロサンゼルスオリンピックの金メダリスト、現在は日本レスリング総監督の富山英明さんも私と話すときは必ず私の腕や肩を触っています。

確かに、赤ちゃんとのコミュニケーションもまったく同じですよね。言葉は通じなくても、笑いかけたり、表情を察したり、肌をふれあって、ちゃんと意思の疎通ができます。そんなことを考えていたら、電子メールのことを思い出しました。私は基本的には電子メールが嫌いです。特に、考えながら返事を書かなければいけないメールはとても苦手。

もちろん、外国にいることが多い私にとっても、通信手段としての電子メールはとても便利です。でも、メール文化により、人どうしのコミュニケーション能力が失われつつあるような気がしてなりません。

廊下であったとき「先生、メールしておきましたから」って言われて、「なんで今ここで話せないの?」って感じたことありませんか?

単なる事務連絡ならともかく、メールで「思い」を」正確に伝えるのは不可能です。相手の表情が見えない、目が見えない、聞き返せない、おまけに身体にも触れることが出来ない。だから、電子メールがあまり好きになれないのです。というわけで、職場内では、「事務的な連絡以外はなるべく電話か直接会って話すように」というルールを作っています。

まあ、今回は話がどんどん脱線してしまいました。スポーツというのはルールがあってみんなで高めあう世界共通の文化ですから、人と人とのコミュニケーションを含めて、いろいろなことが学べるなあ、という結論にしちゃいます。

この2ヶ月間、とてもハードで少々疲れたけれど、やっぱり今回もいろいろな事があって楽しかったなあ。


ユニバーシアードと体操の世界選手権

2007年9月「e-resident」掲載~~ドイツ、シュトゥットガルト・体操世界選手権

―メディカルスタッフの仕事

今回は、ドイツのシュトゥットガルトからです。来年の北京オリンピック予選も兼ねた体操の世界選手権のチームドクターとしての帯同です。部屋では、いよいよ明日に迫った団体予選を前に、世界選手権に初めて出場する学生の沖口誠選手が「プレッシャーだーッ」と叫びながら、今井トレーナーの治療を受けています。

今年の夏も帯同が続きました。

8月2日から20日までは、バンコクで開催された第24回ユニバーシアード競技大会の日本選手団の本部ドクターとして帯同しました。 ユニバーシアード大会は世界の大学生の総合競技大会です。2年ごとに開催され、今回は15競技、選手役員合わせて約400人の日本選手団が派遣されました。バンコク郊外のタマサート大学に選手村が作られ、そこを拠点に毎日熱戦が繰り広げられました。

今回の日本選手団本部のメディカルスタッフはドクター3人(内科2人、整形外科1人)とトレーナー1人で構成され、私が責任者を務めました。それぞれの競技団体でトレーナーやドクターを帯同させているので、本部メディカルスタッフの主な仕事は、それら競技団体のメディカルスタッフの取りまとめ役、ということになります。

実際には、1)選手全員の派遣前メディカルチェックの結果から選手の医学的問題点をまとめて把握する、2)選手村に日本選手団として持ち込む医薬品やトレーナー機材のリストを作成してあらかじめ大会組織委員会に提出する、3)あらかじめ調査した現地のメディカルにかかわる情報を各競技団体のメディカルスタッフに流して周知させる、4)ドーピング禁止薬物使用の有無の調査やTUE(禁止薬物使用のための申請)の提出、選手のアンチドーピングにかかわる知識を把握や教育、5)大会期間中に開催される大会組織委員会のメディカルミーティングでの情報の周知徹底、6)日本選手団本部医務室での医務活動、7)競技現場に出向いての医務活動やドーピング検査の付き添い、などが本部メディカルスタッフの仕事です。

―コンディションを管理

選手村の日本選手団宿舎の中に医務室とトレーナー室が設けられ、日本から様々な医薬品や治療器具を持ち込みます。まあ、大抵のことなら日本選手団医務室だけで事は足りますが、選手村の中には組織委員会が準備したクリニックもあります。

オリンピックをはじめとする国際総合競技大会の雰囲気は独特なものがあります。ホテルを利用した通常の国際大会とは異なり、選手村での長期にわたる生活、あまりおいしいとはいえない選手村食堂、過密なスケジュール、精神的なプレッシャーなどが原因で、体調を崩す選手も多いうえ、ユニバーシアードは多くの選手たちがはじめて経験する国際総合競技大会ですから、これらの経験をもとに一流のオリンピック選手へと育ってゆきます。そういう意味では、「最高のコンディションを保つ」ことがまだへたくそな連中ですから、メディカルも忙しくはなりますが、逆に言うと「教え甲斐」もある世代ということもできるわけです。

9年ぶりに訪れたバンコクはだいぶ近代化していました。1998年にバンコクでアジア大会が開催され、私は野球チームのチームドクターとして訪れました。選手村は今回と同じタマサート大学、9年前は衛生状況もあまりよくなくて、気をつけていたにもかかわらず選手の多くが細菌性腸炎にかかりました。現在、ジャイアンツで活躍する阿部慎之助選手がまだ学生で、決勝の韓国戦の試合直前、ひどい下痢で球場のトイレから出てこなくてあせったことを思い出します。今回もそこらへんを想定して、たくさんの輸液や抗生物質を持ち込みましたが、そのような症状を起こす選手はほとんどいませんでした。

さて、体操の世界選手権です。男子は来年の北京オリンピックに向けた大事な試合、女子は北京オリンピックへの団体戦の出場権をかけた大事な戦いです。ドイツに入ってからの大会前の練習で、不運なことに鹿島丈博選手が手の甲を骨折してしまって日本に帰国しましたが、代わりに出場するのがやはりアテネオリンピックの金メダリストの水鳥寿思選手。日本の男子体操の層の厚さを感じさせます。

昨晩は開会式が行われました。どんな結果になるのか。昨日のミーティングでも、具志堅幸司監督は「チームの中の自分の役割をしっかり果たせば大丈夫だ」とおっしゃいました。私も、チームドクターとして課された役割をきちんと果たすことだけを考えて、あと1週間がんばりたい。

終わったころには、きっと声の出しすぎでがらがら声になっているでしょうけど。



熱中症のお話

2007年8「e-resident」掲載~熱中症について

―熱中症は予防できる

ここ数日暑い日が続いています。もうすぐ梅雨も明けるのでしょう。毎年この季節になると、必ず、テレビ局や新聞社から「熱中症について話を聞きたい」という取材の申し込みがあります。熱中症の危険性や救急処置、水分補給の重要性などをマスコミで取り上げていただくのは、熱中症の知識の普及という面ではとてもありがたいことなので、なるべく対応するようにしています。

熱中症は、その重症な状態である熱射病に陥ると、死亡する可能性が高い病気です。とくに、スポーツ活動中の熱中症による死亡事故は、いまだに毎年おきていて、多くの中学生、高校生が亡くなっています。「いってきまーす」といって元気に家を出た子供が、次の日には変わり果てた姿で家に戻ってくるのです。家族としてみれば、「どうして?」という気持ちになるのは当然で、最近は訴訟の件数も増えてきているようです。熱中症の知識は昔に比べて普及してきているにもかかわらず、死亡事故が減らないのは、近年の都市化によるヒートアイランド現象や地球温暖化の影響もあります。スポーツによる熱中症事故は無知と無理によって健康な人に生じるものであり、適切な予防措置さえ講ずれば防ぐ事ができるものです。

そもそも私が、熱中症にかかわることになったのは、今から約15年も前のことでした。それまで日本においてはスポーツ活動中の熱中症予防に関する具体的な予防指針が出されておらず、悲惨な熱中症事故を何とか防ごう、という目的で、平成3年に日本体育協会に「スポーツ活動における熱中症事故予防に関する研究班」が設置されました。そのとき、現在私の国立スポーツ科学センターの上司である、川原貴先生に声をかけていただき、研究班に加わらせていただきました。研究班では、スポーツ活動による熱中症の実態調査、スポーツ現場での測定、体温調節に関する基礎的研究などを行い、平成6年には「熱中症予防8か条、熱中症予防のための運動指針」を発表し、以後、啓発活動に力を入れてきました。このガイドラインは、日本体育協会のホームページでダウンロードできますのでご覧いただけたらと思います。

今では考えられないことですが、あのころは「熱中症」という言葉もそれほどポピュラーではありませんでした。「日射病」という言葉のほうが一般的で、「熱中症って何かに熱中しすぎること?」なんて聞かれたこともあります。実際、自分自身も高校時代サッカーをやっていたのですが、「練習中に水を飲みすぎると走れなくなるからなるべく我慢しろ」といわれていました。ちょうど高校1年のとき「ゲータレード」なるものをはじめて手にして、「これは運動中に飲んでもおなかが痛くならない水だ」と先輩に言われたことを思い出します。

―未だに死亡者は減っていない

地道な活動の甲斐があり、最近では、「暑い時期にスポーツをする場合にはこまめな水分補給が大事」ということは知識としてはかなり浸透してきました。しかし、実際には、スポーツの現場で適切な水分補給ができていない場合もまだ多いのです。

クラブ活動中に、「自由に水を飲んでもいいよ」といっても、「先輩よりも先に飲めない」、「すぐ近くに水がない」、「水ばかり飲んでいたらだらしがない」といった、水分補給を邪魔する要素がまだまだ存在します。スポーツの現場では、いつでも水分補給ができる環境を作ってやる、いつでも水分補給ができる「雰囲気」を作ってやる、という事が大事です。脂肪肝の患者さんに、「運動したほうがいいですよ」なんていったって誰もやりゃしない、運動ができる環境、仕組みを作ってやることのほうが大事なことと同じです。こう考えると、また「仕組みを作ること」に行き着いちゃいました。

これを読んでいる研修医の皆さんは、きっと「一人前の医者になること」に熱中していることでしょう。その気持ちを持ち続けてくださいね。私も、この年になって、まだまだ「熱中できるもの」がたくさんあって、幸せだなあ、と感じているわけです。


やっぱりアンチドーピング

2007年7月「e-resident」掲載~ドーピングについて

―再びアンチドーピング

わが国のアンチドーピングに深くかかわる私としても、言いたいことがいくつかあります。

前回も書きましたが、スポーツ界がアンチドーピングに真剣に取り組む理由のひとつは、「スポーツがクリーンであることを証明し、スポーツそのものを守る」ためです。

昨年、野球のWBC(ワールドベースボールクラッシック)のときに、今年からメジャーリーガーになった岩村明憲選手と、この事に関して話をした事があります。彼と始めて会ったのは、1999年にオーストラリアで開催されたインターコンチネンタルカップのとき。彼はまだヤクルトのファームにいて、身体も現在のあのムキムキな肉体とは程遠い普通の身体でした。厳しい練習と自己管理によって、プロに入ってからたくましい肉体を作り上げたのです。彼は私に言いました。

「プロ野球にドーピング検査が導入されてから、毎日の薬にも気をつけなければいけなくなったし、試合後の検査もめんどうです。しかし、もっともっとしっかりやってほしい。自分のようにドーピングとは無関係な選手たちにとっては、この鍛え上げた肉体がドーピングによるものではないことを証明することになるからです」 。

ドーピング検査を導入して2年目になる日本のプロ野球選手たちも、確かに最初は抵抗もありましたが、現在ではドーピング検査をすることにより日本のプロ野球がクリーンであることを証明できる、プロ野球や自分の価値を守る事ができる、ということを理解してくれて協力してくれています。

プロもアマチュアもスポーツであることに変わりはありません。プロスポーツは観客を集めて利益を上げることを目的としたビジネスだからドーピングをしてもよい、ということにはなりません。それを主張するのならば、「スポーツ」といわなければいいのです。スポーツというのは、ルールがあって仲間がいて競い合い高めあう、世界共通の文化です。ドーピングという「ずる」を許したら、すばらしいスポーツの価値がなくなってしまう、これはプロスポーツでも同じことです。

―時には過酷

試合後のドーピング検査がいやだと思う選手はいるかもしれません。しかしドーピング検査を拒否したら、それだけでドーピング違反として制裁が課されます。もしドーピング検査を拒む事が許されたとしたら、それはドーピング検査ではなく、ただの尿検査です。確かに、負けて落ち込んでいる選手を検査しなければいけない場合もあります。決勝で勝った選手と負けた選手が、同じドーピング検査ステーションに入ることもあります。アテネオリンピックの時、オーストラリアに負けて決勝戦に進めなくなった試合のあともドーピング検査がありました。こぼれ落ちる涙を必死にこらえているソフトボール選手のドーピング検査に付き添いました。さすがに、声をかけてあげることもできませんでした。

スポーツの世界は「結果がすべて」の世界です。想像を絶する過酷なプレッシャー・不安・緊張など、私自身もスポーツの現場で数多く体験してきました。当然そういったメンタル面のコンディショニングに関して、ドクターができること、しなければならないことはいくつもあります。

ちなみに現在、カフェインはドーピング禁止薬物ではありません。「監視物質」といって、ドーピング検査の際にチェックはしていますが、ドーピング違反にはなりません。ただし、ドーピング禁止薬物リストは毎年更新されますので、今後再び禁止薬物になる可能性はありますが…。

スポーツとアンチドーピング

2006年6月「e-resident」掲載~アンチドーピングについて

―アンチドーピング活動

今回はアンチドーピングの話をしたいと思います。

皆さんもご存知のとおり、ドーピングとは「薬やその他の不正な方法を用いて競技力向上を図ること」です。スポーツ界においてドーピングはスポーツそのものをだめにしてしまう行為であり、アンチドーピング活動は、われわれスポーツドクターが真剣に取り組まなければいけない仕事のひとつです。

アンチドーピング運動は、自転車のロードレースで興奮剤を使用した選手がレース中になくなったことをきっかけに始まりました。ベルリンの壁崩壊以前、組織的にドーピングが行われた国では、いまでもドーピングの副作用に苦しんでいる元選手たちがたくさんいます。このように、「選手の健康を守るためにドーピングをやめよう」というのが、ドーピングが禁止されるひとつの理由ですが、決してそれだけではありません。スポーツの世界でドーピングを許してしまったら、「スポーツそのものの価値がなくなってしまう」のです。

スポーツの世界は、結果が求められる厳しい世界。オリンピックのメダリストになるかならないかで、人生が全く変わってきます。ドーピングがからだによくないなんてことはわかっていても、それに手を染めてしまう選手たちの気持ちもわからないではありません。「ドーピングをしてからだが壊れても自分のことなんだから人には関係ないじゃないか」という選手の本音もあるかもしれません。しかしそうではないのです。

スポーツは人々に夢や感動を与えます。一生懸命練習して、努力して、そして結果を勝ち得た選手たちをみて、子供たちも「ああなりたい」と感じます。そこに、ドーピングという「ずる」は許されないのです。ドーピング行為はスポーツ固有の価値を損なうものであり、スポーツ界がアンチドーピングに真剣に取り組むことは、「スポーツがクリーンであることを証明し、スポーツそのものを守る」ことになるのです。

ですから、スポーツのすばらしさを感じ、国をも変えうるスポーツの力に魅せられてこの世界に身を投じている私にとっても、アンチドーピング活動は大変重要なものです。

―ドーピング検査

実際、ドーピング禁止物質にはさまざまなものがありますが、これは世界アンチドーピング機構(WADA)が世界共通のルールとして禁止リストを定めています。蛋白同化ステロイドなどの筋肉増強剤、興奮剤、エリスロポエチンなどのホルモン、利尿剤やドーピングを隠すための隠蔽剤、β刺激剤、糖質コルチコイドなどの薬物がドーピング禁止物質。これらは、日常の医療行為で使われるものも多く、薬局で手に入る風邪薬などにもこれらの禁止物質が含まれているものが数多くあります。

ですから、ドーピングをしようと思っていなくても、うっかり服用した風邪薬に含まれているエフェドリンが検出されればドーピング違反になってしまうこともあります。このような、「うっかりドーピング」を防ぐために、選手たちに薬の知識を教えることもわれわれの仕事ですし、実際選手からは、「この薬は飲んで大丈夫か」といった問い合わせも数多くきます。

さらに、トップアスリートは、いつドーピング係官がやってくるかわからない競技外検査(抜き打ち検査)に応じる義務もあり、そのために自分がいつどこにいるかという、居所情報を定期的に提出しなければいけません。このように、ドーピング検査はドーピングなんて考えてもいない選手にとってはとても面倒なものです。しかし、選手たちは、「自分たちが置かれているスポーツを守るために必要なこと」と理解して、協力してくれています。

そして、今年になってアンチドーピングを取り巻く日本の状況がまた変化しました。ユネスコが定めた「スポーツにおけるドーピングの防止に関する国際規約」を昨年12月に日本政府が締結し、この規約は本年2月から発効しました。中身は難しいのですが、要するに、「国を挙げてアンチドーピングに真剣に取り組む」ということを日本政府が宣言した、ということです。夏のオリンピックを2016年に東京に誘致できるかどうかも、日本がどれだけアンチドーピングに取り組んでいるかを評価されます。そして、日本アンチドーピング機構(JADA)が中心となってその仕組みが徐々に形作られてきています。

日本のプロ野球も、アンチドーピングに本格的に取り組み始めました。2006年からドーピング検査を導入し、プロ野球選手を対象に、アンチドーピングの啓発活動にも力を入れています。日本の人気スポーツであるプロ野球のアンチドーピングに対する姿勢が社会に与える影響はおおきく、また、プロ野球が真剣にアンチドーピングに取り組むことは、「日本のプロ野球はクリーンである」ということを証明することにもなります。そして、選手たちもそれらを十分に理解し協力してくれています。

まあ、なんだか今回はドーピングの講義みたいな内容になってしまいました。しかし、細かな内容は別にして、「ドーピングをしようなんて考える選手はほとんどいない日本」でも、ドーピングの啓発活動をして、ドーピング検査もたくさんやっていることを示さなければ、日本が真剣にアンチドーピングに取り組んでいる、と世界からは評価されないのです。

今後は、医学教育の中にもこのアンチドーピングが取り入れられなければいけない時代が来ると思います。

スポーツに親しむ仕組みを作る

2007年5月号「e-resident」掲載~山中湖、所属するバスケットボールチームの春季合宿

―バスケットボール再開

先日、私が所属するバスケットボールチームの春季合宿があり参加してきました。合宿は山中湖の近くの体育館で行われ、土曜日の午後と日曜日の午前、それぞれ3時間まじめに練習。

学生時代は麻雀とバスケットと勉強??に明け暮れた私ですが、さすがに医者になってからは忙しくてバスケットに打ち込む余裕もなく、そのような機会もありませんでした。しかし、15年ほど前、週1回企業の医務室にアルバイトに行っていたのですが、その企業のバスケットチームに入れてもらい、時々練習したり区民大会に参加したりしていました。ただそれも、ほとんど練習にも出られず、また最近は、若い人たちと一緒だとだんだんついてゆけなくなり、サボりがちでした。

今年に入り、「40歳以上が参加するバスケット大会があるのでチームに入らないか」とのお誘いを受け、新しいチームに入れていただき、再びバスケットを一生懸命やり始めました。土日を含め月に5日ほどの練習に励んでいます。

私が再びバスケットに打ち込めるようになった理由を分析してみると以下のようになると思います。

1)    バスケットをするのが楽しい

しばらくあまり練習していなかったせいもあり、まじめに練習していると、「うまくなっている」と実感できる。試合もあるので、「チームの一員として一緒に戦っている」と実感できる。「試合に勝つ」という目標がある。いつも接しているオリンピック選手とまではいかなくても、せめて、「裸になってもはずかしくないからだになろう」という目標もある。

2)    バスケット以外も楽しい

私のチームはいろいろな職種の人たちの集まりです。当然、練習のあとは居酒屋で一杯ということになるのですが、それが楽しい。チームのみんながとてもフレンドリー。

3)    バスケットをしようと思う「時間と心の余裕」ができた

大学病院時代に比べ、時間の余裕は同程度の忙しさですが、ある程度自分でコントロールできるようになりました。そして、何より、心の余裕ができました。

4)    音頭とりをしてくれる人に感謝

ひとりではバスケットはできません。仲間を集めたり、練習場所を確保したり、バスケット以外の楽しみも企画したり、と音頭を取ってくれる人が必要です。私のチームでも、みんながそれぞれ役割を分担して、「バスケットを楽しくできる環境」を作ってくれています。感謝、感謝。

すなわち、私が現在バスケットに打ち込めるのは、「バスケットを楽しくできる環境、仕組みが出来上がっている」からなのです。スポーツにはルールがあって仲間がいてその中で自分自身を高めるという、文化的な要素を持っています。これは、スポーツに親しむ上でとても重要な要素だと感じます。

―スポーツに親しめる環境とは

以前から、生活習慣病の予防に適度な運動が大事であることが叫ばれてきました。最近は「メタボリックシンドローム」なる言葉も大はやりです。私自身も、消化器内科医時代に脂肪肝の患者さんに、「もっと運動したほうがいいですねえ」なんてよく言っていました。

みんな、「運動したほうがいい」なんてことはわかっているのです。でもできない。じゃあ、なぜできないのか、それを考えて、みんながスポーツに親しめる仕組みを作らなきゃあいけない。子供のころからスポーツに親しむ仕組み、仕事や家庭が忙しい30代、40代でもスポーツができる環境づくり、「心の余裕」ができる社会、そういった「社会の仕組み作り」が大事だと思います。それらは、「医学」ではない、という人もいるかもしれないけれど、「みんなが健康でいられる」ということが医学の最終目標であるのなら、「仕組みを作る」ことに全く無関心ではいられないはずです。

最近話題の、「医療崩壊」「お産ができる病院がどんどんなくなってゆく」「つかれきった勤務医がどんどん辞めてゆく」なんて問題も、まさしく、「医療の仕組み」に問題があるのだと思うし、そのような「医療の仕組み」を考えたり立て直したりする事が、インパクトファクターの高い雑誌に論文が載ること以上に評価されてもいいのになあ。

トップアスリートにかかわっている私も、日本の競技スポーツが強くなることによって、みんながスポーツを身近に感じてスポーツに親しめるようになる、と信じてがんばっています。「スポーツに親しむ仕組みを作る」ためにも、まだまだやらなきゃいけない事がいっぱいあります。そのうちどんどん忙しくなって、また、自分がバスケットに親しむ余裕もなくなっちゃうのかもしれないけど、まあいいか。

ソフトボール松本直美さんとの久しぶりの再会

今日はNTC(ナショナルトレーニングセンター)に女子バスケの公開練習を覗きにいったら、シドニーオリンピック銀メダリストの松本直美さんとバッタリ。

松本さんは、私がチームドクターとして帯同した、シドニーのソフトボールチームのキャプテン。

オリンピック以来だから、なんと12年ぶりの再会でした。

シドニーオリンピックの3か月前にチームに帯同することが決まり、チームに早く溶け込もう、女子たちに嫌われないようにしよう、と私も一生懸命だったから、いろいろな事が鮮明に蘇ります。

宇津木妙子監督にもよく怒られたけれど、松本キャプテンにも「先生、しっかりしなさいよー」ってよく怒られた、ていうか、可愛がっていただいた。

試合前に、一緒にアップしているときも、「ほら、もっとちゃんと走って」「声が小さいよー」なんて叱咤激励されてた。

がんばりすぎて、肉離れ起こして、「ドクターなのに何やってるのよ」ってまたおこられた。

短期間でチームになじめたのは、本当に松本キャプテンのおかげ。

チームドクターとしていろいろなことを勉強させていただいたなあ。

残念ながら、サヨナラ負けで銀メダルだったけれど、チームの一員として本当に楽しい気持ちをみんなと一緒に感じることができたシドニーオリンピックでした。

松本さんは現在は山形に住んで、講演活動やソフトボール指導などみんなが夢をかなえるためのお手伝いをしてくれています。

今日も、NTCで未来のオリンピック選手たちに話をして、選手たちと一緒にバスケの練習を見学に来たとのこと。

松本さんのホームページをみたら、シドニーオリンピックの開会式の写真に私も写ってた。

ぜひ今度ゆっくり、思い出話だけじゃあなく、これからの日本やスポーツの将来の話、したいですね。

オリンピック選手の自己管理能力がいかにすごいか

ITmediaエグゼクティブに連載中のコラム、掲載されました。

4年に一度のたった一日に最高のコンディションで試合に臨まなければいけないオリンピック選手たち。

自分の体のことをよく理解し、そして我々にはまねできない「自己管理能力」

そして、20年前、バルセロナオリンピック前のあの偉大なオリンピック選手のことがよみがえります。

 

アスリートと喘息セッション

今日は第29回日本小児難治喘息・アレルギー疾患学会の特別企画、「アスリートと喘息セッション」に招かれ、大阪に行ってきました。

座長は今回の学会の会長でもある大阪府立呼吸器・アレルギー医療センターの亀田誠先生。

第1部で私が「アスリートと喘息」の話をして、第2部で国立病院機構福岡病院の西間三馨先生と、ご存じスピードスケートの金メダリスト、清水宏保さんとの「アスリート対談、ぜんそくでもなんだってできる!~ぜんそくのこどもたちの夢を応援します~」と題したセッションでした。

私はトップアスリートでも喘息の選手がたくさんいること、JISSでの喘息に対する取り組み、喘息とアンチ・ドーピングのことなどを話しました。

また、清水さんを含め、多くの喘息アスリートたちが、喘息の正しい診断や治療のために力を貸してくれていることも紹介しました。

アスリートたちは、スポーツの力を理解し、社会のために自分が何をすべきか、常に考えて行動してくれています。

本当に素晴らしいと思います。

第2部でも、時にユーモアを交えた西間先生と清水さんの語りで、会場は大変盛り上がりました。

聞きながら私も、「やっぱり大阪で話をするときには、たくさんの笑いのネタを入れるべきだったな」と反省しました。

清水宏保さんとは本当に久しぶり、たぶん5年ぶりくらいかなあ。引退してもあの優しそうで精悍な顔つきは昔のままです。

自らの喘息の経験や、スポーツに対する思いを語り、会場を訪れたぜんそくの子供たちの夢を応援してくれました。

「喘息だったからこそ僕はオリンピックで金メダルがとれた」と語る清水さん。

「継続することが大変だった」との言葉には、長く競技をつづけてきた誇りも感じました。

こうやって、引退してからも、「スポーツに何ができるか」を常に考えて「世の中のために」行動してくれている姿には、本当に頭が下がります。

こういったスポーツ選手、スポーツ人に出会うたびに、スポーツをもっともっと応援したくなるのです。

清水さん、今日はあわただしかったけれど、今度ゆっくり飲みながらお話したいですね。