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アジア大会と社会人野球

2006年12月「e-resident」掲載~カタール、ドーハ・第15回アジア大会

―スポーツは人を育てる

今回はカタールのドーハからです。第15回アジア大会の選手村、日本選手団宿舎の7階の野球に割り与えられた部屋の中のリビングで書いています。

初日の練習を終え、目の前のソファーには監督の垣野多鶴さんが寝そべっています。垣野さんとは1996年のアトランタオリンピックでご一緒しました。私が帯同ドクターとして始めて参加したアトランタオリンピック、帯同ドクターの役割とは何なのかを教えてもらった大会です。垣野さんはそのとき打撃コーチでした。現在は社会人野球、三菱ふそう川崎の監督さんで社会人野球の最高峰である都市対抗野球で過去3回優勝に導いた名将です。

前回、体操の具志堅監督からお聞きした「スポーツや教育の最終目標は陶冶(とうや)すること」という話をしました。「人間を育て上げる」という目標がスポーツにはあるという話です。以前から、社会人野球の指導者の方たちからも同じような姿勢をとても強く感じていました。高校を卒業したばかりの選手に対して、野球だけでなく社会人としての姿勢を教える。だから、社会人野球からプロ入りした選手たちにはすばらしい選手が多い。いわゆる「素材がすばらしい」という選手はそのほとんどが高校時代から注目されプロの誘いをうけます。逆に言えば社会人野球からプロ入りした選手は、プロが素材を見抜けなかった、もしくは素材もたいしたことがなくて、プロからの誘いも受けなかった。しかしその後「努力して力をつけた」、もしくは「社会人野球が素材を見抜いて育てた」、ということができるでしょう。

ぱっと思い浮かぶだけでも社会人野球出身かつ現在現役で活躍している選手はたくさんいます。今年も活躍したソフトバンクの松中選手、日本ハムから巨人に移る小笠原選手、WBCでも活躍したテキサスレンジャースの大塚選手、アテネオリンピックのキャプテン、ヤクルトの宮本選手、ロッテのサブマリン渡辺俊介選手、西武のベンちゃんこと和田選手、日本選手のメジャーリーグ挑戦の先駆けとなった野茂選手やヤクルトの古田監督も社会人野球出身。

皆さん、毎年夏に東京ドームで開催される都市対抗野球を見に行ったことありますか?プロ野球や高校野球とは違った独特の雰囲気、派手な応援合戦、とてもいいですよ。チーム数がどんどん減り、昔ほどの勢いがなくなってきた社会人野球ですが、間違いなく日本の野球界にとって重要な存在です。これからも応援していきたいと思います。

今年、セリーグの首位打者、MVPを受賞した中日の福留孝介選手も社会人野球からプロ入りしました。高校時代からスター選手だった福留選手ですが、日本生命で社会人野球を3年間経験。当時、日本生命にはオリンピックに3回出場し「ミスターアマ野球」と呼ばれたピッチャー、杉浦正則選手がいました。熱血漢の杉浦選手のことですから、きっと、厳しく、優しく、社会人としての心得を教えたに違いありません。

先日、初代チャンピオンになったWBCの祝賀会が行われ、福留選手と久しぶりに話しました。「自分にとって社会人野球の3年間は決して無駄ではなかった。杉浦さんには本当にいろいろなことを教えてもらった」と福留選手は言っていました。

その杉浦選手、今年から日本生命の監督になりました。これからもたくさんの、「野球のうまい、まともな社会人」をたくさん育ててくれると思います。

―いざ、アジア大会へ

さて、今回のアジア大会ですが日本選手団は900人を超える大選手団です。2年後の北京オリンピックを見据えるととても重要な大会であり、各競技団体はオリンピックと同様のトップレベルの選手たちを送り込んでいます。

わが野球チームですが今回は全員アマチュア、社会人と大学生のチームです。かたや日本のライバルである韓国、台湾は全員プロでこの大会に臨みます。特に攻撃力ではライバルの2チームに比べると劣勢であるといわざるを得ない日本チームですが、プロにはないチームワークで、きっと勝ち進んでくれるでしょう。

昨日ドーハに到着、選手村に入りましたが、カタールは飲酒が禁止されている国です。当然お酒を選手村の中には持ち込むことはできません。実際に入村するときのチェックでも、スーツケースを開けられて、紙パックのまま持ち込もうとした焼酎などはことごとくばれてみんな没収されてしまいました。本部の医務が持ち込もうとした「消毒用アルコール」さえも没収されたそうです。まあ。2週間酒抜きの健康な生活をするのもいいかもしれない。

野球は開会式の前29日から戦いが始まります。選手みんながいいコンディションで試合に臨めるようしっかり仕事をしようと思います。

きっと今回も楽しいことがいっぱいあるだろうなあ。

スポーツと教育者

2006年11月号「e-resident」掲載~デンマーク、オーフス・体操世界選手権

―名監督から学んだこと

10月5日から23日まで、デンマークのオーフスで開催された体操の世界選手権にチームドクターとして帯同してきました。

アテネオリンピックでみごと金メダルに輝いた日本男子体操チーム、今回は世界選手権で久しぶりの団体優勝を目標にしての戦いでした。結果は、男子団体が銅メダル、富田選手が個人総合で銀メダル、種目別で富田選手が平行棒で銀メダル、という結果。団体金メダルは惜しくも逃してしまいましたが、いろいろな状況の中、選手たちはよくがんばったと思います。選手を支えるスタッフたちの見事な働きぶりも、再び感じることができました。

今回、男子体操の監督は1984年のロサンゼルスオリンピック・体操個人総合で金メダルを獲得したあの具志堅幸司さん。宿舎のホテルから食事会場、練習会場とそれぞれ徒歩で15分程度の距離でしたから、大会期間中、毎日のように具志堅監督と一緒に歩きながらたくさんのお話をさせていただきました。以前にも書きましたが、帯同ドクターは「付き添い医者」ではありません。競技種目やその場の状況によって、「現場が帯同ドクターに何を求めているか」は変わります。また帯同時だけでなく普段から、「スポーツの現場が医・科学に何を期待しているか」というわれわれの役割を理解することが大切なので、選手やスタッフとのコミュニケーションはとても大事です。その場が練習中であったり、散歩であったり、夜のスタッフとの飲み会であったりします。

現在日本体育大学の教授でもある具志堅監督、教育者としての哲学をたくさん教えていただきました。

「先生、陶冶(とうや)という言葉を知ってますか」

「スポーツや教育の最終目標は陶冶することです」

ホテルに帰る途中、二人で歩いていた大きな公園のなかで具志堅監督は私に言いました。

「陶冶とは陶器や鋳物を作るように、いろいろな試練を経て世の中で役に立つ一人前の人間を育て上げることです」

そんな話をお聞きしながら、「確かに私が今まで出会ってきた一流のスポーツの指導者たちはみんな厳格な教育者なんだよなあ、あの宇津木監督も選手のことはよく殴っていたけれど、選手を人間として一人前にする、てなことをよくおっしゃってたなあ」といろいろなことを思い出していました。単なる競技の技術、勝ち方を教えているのではなく、人生を教えようと努力している一流の指導者の方たち。

さて、自分だって1年半前まで大学の医学部の教官だった。教育者であったはずだし、今だって教育者だろう。人の命を預かる医者、その医者を育てる医学教育、はたして「陶冶する」という目標をもって医学教育にあたっていただろうか。たしかに、患者さんにムンテラしている最中に寝息を立てた研修医を患者さんが部屋を出たあとボコボコに殴ったことは2回ある。胆膵の弟子たちにはERCPのテクニックだけでなく挨拶の仕方も教えた。でも、そこまでの「人間を育てあげる」という強い思いが自分にあったのか。まあ、いろんなことが頭に浮かんできたのでした。

―選手をやる気にさせるキーワード

最近は「コーチング学」という分野もあるようですが、どうやって人に教えるか、どうやってその気にさせるか、ということも、スポーツ現場ではいろいろと勉強になります。ミーティングの際、選手に直接指導する際、監督やコーチたちがどのように語りかけているかとても興味があり、ひそかに耳を傾けています。たとえば野球でピンチのときに監督がマウンドまで行きピッチャーに声をかけることがありますよね。そんな時、監督はなんと言っているのか、また選手はどのように理解しているのか。試合のあとそれぞれに聞いてみるとこれもまたおもしろい。そのうちお話しましょう。

今回、団体戦の前のミーティングで具志堅監督が選手たちに語りかけたキーワードは、「笑顔」でした。「満足のゆく演技ができても、そうでなくても、笑顔を絶やすな。笑顔は相手チームにプレシャーを与え、自分たち味方には勇気を与えるんだ」、やはり体操も個人種目ではない、チームスポーツなんだ、と感じました。監督やコーチが試合前や試合中に選手に語りかけるひとこと、それを即座に理解する選手たち、その背景には、「世界一になるためにここまで一緒にやってきた」という大きな信頼関係があります。

昨日たまたま、今回は世界選手権にいけなかった体操選手とばったり会いました。「世界選手権をテレビで見ていたら、会場内に大きな声が響いてましたよ。顔は写らなかったけど、すぐに小松先生の声だ、ってわかりましたよ」といわれ、ちょっとうれしくなりました。

ああ、今回も長い遠征で疲れたけれど、楽しかったなあ。

スポーツ選手と食べること

2006年10月「e-resident」掲載~~中国広州・レスリング世界選手権

いま、レスリング会場の体育館のスタンドでこれを書いています。現在、中国の広州でレスリングの世界選手権が開催されていて、ドクターとして帯同しているのです。

大会は9月25日から始まりました。男子グレコローマン、男子フリー、女子の順番に試合が行われます。昨日まで、わが日本選手の成績はいまいちでしたが今日は男子フリー60kg級の高塚選手ががんばり、夕方の銅メダルをかけた戦いに挑みます。何とかメダルをとって日本選手団に勢いをつけてもらいたいと思います。

世界最強のレスリング女子軍団も昨日到着しました。先ほど練習会場に顔を出してきたのですが、浜口選手も吉田選手もみんなとても元気でした。今回もいつものように金メダルラッシュを期待できると思います。

―レスリングと減量

午前中の試合が終わり今も試合会場に待機している理由は、午後3時から明日の試合のメディカルチェックと計量が行われるためです。メディカルチェックとは試合前に皮膚の感染症などがないかをドクターにチェックされること。また、減量は体重別競技にはつき物ですが、レスリングの場合には前日に計量が行われるという特徴があります。

計量が前日の午後行われ、試合は翌日の朝からなので計量にパスしてから試合までに18時間くらいあります。その間に選手たちは少しでも「体重を元に戻す」ことができるのです。選手によっては1週間に10キロ近くの減量を行う選手もいます。ただし計量後1日で5キロ近く体重を元に戻すことのできる選手もいます。特に最後の1-2日は、「脱水と腸内容の虚脱」による体重減少がほとんどですが、このような「急速減量」は医学的にいいはずがありません。しかし、選手にとっては「力や体調を落とさずに試合のときには少しでも重くなる」ことが重要で、すなわち、「1日で少しでも体重を戻せるかどうか」が大きなポイントになります。

計量後直ちに選手たちは食べ始めます。レスリングのコーチたちは「強い選手は計量後しっかり食えて体重を戻すことができる」といいます。すなわち、しっかり食えるかどうか、胃腸が丈夫かどうか(ちょっと医学的な表言い方ではありませんが)、がレスリング選手にとっては大事なのだそうです。もちろん、脱水がひどい場合には、われわれが点滴などで手伝うこともあります。しかし、食えなくて点滴をしなければいけない選手ではだめなのかもしれません。ちなみに、世界最強の女子レスリングの連中は計量後の点滴などはめったにしません。

―口から食べられなきゃだめだ

「食えない選手はだめだ」これは医学的にも正しいことだろう、と想像できます。今までたくさんの患者さんを見てきましたが、やはり食べられなくなってしまったらだめでした。術後や病気の回復なども口から食事を取れる患者さんのほうが早く回復します。いくら、点滴や経管栄養などでカロリーや栄養を補ってやっても、「口からとること」にはかないません。「食事」というものがいかに大事なものかというのは経験的に明らか。そしてそれはスポーツ選手でも同じです。

―スポーツ選手とサプリメント

そのように考えると、スポーツ選手ですぐ頭に浮かぶのが「サプリメント」です。世の中には、ビタミンやミネラルの類からプロテインや怪しい健康食品、様々なサプリメントが氾濫しています。実際、多くのスポーツ選手がサプリメントを使っています。

理論的には必要な栄養素やビタミンなどをサプリメントだけでとるのは可能です。しかし、「食事」というのは、見たり、味わったり、においをかいだり、なにより「食事をする楽しみ」がある。つまり「栄養を身体に入れること」ではなく「食事をすること」が、人間の身体に様々なよい影響を与えているのだと思います。

ですから、スポーツ選手も「基本は食事」。サプリメントは様々な状況において食事を補うものととらえて、しっかりした知識をもって摂取することが大事です。私がいる国立スポーツ科学センター(JISS)の栄養指導室のスタッフも常々「食事の大切さ」をスポーツ選手に指導してくれています。

「食は広州にあり」といいますが、ここ中国・広州には伝統的な食文化があります。昨日も、一緒にドクターとして帯同している私の師匠、東芝病院の増島篤先生と広州の街中をぶらぶら食事に行きました。様々なものを料理していて、見ているだけでもとても楽しい。一杯5元(80円くらい)の水餃子を食べた後、薬屋さんに入って見物、へとへとの私は元気の出そうな漢方のドリンク剤を思わず買ってしまいました。「サプリメントに頼るな」などと書いておきながら、だめ医者ですなあ。

ちなみに、私が買ったドリンク剤は「梅花鹿茸血」という名前でしたが、このドリンク剤に含まれている、「鹿茸(ロクジョウ)」という成分はドーピング禁止薬物です。日本で売られている滋養強壮剤の中にもこの鹿茸(ロクジョウ)を含むものがあるので、注意が必要です。スポーツ選手がサプリメントをとる際には、ドーピングの知識もなくてはいけないのです。そのうちドーピングの話もしたいと思います。

インドでいろいろ考えた

2006年9月「e-resident」掲載~第3回アジア体操選手権大会

7月30日から8月3日までインドのスーラトで第3回アジア体操選手権大会が開催されました。私も、7月25日から8月5日までチームドクターとして日本チームに帯同してきました。この大会では男子体操、女子体操、女子新体操の各競技が行われ、日本も全種目にエントリーしました。「なぜインドで体操の試合?」という感じですが、今回の遠征でも、たくさん考えさせられることがあり、私もとてもよい経験になりました。

-ようやくたどり着いたインド

実は私も学生時代は「バックパッカーもどき」でした。あのころの定番は、まずバンコク往復の格安チケットを手にいれ、バンコクに到着後バックパッカーたちのたまり場の安宿、マレーシアホテルに向います。そこで、バックパッカーたちの情報を手に入れ(どこに行けば面白いとか、どこに安く行くにはどうすればよいかなど)、近くの雑貨屋さんでバンコクからの航空券を買います。バンコクにはたくさんの路線が入っていたので、この方法が一番安上がりでした。当時、多くのバックパッカーたちはインドを目指していました。しかし、私が貧乏旅行に目覚めた1983年ころ、いままで団体旅行者にしかビザが下りず、一人では入国できなかった中国に香港を経由すれば一人でも入国できるということを誰かが発見しました。以来バックパッカーたちは「バックパッカー未開の地中国」を目指し始めました。予定表も何もない気ままな貧乏旅行、観光客もいない土地での人々とのふれあい、とても魅力的でした。私は、毎年東医体が終わったあとの夏休み1ヶ月ほどを利用して、中国、ネパール、ビルマ、タイなどぶらぶらして…。そして、次はインド、と思っていたのにそのまま医者になり、貧乏旅行などできる暇はなくなってしまいました。とうとう、インドにいけることになったのでした。

-やはりインドは大変なところだった

前置きが長くなりました。シンガポールを経由しインドのムンバイ到着後バスで揺られること7時間、くたくた状態でスーラトに到着。着いた途端インドの民族舞踊などでの大歓迎!現地の人たちがこの大会のために一生懸命やってくれている姿を見て疲れも吹き飛びます。しかしそのあと到着した選手村でまたびっくり。4人部屋なのにベッドが3つしかなく(二人はダブルベッドで一緒に寝るらしい…)、シャワーもなくてどうやら水道の下にある大きなポリバケツを使ってギョウスイをしなければいけない。おまけに私は、ウズベキスタンのコーチと同じ部屋に泊まることになっていました。実際、ウズベキスタンのコーチは現れませんでしたが、ベッドの上をゴキブリが行き交い、食事は毎日、カレー、ナン、カレー、ナンと続きます。ある日には深夜に大雨が降り、それが部屋に入り込んで部屋の中は大洪水、スタッフのパソコン一台がお釈迦に!私はそれなりにワクワクの連続で楽しかったのですが、しかし、とても快適とはいえない環境の中、大きな病気や怪我もなく選手たちは実力を出し切りました。

―どんな環境でも自分の力を発揮する

チームに帯同するドクターの一番大きな仕事は、選手たちがベストの身体や心の状態で試合に臨めるように手助けすること。そして、今回の遠征でも選手がベストの状態で試合に臨めるよう、選手をとりまくスタッフ、マネージャーがいろいろ考え、行動している姿を眼にし、「だから日本の体操は強いんだ」と改めて感じたのでした。選手たちのコンディショニングを担っているのは、それぞれの役割を理解しながら裏方に徹しているスタッフみんななのです。

大会中の日程や移動などは大会の組織委員会の人間が担当します。今回も、組織委員会のボランティアたちがこのような大きな大会に不慣れなせいもあり、たくさんの不手際がありました。移動のバスが時間を過ぎても到着しない、表彰式をやるから集まれといわれたのに3時間待った挙句、結局「やはり表彰式は明日にする」といわれたり、まあ上げればきりがないほど。このような場合、「言うべき人に対して、きちんと主張すべきことを主張する」ことと、同時に「まあこんなもんか」と割り切る心の余裕も大切です。愚痴だけ言っていても何もよくなりません。

今回の大会ではクナルとダバラという二人の学生が日本選手団に付きっ切りで世話をしてくれました。彼らを味方につけるのも作戦。途中からは毎晩われわれの部屋でお互いの国の、「とても人前では叫べない言葉」を教えあって大騒ぎ。下ネタというのは各国共通のようです。二人とも日本選手団のためにとても一生懸命やってくれました。

また、日本の選手たちも立派です。劣悪環境の中、誰一人、文句も愚痴も言わず、同世代の若い女の子なら「もー、しんじられなーい。こんなとこで試合なんかできなーい」などと言っちゃいそうなところですが、新体操の美女軍団たちも平気な顔をしていました。さすが、新体操美女軍団恐るべし、です。

結局、世界に通用する選手というのは、どんな環境であっても自分の力を発揮できる選手なんだろうなあ、と改めて感じました。

もし今これを読んでいる研修医諸君がいたら、いろいろな環境の中で研修していると思います。人によっては、「自分の考えている病院と違った」「先輩が何も教えてくれない」「やらされるのは雑用ばかりだ」など、様々な不満もあるでしょう。でも、体操の選手たちがそうであったように、大事なのは、「今与えられている環境の中で何ができるか考えて、最大限の力を発揮すること」。どんな環境でも、愚痴を言わずに、すべて経験だと思ってがんばっていれば必ず誰か見ていますし、必ず自分のためになります。

ちょっとこじつけてしまいましたが、一流の選手たち、一流の指導者たちと一緒にいると、本当に勉強になります。

やはり、スポーツドクターは楽しい。

先生、医学的にはどう思う?

2006年8月「e-resident」掲載

―スポーツの意義

日本のスポーツが強くなることは、我が国にとってとても大事なことだと思います。経済効果云々は私にはよくわからないけれど、スポーツが世の中を良くすることは間違いない。ところで、皆さん、スポーツ振興基本計画というのをご存知ですか?これはスポーツ振興法の規定に基づき平成12年に10年計画として策定されたものです。

私が現在勤務している国立スポーツ科学センター(JISS)も、スポーツ振興基本計画に基づき、国際競技力向上のための中核的役割を担うために平成13年に設立されました。また、これに基づき、平成19年度中には、JISSに隣接して、ナショナルトレーニングセンターが完成する予定です(平成21年5月より「味の素ナショナルトレーニングセンター)。興味のある方はじっくり読んでいただくこととして、このスポーツ振興基本計画では、はじめに「スポーツの意義」を唱えています。「スポーツは、人生をより豊かにし、充実したものとするとともに、人間の身体的・精神的な欲求にこたえる世界共通の人類の文化の一つである。心身の両面に影響を与える文化としてのスポーツは、明るく豊かで活力に満ちた社会の形成や個々人の心身の健全な発達に必要不可欠なものであり、人々が生涯にわたってスポーツに親しむことは、極めて大きな意義を有している・・・」と続きます。具体的には、「青少年の健全育成、コミュニケーション能力の育成」「心身の健康保持の増進」「スポーツ振興による経済効果、医療費の削減」「地域社会の再生、連帯感」「世界共通の文化として国際親善や友好」などが書かれています。

まあ、これ以上書くと、ほとんどお役人の答弁のようになってしまうので、このくらいにしておきますが、素直に読むと「なかなかいいことが書かれているなあ」と感じます。

では、日本のスポーツを強くするためにどうしたらよいか。一言で言うと「日本が強くなるためのシステムづくり」だと思います。日本がいきなり貧困になったり徴兵制をひくわけにはいかないけれど、「スポーツを始めるきっかけ作り」「強くなるための支援体制」「選手を辞めたあともきちんと食べてゆける仕組み」などなど、選手が常に強い「やる気」をもって競技生活を送るための体制を作ってやらなければいけないと思います。JISSにいると、日本のオリンピック選手たちがいかに貧乏かがよくわかります。なんとかしてあげなくちゃね。

―名監督も悩む

今回は「ドクター、医学的にはどう思う」の話をしましょう。実はこの言葉、今までに2回聞いたことがあります。

最初はアトランタオリンピックの選手村で、開会式の前日。私は野球チームのドクターとして帯同していました。この時の全日本野球チームは全員アマチュアでしたが、今思えば、相当豪華な顔ぶれ。ホワイトソックスの井口、ソフトバンクの松中、阪神の今岡、中日の福留、オリックスの谷など現在プロで活躍している選手がたくさんいました。監督は川島勝司監督、アマチュア野球界の名将です。その監督が、選手たちをオリンピックの開会式に出させるかどうかで悩んでいました。オリンピックの開会式は、選手たちのコンディションを考えると相当問題があります。アトラクションの間は2時間ほど開会式場の近くで待たされ、それから入場行進、そのあとも会場内で式が終わるまで立ちっぱなし。終了後も、選手、役員全員が一斉に選手村に戻るので、なかなかバスにも乗れず…。アトランタオリンピックのときは夕方の5時ごろに選手村を出て、開会式を終えて選手村に戻ったのは明け方の4時でした。この時の野球チームは開会式の翌日のナイターでオランダとの初戦が予定されていました。監督としては、「選手の肉体的コンディションを考えると開会式に出させたくないが、オリンピックの雰囲気を味あわせることは逆に精神的にはプラスになるかもしれない。どうしよう」ということだったのでしょう。そして、悩んだ挙句私に、「ドクター、医学的にはどう思う?」と聞いたのです。私は、「医学的にどうかの問題ではありません。監督が決めてください」と答えました。川島監督の迷った姿を見たのは初めてでした。

次は、2000年のシドニーオリンピック、ソフトボールのアメリカとの決勝戦が始まる3時間前。日本チームは、予選で宿敵アメリカを倒して全勝で決勝トーナメントに進出、準決勝でオーストラリアを撃破し、悲願の金メダルまであと一試合、監督はあの宇津木妙子監督。いつもは試合前、サブグランドでのアップ前に宇津木監督からスタートメンバーが選手に告げられていました。しかし、決勝戦の日だけは、宇津木監督は野手のオーダーを告げたあと、「先発ピッチャーは30分後に発表する」と言ったのです。いつもと違う、と私は感じました。そのあと、練習中に、私に近づいてきた宇津木監督は「先生、先発、増渕か高山か、医学的にはどう思う?」と聞いたのです。私は、「医学的も何もないです。それは監督が決めてください」と答えました。結局増渕選手が先発しましたが、その試合前の迷いが、試合中まで続きました。好投した増渕選手はたった1本のヒットで同点に追いつかれ高山選手に交代、延長戦に突入し、降りしきる雨の中サヨナラ負けで金メダルを逃しました。宇津木監督自身はあとでこのように語っています。「1点を先行したあと高山選手に交代すると決めていた。しかし、どういうわけか、それができなかった。悔やんでも悔やみきれない」。

普段はそんな「迷う姿」など見たこともない二人の大監督。それだけ、オリンピックの舞台というのは大変なものなのでしょう。お二人とも、本当に医学的根拠を聞きたかったとはとても思えません。「誰かに何かしゃべりたかった」のだと思います。そんな迷った姿を選手たちに見せるわけにいかない。野球界やソフトボール界とは大して関係のない私だからこそ聞いたに違いありません。私の答えは、二つとも同じものでしたが、もちろんドクターとして「医学的にはこう思う」と語らなければいけないときもあります。監督との信頼関係があったからこそ、監督の質問の意味を即座に理解し、「それは監督が迷わず決めるべきだ」と答える事ができたと思っています。お二人とは、いまでも年に数回はお会いしていますが、必ずこの話になります。

スポーツドクターっていろいろな経験ができて楽しいです。

結果がすべてか?

こんにちは、セクレタリーKです。みなさま、GWはいかがお過ごしでしょうか? イギリスロンドンで開催される、夏季オリンピックがいよいよ近づいてきました。開催期間は、7月12日から8月12日まで、大会に向けて選手たちは、今日もトレーニングを続けているはずです。そして、今回は第30回の記念すべき大会。大いに盛り上がることでしょう。イギリスはちょうどサマータイムの時期なので、日本との時差は8時間遅れになります。寝不足が心配ですが、日本選手の活躍を応援したいです。そして、小松先生も日本選手の活躍を陰で支え続ているひとり。今回から数回に亘り、過去の帯同エッセイをご紹介していきます。「スポーツドクター」のエッセイで、みなさんも当時の熱くなった試合を思い出してください。

2006年7月「e-resident」掲載~第1回ワールド・ベースボール・クラッシック

―世界一を経験して

今年の3月、チームドクターとして帯同したワールド・ベースボール・クラッシック(WBC、よく考えたらWBCといえばといえば普通「白血球(White Blood Cell Count)」ですよね)で、我が王JAPANは見事初代世界一に!私自身それまで世界一を目指した舞台を3回経験させていただいていますが、初めて世界一のチームの一員になることができました。

最初は、1996年、野球チームに帯同したアトランタオリンピック、一度は同点に追いついたものの最後はキューバの底力で引き離され銀メダル。次は2000年のシドニーオリンピックのソフトボール、熱戦の末アメリカに延長さよなら負けした瞬間をベンチから呆然と眺めました。そして、2004年のアテネオリンピック、今度こそアメリカを倒して金メダルと臨んだソフトボールチーム、オーストラリアに破れ決勝に進めなくなった…。ベンチ裏での宇津木監督の涙、今でも目に焼きついています。何より私自身のアテネでの悔しさ、「もっと何かしてあげられなかったのか」という思いが、スポーツ医学の世界に身をおこうと本気で考えるきっかけとなりました。

今回、初めて世界一を経験し、一番感じたことは「やはり結果が大事なんだなあ」ということ。二次リーグで韓国に負け皆でやけ酒をあおった翌日、もしメキシコがアメリカに負けていたら帰路に着くことになっていました。そうなっていたら、おそらくマスコミからもぼろくそに言われていたことでしょう。それまでの過程がまったく同じでも、結果次第で評価される世界であることを痛感したわけです。もちろん、監督、選手たち、スタッフ皆が世界一になるためにがんばっていたし、準決勝、決勝の戦いもすばらしかった。ただ、チームとしてはいくつかの問題点もあったと思います。私自身も反省すべきこともあります。しかし、優勝によってすべて帳消しに。「がんばってやっていたこと」いう過程ではなく、「がんばってやって、しかも世界一になった」という結果が評価され、その事が人々に感動を与えたのです。この「結果がすべて」という事に関しては、私自身素直に納得できない気持ちもありますが、やはりスポーツの世界では結果を出さなければいけないという事がよくわかりました。だから、多くの選手たちが苦しんで、苦労しているのです。

―結果を出すために

当時、その1年前まで私は胆膵疾患を専門とする消化器内科医でした。胆膵疾患の中でも「膵臓がん」はいまだに難治性の癌として有名です。これだけ画像医学が進歩しても、早期に発見できて手術できたと思っても、いまだに5年生存率は限りなくゼロに近い。すなわち「完治する」という結果が出せない病気です。多くの膵臓がんの患者さんを診てきましたが、完治するという結果が出せたのは数人。それでも、痛みをとる、不安をとる、少しでも長く家族と過ごせる、といった結果を出していたような気はするけれど、やはり、「がんばって治療しました」じゃあだめで、「完治する」という結果を出さなければ、結局患者さんは満足していなかったのかもしれません。でも、緩和治療もとても大事だし、完治できなくても、がんばって治療したということを多くの患者さんやそのご家族は評価してくれたようにも思うし、あー、書きながら自分でもわからなくなってきちゃった。まあ、消化器を無責任に離れてしまった私にそんなことを語る資格はないか。

いずれにせよ、どの世界も結果を出すということを目標に努力しなければいけない、ということなんでしょうね。私も、選手たちが世界の舞台で勝つという結果を出すために、陰でスポーツ選手を支える力になりたいと思います。まだまだこの世界は人材不足です。「スポーツを支える」仲間をもっともっと増やすために、これから若い研修医、学生諸君にこの世界のことを宣伝していきたいと思います。